2017-11-26から1日間の記事一覧

すべての現実は「政治」である:はじめに

私にはどうも昔から、繰り返し繰り返し、反復して現れる「ある言説」に対する いらだち がどうしても、耐えられない印象を受けてきた。それは、なにか 本質的 な問題を語っているかのような表向きで現れるわけだが、本当にそうなのか、が疑わしい。しかし、…

すべての現実は「政治」である:第1章「唯物論」

少し前にこのブログでも紹介したが、『カント入門講義』という、ドイツの方による一般向けに純粋理性批判の解説をしている本があるのだが、この最終章に、他のカントの本との関連の解説と共に、このカント哲学に対する 批判 が書かれている。これを読むと、…

すべての現実は「政治」である:第2章「ヘーゲルのカント批判」

さて。もう一方のカントへの批判なのだが、こちらはよりカントの主張への「不満」を表しているわけで、そこで何を批判者たちがストレスに思っているのかを、よく見極める必要があるが、それがよりにもよって、非常に 似ている わけである! カント自身は、原…

すべての現実は「政治」である:第3章「旅」

今期放送されている、テレビアニメ「キノの旅」の第6話は、このラノベのシリーズの一つのシリーズものである「フォト」という少女を主人公とした物語の最初にあたる。 ある行商人の集団の中で「奴隷」として働かされていた少女「フォト」は、彼らから毎日、…

すべての現実は「政治」である:第4章「エリート」

さて。前の第3章でのフォトの物語にはもう一つの興味深い視点がある。この行商人たちが毒草の入った食卓をかこんで、おいしそうに食事をしている最中に、この行商人の頭領の息子は父親にある提案を行う。 「お父様。お話があります」 食べていた頭領が、そ…

すべての現実は「政治」である:第5章「エロマンガ」

さて。東浩紀先生の「観光客の哲学」は、最初の章で突然、「二次創作」というタイトルで始まる。そして、これについては、前の第3章で引用したように、なぜか観光と二次創作の相似性を、「ふまじめ」「無責任さ」に見出そうとしている。 これは、どういう意…

すべての現実は「政治」である:第6章「政治」

さて。東浩紀先生の「観光客の哲学」には、次のような言葉がのっている。 ルソーは人間が嫌いだった。社会も嫌いだった。 ゲンロン0 観光客の哲学 しかし、そうだろうか? ルソーが「嫌い」だったのは、人間でも社会でもない。 政治 なわけであろう。これを…

すべての現実は「政治」である:おわりに

現代日本の法律において、結婚した男女は一緒の名字にそろえなければならないとなっているわけであるが、現代においても、九割以上は、男性の名字にそろえるのだという。おそらく、法律論議においては、そのどちらを選択するのかについては、 自由 なのだか…