フランソワ・ジュリアン『道徳を基礎づける』

孟子の有名な言葉に

今にも井戸に落ちようとしている子供を目のあたりにすれば、誰もが恐怖の渦に巻き込まれ、助けようと手を差し伸べる

というのがある。いわゆる「惻隠の情」というやつだが。これを、掲題の著者は「道徳の基礎」と考える。つまり、掲題の著者の解釈によれば、道徳は「感情」に根拠をおく、ということになる。しかし、もしもそうなら、カントに反することになる。
それに対して、掲題の著者は、孟子の「端緒」という整理を重要視する。つまり、これは確かに「感情」であるのだが、あくまでも「端緒」に過ぎず、「完全」な感情ではない、というわけである。
うーん。
道徳の根拠は「感情」なのだろうか? 例えば、こんなふうには考えられないだろうか。私たちが、ある不幸な境遇にある人に「同情」を感じて、なにか行動を起こさずにいられないのは、もしも過去の自らがその境遇にあったときに、同じように誰かに助けてもらえなかった場合を想像して、

  • 不幸になった自分

を「想像」して、ということは。私たちが生きるということは、こういった「能力」と無関係ではないように思われる。つまり、こういった「自分にひきくらべて」考える能力が高いほど、「普段」の日常生活は

  • 潤滑

に営めているということであって、その極端な場面が上記の引用のような例なのではないか?
もしも、道徳の根拠が「感情」だということになるなら、心理学は非常に重要だ、ということになるであろう。なぜなら、心理学とは「感情」の問題を医学的に解決する分野だから。しかし、そうでないとするなら、それは、心理学との関係を排除して考えられる

  • 他の学問分野

と同様に扱える、ということになるわけで、心理学系の学問に党派性のある人たちには、まさに「囲い込み」という意味で重要だ、ということになるであろう。
しかし、よく考えてみると、こういった「分類」はあまり、カントの倫理学にとっても本質的ではないように思われる。というのは、例えば、カントの定言命法にしても、それは例えば

  • 地球上の人類「全体」が生き残る

ための「条件」のような論証過程として導かれているものであって、どっちにしろ、それが満たされていなかったら、人類がこの地球上で生き残っていけない、と考えるなら、満されなければならない「条件」となるように思われるからである。
しかし、話はここで終わらない。
というのは、孟子の語った「倫理学」と、ルソーやカントが考えた「倫理学」は、その本質において、あまりにも違っているからなのだ。

しかし、中国の伝統の中には、意志という概念に確実に相当するものは無い。何よりも、中国では、心理学的な次元で、「諸能力」の分析を発展させたことがなかった。西洋でなされるような、「意図的に」行なうことと、「意に反して」行なうことの区別が明確にされたことはないのだ。この区別は、ギリシアにおいて、演劇や、司法や政治の活動(これは次の問いに帰する。行なった行為に対して、わたしはどの程度責任があるのか)についての考察から、アリストテレスが発展させたものである。アリストテレスは、単なる願いと、「選好によって」為した行為を区別した。後者は、熟慮を含み、決断で行きついたものである。

ここの部分は、非常に重要なことが語られている。現代の私たちにとって、あまりにも「当たり前」になっている「意志」という言葉は、そもそも、古代中国にはそれに対応するものがなかった(ということは、日本にもなかった)。同じように、「自由」もなかった。じゃあ、西洋においては、はるか太古の昔から自明だったのかというと、どうも古代ギリシア、それも、その精緻化を行ったのはアリストテレスということで、古代ギリシア以前まで考えれば、少しも自明ではなかったのではないか、と思われる。
このことは、例えば、「意志」というものをあまりにも重要な概念として、自らの主張の核心にすえた、ルソーやカントにしてそうなのだが、結局のところ、その意志が

  • どのように

生まれるのかを、まったく説明できないのだ! つまり、説明できないのに「ある」と言わざるをえない。なぜなら、そう言わなければ、自らの主張がなりたたないから。
だとするなら、そもそも、そんな概念が存在しなかった古代中国は

  • 欠陥

だったのだろうか? なぜ古代中国はその概念なしで、「だれも困らなかった」のか? むしろ、そこにこそ神秘があるのではないのか?

ここから孟子は結論を出す。もしある君主が仁を好めば、他の君主はみな、多くの民をその君主の下に追いやるだろう。そうなれば、いくら彼が王になるまいと欲しても、王にならざるえをえない。

この場合、戦争は「義(ただ)しい」。それゆえ、この討伐軍は全く抵抗に遭わなかったし、ここから、湯はその権威を天下に拡げていくことができた。それだけ多くの人々が、至るところで、いまかいまかと善政の恩沢を被ることを待ち望んでいたのである。残忍な世界に仁君がやって来ることは、干天の慈雨の如く切望されているのである。孟子は、最終的にはこうまで述べた。真に仁なる王は、「杖だけで」、最も装備の整った軍隊をはねのけることができるだろう。

孟子の考えによれば、その「王」が王たるには、たんに「仁」を好めばいい、ということになる。つまり、その「王」が「そういう人」なら、勝手に、国民はその王についてくるからだ! それは、「戦争」さえ無力にする。敵国の国民さえ、その「仁」を好む王に従いたいと思うようになり、なにもしなくても「平和」になる。
そしてさらに、孟子はすでに「民主主義」の萌芽のようなことにまで言及している。

孟子は王に言う。登用や弾劾については、左右の者がみな賛同し、諸大夫もみな賛同しても、まだ決めてはなりません。国中の民が賛同してはじめて、当該の問題を審察して、裁可すべきです。民意は究極的で最も決定的な基準であり、それこそが最終的に決着をつけるものである。

ようするに、「仁」を好む王は、必然的に「民」の声に耳を傾け、民の賛同を自らの行動とする。
そして、決定的なこととして、孟子はカントの「人間の尊厳」と、ほとんど同値なことさえも、主張しているわけである。

カントは、先ほど引用した箇所で、義務に反するよりは、みずからの生を犠牲にするという覚悟を持つのは、自分の人格の中にある「人間性の尊厳」を、「保持し尊重する」意識があるからだと述べていた。、同じ概念が、中国にもある。孟子は二種類の「爵位」があると言う。すなわち、「天から与えられた」自然的な爵位と、「人から与えられた」社会的な爵位えある。さて、カントは続けてこう述べた。自分が生きるに値しないことを自分の目で見ることに耐えられないのは、「自らの(物質的で社会的な)状態が有する価値」を全て放棄できても、自らの「人格」が有する価値は放棄できないからである。同じことを、孟子も続けて述べる。「価値のあるものへの欲望」は、万人が共有しているが、一般に人が価値があるというもの、たとえば王が付与剥奪する名誉といったものは、「真正なる価値(良貴)」ではない。本当は、万人が「自分の中に価値を有している(人人有貴於己者)」のに、それに気づいている人が実に少ないのである。以上のように、カントにも孟子にも、価値についての同じ経験が見て取れる(そのために、ここでは、カントが孟子を読む手助けになる)。

カントと孟子は、大きさ差異がありながら、根本のところでは通底するものがある。ということは、逆に言うなら

を抱えている、とも言える。それは、道徳と「幸福」の関係だと言えるだろう。
上記の議論を考えてみよう。確かに、孟子の言う仁による統治が行われれば、また、カントの言う「人間の尊厳」に基づいた政治が行われれば、「世界平和」が実現するのかもしれない。しかし、たとえそういったことがどんなに、可能性としてありえたとしても、

  • 今ここ

において、一生を不幸な中のまま、まさに、死を迎えようとしている人がいるわけであって、じゃあ、こういった人たちの、無惨にも未練を残したまま、この世界を去っていかなければならない「不幸」はどうしてくれるのか?
つまり、孟子もカントも、今現実として、さまざまな不幸の中を生きている人たちの問題に、積極的な答えを与えられない。しいて、彼らがなんとか、言葉をつむぐ答えは、ストア派的な「ストイック」な生の肯定ということになる。
これをどう考えたらいいのだろうか?
このことについて、例えば、われらが東浩紀先生は以下のように言っている。

ぼくはぶっちゃけ、大多数の人間(ぼくを含め)にとって「リベラルな近代人」でいることはあまりに過酷で、要求水準が高く、休み休みでないとやってられないって意見です。人間はもっと野蛮でテキトーな存在ですよ・・
@hazuma 2016/01/02 17:45:17

ようするに、「啓蒙をあきらめましょう」とか、「もう人間の尊厳なんてムリ」とか、そういった「人間性へのあきらめ」「人間の動物化」といった方向に、ふりきれてしまっている。
民主主義なんて無理だ。なぜなら、そんなに人間は「立派」じゃないから。じゃあ、「管理社会」はしょうがない。国家が、国民の自由を制限することは「しょうがない」。もう、20世紀の立派な「おだいもく」は、あきらめよう、と言うわけである。
しかし、よく考えてみると、こういった態度こそ「ポストモダン」の主張だったわけである!

もう一人のレヴィは一九四八年生まれなので、六八年五月のとき二十歳前だった。彼は七八年に、雑誌で「ヌーヴェル天フィロゾフィー(新しい哲学)」についての特集を依頼され、グリュックスマンとともに「ヌーヴォー・フィロゾフ」として認知されていく。ここでは、レヴィが「間もなく三〇歳になる」ときに出版して、たちまちベストセラーとなった書物『人間の顔をした野蛮』(一九七七年)を取り上げ、「新哲学派」が何を主張したのかを確認しておこう。彼は『収容所群島』の衝撃を、次のように語っている。

では、『収容所群島』から、何が変わったというのだろうか。一言でいえば、ソヴィエト連邦の「収容所」が、単にスターリン時代の例外といったものではなく、マルクス主義そのものに根ざし、さらにはマルクス本人とその書物(『資本論』)に由来することだ。
フランス現代思想史 - 構造主義からデリダ以後へ (中公新書)

こうして、レヴィは鮮明にマルクスおよびマルクス主義批判を打ち出すとともに、他方で「新しい極左主義の流行」として、ドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』への批判も行なっている。レヴィによると、『アンチ・オイディプス』は「六八年五月」の運動を引き継いでいるが、基本的な発想はマルクス主義に依拠しているのだ。したがって、『アンチ・オイディプス』の思想もまた、「新しい全体主義」として、「人間の顔をした野蛮」と呼ばなくてはならない。
このような「新哲学派」のキャンペーンは功を奏して、七〇年代の後半になると、マルクス主義への信頼だけでなく、「六八年五月」への共感も、さらには革命的左翼への希望もすっかり消え去ってしまった。
それに追い討ちをかけるように発表されたのが、ジャン=フランソワ・リオタールの『ポストモダンの条件』(一九七九年)である。リオタールは、当時アメリカで流行していた文化概念「ポストモダン」を取り上げ、それに哲学的な定義を与えたのである。この概念はもともと、多様性や異種混合性などを特徴とした「ポストモダン建築」において使われていたが、リオタールは先進社会の知的状況をさす言葉へと拡大したわけである。
フランス現代思想史 - 構造主義からデリダ以後へ (中公新書)

リオタールがポストモダンを特徴づけるとき、「モダンの大きな物語は終わった」、と規定したのは有名な話であろう。このとき、モダンの「大きな物語」には、マルクス主義の原理(「労働者としての主体の解放」)も含まれている。したがって、リオタールのポストモダン論は、マルクス主義的な革命思想への葬送曲と理解することができるだろう。
フランス現代思想史 - 構造主義からデリダ以後へ (中公新書)

ソルジェニーツィンの『収容所群島』から始めた東浩紀先生も、基本的には上記のレヴィなどの「新哲学派」の議論の延長で考えていたわけで(というか、ソルジェニーツィン論なんて、そのものパクリなんでしょうね)、この「新哲学派」の

そして、さらにその延長としての

の流れ自体も基本的に踏襲している。しかし、ここに一つの「ねじれ」があって、彼ら「新哲学派」がソルジェニーツィン論の延長で、マルクス主義を批判したのは、ソ連の収容所国家の

への批判にあったわけであるが、それが、リオタールのポストモダン論を媒介として、東浩紀先生に至ると、むしろ、そういった管理社会という

こそが、

として「幻想」されるようになる。国家は国民への「福祉」を今の半分にすべきだ。そうすれば、「ユートピア」になるw これは一見すると、あまりにも「狂った」発言のように聞こえるが、彼らは本気なのだ。それは、

であり、

であるわけで、ようするに、「新哲学派」の本来の「人間性」の肯定には反していながら、こと

という「方向」において、一致している。ここにはある「反転」がある。道徳への「絶望」が、道徳への「あきらめ」や「疲れ」となり、

  • 人間の非人間的な扱い(=動物化)の肯定

を国家のセキュリティという観点からの「監視社会」化の肯定に至ってしまう。それは、ある意味において、一切の「肯定的」なものへの「絶望」や「ニヒリズム」と関係している。もはや、人間を人間たらしめているものを、それそのものとして肯定できない。人間の「全奴隷化」、つまり、「動物化」としての、ディストピア的な社会の中においてしか、一切の「リアリズム」を感じられない。
これは、どう考えたらいいのだろうか? 例えば、私たちが子供の頃の「いじめ」の記憶を参照してみればいいのかもしれない。子供の頃、凄惨な「いじめ」を受けた子供は、大人になっても、何度も何度もその記憶が反復される。どうしても、人が信じられない。きっと、こいつは「悪意」をもって、俺を「いじめ」ている。どんな相手にも疑心暗鬼になってしまう。もはや、彼には心の平安が訪れることはない。いつも、びくびくして、おびえて、逆ギレ的に、キレ続けることしかできない。
そうである限り、自分はどんな「卑怯な」ことをしても、自分は「いじめ」られているんだから「正義」だと考える。「かわいそう」なのは自分なのであって、悪いのは、俺を「いじめ」る周りなんだ、と。そこから、どんな「悪」を行うことも、ためらわなくなる。だれとも仲良くやろうとも思わないし、常に、周りの人を、なにかの「罠」にはめて、不幸にさせることを生き甲斐にするようになる。
しかし、である。
たとえそうだったとしても、それは孟子の文脈においては「悪」と位置付けられない。この状況は、どこか「功利主義」の発想に似ている。功利主義においては、そもそも「悪人」は存在しない。どんな悪を行った人も、それは、その人の子供の頃の「おいたち」において、なんらかの不幸ないきさつがあって、そのように考えるようになってしまったと考えるわけで

  • その人に責任はない

と考える。功利主義は、「すべての人の幸福の合計」の最大化にしか興味がないのだから、そういった悪人でさえも、「幸せ」になる最大化を考える。具体的には、そういった「犯罪者」と、その「被害者」を、絶対に未来永劫出会わないような、パラレルワールドの住人にしてしまえば、

  • お互いがそれぞれの世界で幸せになれば幸福は「最大化」される

と考える。
しかし、そもそも孟子の国家構想は、世界の「紛争」を最小化を意味していた。それは、カントの「世界平和」についても同様であり、あくまでも、それは「理念」としてあるわけである。つまり、上記の動物化(=人間の非人間化)にしても、功利主義にしても、それ自体が

  • さまざまな人間社会の「紛争」

自体の最小化をもたらすわけではない。それは、リオタールの「ポストモダン」が、新哲学派の「人間性批判」の延長で、マルクス自体すらを抹殺したことにもあらわれている。リオタールは確信犯的にマルクスを抹殺することで、マルクスの「人間性」すらも抹殺する。そして、その

を無条件に「肯定」する東浩紀先生は、まさに「教科書通り」に

だけでなく

なわけであり、

  • 資本主義全肯定

なわけであり、まあ、典型的な「ポストモダン」のイデオロギー

の部分を日本で代表する論客の一人として今に至っている、というわけである...。

道徳を基礎づける 孟子vs.カント、ルソー、ニーチェ (講談社学術文庫)

道徳を基礎づける 孟子vs.カント、ルソー、ニーチェ (講談社学術文庫)