憲法改正論議の虚妄

前から不思議に思っていたのだが、近年の日本の憲法改正論議は、一体、どこの誰が

  • 本気

で言っているのだろう? つまり、この議論は本当に実体があるのかが、ずっと「怪しい」と思っていたのである。

その理由について、安倍政権が集団的自衛権の一部行使容認を決めるまでは、アメリカ側は「やいのやいのとうるさい」(田原氏)状態だったが、「集団的自衛権の行使を決めたらアメリカはまったく何も言わなくなった。満足したのだろう。だから憲法改正をする必要はない」と安倍首相は語ったという。
安倍首相が田原総一朗氏に「憲法改正する必要なくなった」 昨年9月に | THE PAGE(ザ・ページ)

おそらく、こういうことなのではないか。つい最近まで、アメリカは日本に憲法改正を行えと「うるさく」何度も何度も、訴えてきていた。それは、憲法改正を行わなければ、アメリカにとっての、ある軍事的オプションがやりにくい、と考えていたからだ。つまり、その頃までは、マスコミも含めて、日本中で「憲法改正」のアジェンダが、さまざまな場所で、とりあげられていた(もちろん、自民党憲法草案もそうであるし、東浩紀先生のゲンロン憲法草案wもそうである)。おそらく、この頃は、日本のアメリカン・スクールを始めとして、かなり裏で暗躍したのではないか。とにかく、日本の憲法を、なにがなんでも変えなければいけない、という世論を喚起するために、多くの「官房機密費」が使われた。それに、多くの「知識人」が動員をされたのだ。
ところが、その頃からそうなのであるが、結局、この憲法改正の「掛け声w」は、そもそも、国民自身が

  • 憲法のどこを変えたいのか?

といった「内的動機」とまったく関係のない、「外圧」でしかないため、いくら改憲改憲と「叫んで」も、いっこうに、意味不明なものになっていた。なぜ、変えるのか。なぜ「そう」変えるのかが、どんなに説明をしても、だれにも理解ができない、キテレツなものにしかなっておらず(そもそも、変えたいじゃなくて、「アメリカの言うことに従いたい」なのだからw)、この意味不明さは、今にまで至っているわけである(言うまでもなく、このことは、東浩紀先生のゲンロン憲法草案wについても同様だ。この憲法のアホらしさは、意味不明に、現行憲法の条文を「並べ変え」をして、結局、全体としては、天皇を国王にするだとか、自衛隊を軍隊にするだとかの「文言」が入っただけで、本質的に

  • 無意味

な改正内容だったことを思い出したい。こんな内容なら、これに近いものを、「法律」の範囲内で近いものにすることは可能であろう。つまりは、たんに憲法の条文を「触りたい」という、露悪的な欲望をまきちらしただけで、見るからに「汚い」行為だったわけである)。
こうして、ある時期まで、内容はまったく空疎ではあるが、「外圧」によって、その強圧的なプレッシャーだけは「実体」として存在し続けていた、憲法改正論議は、上記の安倍首相の発言があるように、ある日を境にして(おそらく、安保法案の成立からであろう)、急にトーンダウンしてきた。
よく考えてみよう。今行われている憲法改正論議は、伊勢崎さんなどによる憲法九条の、さらなる「精緻化」の方向の提案以外は、ほぼ、間違いなくと言ってもいいほどに

  • 法律でなんとでもなる

ものにすぎない。つまり、なんの緊迫性もない。それをやらないと、すぐにでもこの国が滅んでしまう、といったものではない。まあ、当たり前なわけである。そんなものがもし存在するなら、とっくの昔に「明治維新」が起きているのだw 多くの人が、それほど「困らない」憲法になっているから、次の「明治維新」が起きていない。おそらくは、今後、憲法改正が発議されることになったとしても、

  • 本質的

に「どうでもいい」改正内容を、まさに「お金の無駄使い」よろしく、国民投票のお金だけが膨大な費用をかけて行うことになる、

  • セレモニー

になるであろう。そう変わったところで、変わらなかったところで、なんの「国民生活」に変化の起こらない。もちろん、その逆もありうる。つまり、今の自民党の極右と、日本維新の会の極右、希望の党の極右が

して、キテレツな憲法改正(という名の、明治憲法「復活」)を行うかもしれないがw、そうなったらそうなったで、国民投票で却下される。その「みじめ」な有り様は、大阪における、大阪都構想の末路と同様の軌跡をたどる、ということである...。
(大事なポイントは、だれも「本気じゃない」というところにある。確かに「極右」の一部は、本気で思っているかもしれないが、逆に彼らは、それを実現した暁には、日本は「北朝鮮」と変わらない国になっていることを、うすうすは気付いているわけで、自分の「プライド」がホルホルされることには関心が高くても、現状、そこそこにホルホルできているなら、その状況まで破壊したいわけではない。つまりは、もしもそこまで「思い詰め」ている人がいるとするなら、おそらくは、そういう人は、例えばオウム真理教がそうだったように、なんらかの「宗教」的な動機によって、ということになるわけで、そもそもの本質において、革命に近い

  • 人間社会の破壊

を意図でもしない限り、国民の「多数派」にはなりえない、わけである...。)