東京アースダイバー

東京は不思議な街だ。それは、田舎から東京に出てきた人ならみんな感じていることではないだろうか。田舎は、バブル期の終焉以降、完全な衰退の一途を辿っている。つまり、田舎の人間にとって、バブル以降は、その「認識」が一貫している、ということなのだ。
それに対して、東京はその認識を幻惑させるかのような違和感を感じさせる。確かに、商店街がさびれて、近くの店がなくなるということを繰り返している印象はあるが、それにしても、それなりに店はあり、自分の嗜好に合った店を行きつけにすることは難しくない。つまり、東京はバブル以降の「衰退」をあまり感じさせなかったのだ。
そのことは、いわゆる「東京人」の言論にも反映しているように思われる。彼らの発言はどこか「バブリー」だ。つまり、ちょっとポエミーだ。そこには、なんらかの今の「幸せ」の延長に、その幸せが続くことを

  • 前提

にして思考している、ある種の「現実認識」の弱さを感じさせる。
今、自分が「健康」であることは、明日、いや。その次の「一瞬」まで、自分が「健康」であることを保証しない。その認識が、まるで日本が「ぜいたく」であるというような変な認識の間違いをもたらす。先進国には先進国の「病気」があるのであって、それがまるで

  • 日本の「福祉」を減らして、その分のお金を、地球の裏側の「困っている」人にばらまくべき

といったような、トンチンカンな認識をもたらす。日本人は「贅沢」だ、だから、日本人への「福祉」は不要だ、といった考えは、言わば

  • 真の弱者

を仮構することで、私たちの身の回りの、「本当に困っている」人の

  • 深刻さ

を忘却させる。こういった思想は非常に「危険」な悪魔の考えなのだ。
さて。もう一つ東京の不思議さを語るとするなら、それはみんなが「歩いて」いることであろう。
田舎は基本的に自動車社会であり、どこに行くにも自動車なしにはかなわなくなっている。ところが、統計を見ても、なぜか東京だけは突出して、車をもっていない人が多い。
つまり、地下鉄、JRである。ほとんどの東京で暮らしている人は、地下鉄、JRを使っている。そして、そういう人のほとんどは、車もバイクも、さらに、自転車すらも使わなくなる。
みんな「歩いている」。
ひたすら歩いている。毎日、毎日。実は、そういう意味では、東京の人間は「健康」なのではないか、と思うこともある。
まるで、原始時代に戻ったみたいに、私たち東京アースダイバーは、そこに原始時代の「本能」を見出しているのかもしれない...。