すべての現実は「政治」である:第3章「旅」

今期放送されている、テレビアニメ「キノの旅」の第6話は、このラノベのシリーズの一つのシリーズものである「フォト」という少女を主人公とした物語の最初にあたる。
ある行商人の集団の中で「奴隷」として働かされていた少女「フォト」は、彼らから毎日、さまざまな虐待を受けていた。ある日、いつものように虐待をされながら、命令された野菜を洗う作業をしていると、彼女はこの野草に見覚えがあることに気付くが、それがなんだったのかまでは思い出せない。
そして、その行商人たちがテーブルを囲んで食事を始めようとしたとき、フォトはその野草が、普段は無害であるが、この「地域」においては、毒となるものであることを思い出す。彼女はそのことを行商人たちに伝えようと、大声をあげようとしたが、声が喉からでていかない。なんとかそのことを彼らに話し始めることができたが、彼らは彼女の言うことをまともにとりあげようともしない。そして、この後、その毒草によって、行商人は全員、毒による中毒死をしてしまう。たまたまその食事を食べられなかった「フォト」は生き残り、その後のストーリーが始まっていく。
ここには、ある興味深い視点が描かれている。
少女フォトは、もともとある宗教国家に住んでいたが、その宗教国家がこの行商人たちと商売をしたときに、たまたま元手のお金が足りなかった「交換」として、少女フォトが奴隷にされた。このことは

  • 旅とは何か

をよく示している。旅をするという場合、別にこれから旅人が行く国の人が、その旅人を「親切」に扱ってくれるという保障はない。つまり、その旅人をなぜ、その国家は「奴隷」にしないのか、といえば、別に大きな理由はないわけである。
(ただし、これが「商人」だった場合は別である。その場合、多くのケースとして、そういった商人は

  • 商人仲間といった「ネットワーク」(=商人の組合)

に所属しているため、そういったメンバーの誰かが被害を受けたといった場合は、その「ネットワーク」と、その国家の間のトラブルへと発展するからだ。)
これが「旅」である。
ところが、東浩紀先生は次のような形で、「観光」というものと特徴を説明する。

この二次創作は、本書の文脈につなげれば、まさに「観光」的な性格をもつものと考えることができる。というのも、それは特定の作品について、その一部を抜き出し、原作者が期待した読みかたとはまったく別の読みかたを、しかも原作者に対してなんの責任も負わずに「ふまじめ」に生みだす働きのことだからである。それは、観光客が、観光地に来て、住民が期待した楽しみかたとはまったく別のかたちで楽しみ、そして一方的に満足して帰るありかたと構造的に似ている。
両者に共通するのは無責任さである。観光客は住民に責任を負わない。同じように、二次創作者も原作に責任を負わない。観光客は、観光地に来て、住民の現実や生活の苦労などまったく関係なく、自分の好きなところだけを消費して帰っていく。二次創作者もまた、原作者の意図や苦労などまったく関係なく、自分の好きなところだけを消費して去っていく。
ゲンロン0 観光客の哲学

つまり、「旅」と「観光」は本質的に違うものなのだ! 旅とは、そもそも国家とは関係なく、個人の「責任」において行われる人生の中の一つの行為だということになる。対して、「観光」とは、まったく、そういったロマンティックなものとは違っている。
これは「経済活動」なのだが、そこにおいては「国家間ルール」の樹立が前提となっている。例えば、日本に外国人労働者がやってきたり、外国人留学生がやってきたとき、彼らに対して日本は

  • 非人権的扱い

を行うことはできない。なぜなら、そういったことを行えば「国際問題」となり。日本が世界中から非難を受けるからだ。
ここにおいて、「観光」とはそもそも、

  • 観光客の問題ではない

ということが分かる。これは、ツアーコンダクターである「企業」が、どうやって観光客からお金を儲けるのかの

  • ビジネス・モデル

に関係している。つまり「観光」とはひとえに、この観光を企画する企業が、どうやって「儲ける」のかに本質があるのであって、観光客とはその「客体」でしかない。観光客はある意味、

  • 観光を企画する企業に「操られて」楽しむ

客体でしかないことを意味する。
この「非倫理」性は、上記の東浩紀先生の引用からも伺える。観光客がなぜ「非倫理的」であることが許されると、東浩紀先生は考えているのか? それは、観光客が

  • 奴隷にされない

ことを知っているからなのだ。だから、旅の恥はかきすてとばかりに、旅行先で迷惑行為を続ける。これは、カントの『永遠平和のために』が生み出した、国際ルールが外国人に非人権的扱いを許さないことを「契約」として受け入れさせたのだから、

  • これ幸い

とばかりに、観光客たちは「迷惑」行為、「不謹慎」行為を行う。しかし、だれもこの「モンスターカスタマー」に対して文句を言えない。なぜなら、そんなことを言ったら

  • 国際問題

になるんじゃないのか、と恐れているからなのだ...。