友敵理論と言論プロレス

東浩紀先生の『観光客の哲学』がよく分からないのが、ようするにネットワーク理論による「つながり」を観光客が

  • 増大

させていくことが、「誤配的マルチチュード」として、ローティ的な未来の

  • 連帯

つまり、「リベラル」的希望なんだ、と言っているわけだけど、そのネット的な「つながり」を利用して、まさに

  • 増大

  • 連帯

している勢力こそ、

なわけであろう。ISはネット的「つながり」によって、各国内にいる人々をその「つながり」を利用して「テロリスト」に変えていく。まさに、「つながり」がテロを生んでいるわけだが、そういう事態になっているのになぜ、「つながり」を他方で礼賛しているのだろう。
つまり、

であるわけだけど、それに対する批判的な視座はないのかな、と思うんですけどね。つまり、なにを言っているのか、わかんないんだよね。

なぜなら、のち第二章でカール・シュミットの著作に照らして詳しく見るように、政治的なものの本質は友(自国民)と敵(テロリスト)を公的な基準で分けることにあるからである。

ゲンロン0 観光客の哲学

ゲンロン0 観光客の哲学

いや。中田考先生が説明するイスラムスンナ派は、カリフを中心とした

  • 国家を否定した

運動であって、基本的にイスラム国(IS)もそのカリフを掲げて、世界中の一切の国家や国境を「認めない」と主張して「戦っている」わけであって、普通に読めば、イスラム国(IS)こそ、東浩紀先生の言う「ナショナリズム=国家」のない世界を目指して活動しているという意味では、

というふうに解釈できるのだが、なぜ、そういった「地域国家を認めない」彼らが、「テロリスト」となって、現在の世界のほとんどの「テロ」を実際に行っている、ということになるのでしょうかね。
なんか変なんだよね。
東浩紀先生は、トランプ(=ナショナリズム)がダメだと言いたいのか、IS(=グローバリズム)がダメだと言いたいのか。つまりさ。彼は何と「戦いたい」のか、よく分からないんだよね。
例えば、昨日のツイッターで映画監督の想田さんのツイートをdisっているわけだけど、これで何が言いたいか分かる人がいるのかな?

AさんとBさんが対立していて、明らかにAさんの方に非があるのにBさんの味方をせずに「真ん中」を取ってしまうのは、全然「ふつう」でも「冷静」でも「バランスがよい」わけでもなく、実質的にAさんの味方をすることになるわけで。三浦瑠璃さんはいつもこれですね。
KazuhiroSoda 2017/06/07 09:45:33

AとBがジレンマを起こしてしまうときにそれをメタレベルで見て対立構造の基礎そのものをあぶり出すというのはカント以来の哲学の基本なので、真ん中にいることそのものが敵なんだといういまRTしたようなタイプの思考法は、近代哲学そのものの否定だと思う。
hazuma 2017/06/07 11:33:59

ぼくのゲンロン0(観光客の哲学)は、まさにこのような「友と敵しかいない」世界観に対する批判で書いたものなので、いまの「安倍か、反安倍か、どっちだ!」的世界(いま日本で政治といえばその二分法に入ることに等しいのだけど)に息苦しさを感じているひとには、ぜひ広く読んで欲しい。
hazuma 2017/06/07 11:37:18

ほんと、いやな時代だね。そしてこのような「友も敵もいない」という主張もまた敵を利するものだと言われ、敵認定されていくという無限循環・・・
hazuma 2017/06/07 11:38:32

僕が申し上げてるのは、哲学の話じゃないからなあ。僕も映画を作る時は世界を微妙な濃淡で描くことに専念しますし。だけど現実の生活や政治では、哲学や映画と違って立場をはっきりさせる必要も出てくる場合があるわけで。カテゴリーの違うものを混同しないで欲しいな。

AとBがジレンマを起こしてしまうときにそれをメタレベルで見て対立構造の基礎そのものをあぶり出すというのはカント以来の哲学の基本なので、真ん中にいることそのものが敵なんだといういまRTしたようなタイプの思考法は、近代哲学そのものの否定だと思う。
hazuma 2017/06/07 11:33:59

KazuhiroSoda 2017/06/07 14:17:18

非常に面白いのは、東さんはこのツイートによって、事実上僕を「敵認定」していることですね。そういう意味では、まさに無限循環です。

AとBがジレンマを起こしてしまうときにそれをメタレベルで見て対立構造の基礎そのものをあぶり出すというのはカント以来の哲学の基本なので、真ん中にいることそのものが敵なんだといういまRTしたようなタイプの思考法は、近代哲学そのものの否定だと思う。
hazuma 2017/06/07 11:33:59

KazuhiroSoda 2017/06/07 14:22:08

東さんだって、例えば万引きしてないのに「万引きした」と店から濡れ衣着せられた時に、第三者である目撃者が「店と東さんの対立構造」とやらをあぶ出すだけで「東さんは万引きしてないですよ」と明確に証言してくれなかったら、流石に「ふざけんな」と思うんじゃないの?
KazuhiroSoda 2017/06/07 14:28:44

つーか、東さんは僕と三浦さんの「対立構造の基礎をあぶり出す」だけに専念すりゃあいいのにって思うよ。じゃないと近代哲学の否定なんでしょ?

AとBがジレンマを起こしてしまうときにそれをメタレベルで見て対立構造の基礎そのものをあぶり出すというのはカント以来の哲学の基本なので、真ん中にいることそのものが敵なんだといういまRTしたようなタイプの思考法は、近代哲学そのものの否定だと思う。
hazuma 2017/06/07 11:33:59

KazuhiroSoda 2017/06/07 14:34:52

子どもの反論のようなことは止めましょうよ・・・

非常に面白いのは、東さんはこのツイートによって、事実上僕を「敵認定」していることですね。そういう意味では、まさに無限循環です。

AとBがジレンマを起こしてしまうときにそれをメタレベルで見て対立構造の基礎そのものをあぶり出すというのはカント以来の哲学の基本なので、真ん中にいることそのものが敵なんだといういまRTしたようなタイプの思考法は、近代哲学そのものの否定だと思う。
hazuma 2017/06/07 11:33:59

KazuhiroSoda 2017/06/07 14:22:08

hazuma 2017/06/07 14:46:40

ぼくはだれも敵認定しません。そんな発言事態が「だれも敵認定しないことはない」と言っているおれを敵認定しているんだから自己矛盾だ、というのは子どもでも思いつく反論。想田さんのお仕事を知っているだけに残念です。ゲンロン0をお読みくださればと思います。
hazuma 2017/06/07 14:48:26

東さん、僕だって三浦さん含め誰のことも「敵認定」なんてしてないんですよ。安倍首相だって僕にとっては敵ではない。しかし東さんは僕が三浦さんを批判しただけで「敵認定した」と書いたわけでしょ。そういう「東基準」からすれば、僕を批判する東さんは僕を敵認定していることになっちゃうわけです。

ぼくはだれも敵認定しません。そんな発言事態が「だれも敵認定しないことはない」と言っているおれを敵認定しているんだから自己矛盾だ、というのは子どもでも思いつく反論。想田さんのお仕事を知っているだけに残念です。ゲンロン0をお読みくださればと思います。
hazuma 2017/06/07 14:48:26

KazuhiroSoda 2017/06/07 17:31:44

しかしさ。ゲンロン0で説明されていた、シュミットの友敵理論は、そもそも、ナショナリズム国家主義の話でしょ。その(ヘーゲル的な意味での)抗いがたい現実性の話なわけでしょう。
上記を見れば、明らかに想田監督は

  • 是是非非

の話をしている。具体的な問題に対応して議論をしている。それに対して三浦さんがなんでそんな「反応」になっちゃうのかな、という話をしている。
まあ、もう少しこれを「哲学的w」に説明するなら、シャンタル・ムフの言うような意味での「新しい敵対性」。なんらかの、アリーナ的な「ゲーム」としての敵対性の可能性ということになるわけであろうが、シュミット的な意味での「敵対性」にとって、そもそも、そういった「議論」とか、そういったレベルの話以前の、

  • 根源的(=国家に起源した)敵対性

が全ての「本質」だ、というような議論なのだから、まあ、最初から民主主義的な議論を馬鹿にしているところがあるんだよね。そんなもん、成立しっこない、みたいな。だから、是是非非の話にならない。上記の議論がシュールな印象を抱かせるのは、東浩紀先生は

  • ぼくはだれも敵認定しません

と言いながら、

  • 想田監督は敵認定している

と決めつけていることが「子ども」っぽい理屈だと気付いていないことなのだろう。ゲンロン0で友敵の「定義」をシュミットのナショナリズム国家主義で解釈していたはずなのに、ここでは、まったく違った「定義」の友敵を使って、説明しようとしている。さまざまな理屈が

に現れる、ということでは東浩紀先生はシュミット的な「問題圏」に取り込まれている、ということなのかもしれない...。