浅野拓磨のサッカー

浅野拓磨については今さら言うまでもない、サッカー日本代表の選手であるが、DAZNでの「シュトゥットガルトVSハノーファー」の試合を見ていて、彼が久しぶりにワントップでプレーをしているのを見て、少し書いておこうかと思った。
この選手ほど、おそらく、多くの好き嫌いがはっきりする選手はいないのではないか、と思っている。森保監督の頃のサンフレッチェ広島時代は、後半の佳境に入ってから、佐藤寿人に変えて、登場するそのポジションはワントップであった。
なぜ彼が一部の専門家から嫌われるのか? それは、一言で言って、

  • 一般的な意味で

彼がサッカーが下手だから、と言うしかない。そもそも、サッカーエリートたちは「サッカーがうまい」ことをアイデンティティにしている人たちである。彼らが、試合に出られて、

  • 活躍

できて、クラスの女の子たちにちやほやされるのは、ようするに、サッカーが上手だからで、ここには明確な「ハイアラーキー」がある。彼らが自らに「自信」をもてるのは、自分がサッカーが上手だというところにあるわけで、そういった関係において、彼らサッカーエリートは、お互いを認めたり、尊敬し合ったりしている。
対する(おそらくは田舎の出身の)浅野は、そんな競争の厳しくない環境で育ったのだろう。じゃあ、なぜ彼が試合に出られているのかといえば、いちにもににもなく、端的に

  • 足が早い

から、ということになる。このことは非常に大きな意味をもっているわけで、この前の日本代表とベルギー代表の試合において、なぜ日本が善戦できたのかと考えると、明らかに、前線での浅野がベルギーのディフェンダーにとって「脅威」となっている。浅野の裏を狙う動きが、足が早いので、比較的に足の遅いベルギーのディフェンダーのラインはどうしても、それを警戒して、比較的に後ろ側に重心を置かざるをえなくなっている。そのため、前線とのコンパクトな陣形が保てず、日本の比較的にやりたいサッカーが前半は展開していたことがわかる。実際に、ベルギーが得点を決めたシーンは浅野が久保と交代して、その久保のミスから生まれている。
また、この傾向は近年の日本代表の試合においては、ずっと続いている印象を受ける。ブラジル戦にしても、前半の浅野がいない間は、一方的なブラジルのペースで、彼らは余裕で3点をはやばやととっている。また、オーストラリア戦も、足の遅いオーストラリアのディフェンダー陣が、浅野の裏を狙う動きに最後まで、嫌がり、コンパクトな陣形が難しくなっていたことが、日本の勝利の要因だと分析できる。
ハリルホジッチ監督ではないが、モダンサッカーの特徴は、ボールを中盤で奪ってからのカウンターだと言える。その場合、どうしても必要とされるのは、その中盤で奪ってから、ゴールに結びつけるまでの

であることが、決定的であるような印象を受ける。
しかし、そうであるとすると、上記で分析してきたような

  • サッカーエリート

たちには「おもしろくない」わけである。なぜ近年、中盤の「エリート」たちが輝けなくなってきたのか。それは、古くは中田に始まり、中村、名波、小野、そして今の代表の、香川、本田と続くわけであるが、彼らは確かにサッカーが「うまい」わけだが、上記の意味で、極端に足が早いわけではない(しかも、守備ではそれほど秀逸な才能を示していない)。確かに彼らの技術は怖くないわけではないが、そこは守備における

  • フォーメーション

における「バランス」の理論が確立してきた現代においては、それなりに「バランス」を意識すれば、ある程度の対処はできる。
しかし、そうなってくると、なんというか、もともとの最初の動機だった「サッカーエリート」のモチベーションが疑わしくなるわけである。日本サッカーの今の「育成方針」は、一言で言えば

である。これこそ、サッカーが「うまい」選手が自らの「うまさ」を観客に披露できる、最高に「サッカーエリート」が輝ける戦術であると言えるであろう。しかし、ハリルホジッチが自らこういった戦術に

  • ダメ出し

をしたように、近年、やたらとポゼッションにばかりこだわっているチームが、いつまでも、もたもたと後ろでボールを回している間に、中盤でボールを奪われて、カウンターを受けて、失点を重ねて負けるというゲームが繰り返されている。しかし、これに多くのサッカーエリートは耐えられないわけである。こんなことでいいはずがない。ただ足が早いだけの、サッカーが下手な選手が、なんであんなに活躍するのか、と。つまりこれは、サッカーエリートたちの

を巡る戦いであるわけである...。