日本政治の陰謀についての仮説

日本の政治において、衆議院選挙は、国会の見取り図を決定するという意味で重要である。つまり、日本の政治を

  • 支配

したいと考える人なら、どうやってこの衆議院選挙を

  • 結果

として勝利するかについて、綿密な計画を立てるであろう。なぜなら、この衆議院選挙に勝ちさえすれば、ほとんど全ての日本の

  • 支配者

となったも同然だから、である。しかし、逆に言えば、ここで負けることなどありでもしたら、もはやどん底である。それは、政権交代として、自民党民主党に負けて、野党に下野した時代がどういったものであったのかを意味する。
そう考えるなら、自民党はどんなことがあっても、この衆議院選挙には負けないための「綿密」な計画を、はるか昔から計画していたと考えられないだろうか?
例えば、こんな「陰謀」が、たくらまれていたとしたなら?
まず、東京都知事選挙において、自民党候補に、さえない官僚をすえ、それに「対抗」するイメージで、まさに、小泉郵政選挙のように、「自民党をぶっこわず」的なイメージで、小池百合子を「かませ犬」をして使う。そのとき、民主党は、彼らの日本会議人脈によって、過去のセクハラ疑惑によって、いくらでも後でイメージダウンをさせることの可能な、鳥越を

  • わざと

立候補させて、自滅させる。
おそらく、この都知事選挙によって、国民の小池百合子へのイメージを良くすることで、後への布石とするわけである。
次に、東京都議会選挙で、なぜか、公明党小池百合子が党首となる、都民ファーストの会とタッグを組んで、自民党と戦うことになる。なぜ公明党は、小池百合子とタッグを組んだのだろう? それは、実際に、今回の衆議院選挙では、普通に自民党とタッグを組んでいることからも分かるように、おそらくはこれも、次の衆議院選挙のための「布石」だったのではないか、と推測できる。
こうやって、小池百合子の「イメージ」を、今乗っている、選挙に強い、といった形で世間に印象受けておくわけである。
そして、衆議院選挙。与党が一番に怖がっていたのは、

  • 野党連合

であった。自民党は、なんとしても、この野党の共闘を防がなければならなかった。そのために、自民党は、はるか昔から、ある「布石」を打ってきていた。それが、小池百合子である。
ここまでで、世間に、「小池は選挙に強い」「小池が国政に打って出れば、大勝ができる」という印象を与えたところで、安倍総理による、突然の、「総理の専権事項」なる嘘による、解散の宣言をさせるやいなや、日本会議のつながりで、裏で自民党小池百合子とつながっていた、前原が、民進党を丸ごと、小池の作った、希望の党への吸収合併を宣言させる。
しかし、このままこの党が、民進党色を強くして、

  • 野党連合

に邁進をしたなら、自民党は大敗したであろう。そこで、自民党は小池には「わざと」悪人を演じさせる。もちろん、小池は過去から、ツイッターなどで、そうとうに、悪辣な、ヒール発言を続けていた。それも、ひとえに、この衆議院選挙で、自民党を勝たせるために、自分を悪役にして、最後に自民党を勝たせるための、「演技」だったと考えてみよう。
民進党の吸収合併によって、野党最大勢力になると推測された、小池の新政党である、希望の党は、党首による

  • 選別

発言や、「リベラル派は排除する」といった発言によって、一気に国民からの信頼を失うようになる。そもそも、こういった言葉は、代議員選挙、普通選挙においては「禁句」である。なぜなら、そもそも、選挙とは代議士による、国民に対する

  • 包摂

を問うものであるからだ。それは、社会契約論を思い出してもらえばいい。この「契約」は、どんな国民とも、わけへだてなく「平等」に結ばれる契約である。しかし、だからこそ、その吸引力がある。
もしも、その中のだれかを「排除」するなら、

  • いずれは、自分も排除される

と、国民のだれもが思うのは、必然であろう。だれかを排除した時点で、すべての国民がいずれは排除される。それは、たんに「タイムラグ」の違いでしかない。つまり、この小池の「排除」発言は、この選挙で自民党を勝たせるために、用意周到に計画された、

  • 演技

だったわけである。最大野党の「没落」は、必然的に、自民党の「優勢」な選挙を結果した。まさに、自民党がはるか昔から、用意周到にねりにねられてきた、必殺の手打が、まんまと、ここまでの選挙情勢を「支配」してきたわけである(思い出してほしい。前原がなんと言ったか。彼は「予想通り」と言ったのだ! もしも「これ」が、はるか昔から着々と実行に移されてきた「計画」のことだったとしたなら...)。
ただし、一つの「誤算」があるとするなら、それは、立憲民主党の出現であろう。
この勢力は、あまりにもの、急造の政党の立ち上げであったために、どんなに大勝をしようと、自民党との数の戦いでは不利であることは、最初から目に見えていた。おそらく、今回の選挙の争点は、どこまでこの立憲民主党を勝利させるのか、が最大の争点になるであろう。
しかし、である。
このように考えてくると、あまりにも、日本の政治文化は、脆弱ではないのか。こんなに簡単に、自民党に「言論空間」をコントロールされ、簡単に国民はだまされて、自民党を勝利させてしまう。こんなことをしている限り、国民の自律的な国家運営は、夢のまた夢、なのであろう...。