競争社会の成れの果て

よく「競争」は「正義」との関連で言われる。大学受験は、ペーパーテスト一本の勝負の方がいい。なぜなら、それが「公平」だから、というわけである。むしろ、これ以外の「正義」はありえない、と。
しかし、統計的によく言われるように、実際の大学入学の分布は圧倒的に「お金持ち」の家の子どもばかりであり、貧しい家庭の子どもが恐しいほどに低い。
このことを、いや、貧しい家庭の子どもは親も「バカ」だから、子どもも親に似て(遺伝で?)、そうなるんだとか言って、むしろ「だから」これが「公平」なんだ、と持論をぶつ奴まで現れる、というわけであるw
まあ、こういった連中が言いたいのは、最後は「家族」至上主義だというわけなのだからw、これのなにが悪い、ということなのだろうわけで、まったく話が通じない。
どういうことかというと、「競争」が好きな連中が言いたいのは、ダーウィンの進化論における「弱肉強食」の世界のイメージなのだ。強いものが生き残り、弱いものは淘汰される。だから、大学受験は、ペーパーテストによって行われなければならない。それが世の中の

  • 真実

なのだから、というわけである。
しかし、である。
もし、この世の中が「競争」によって全てが成り立つと、どうなるか?

私はこのほど出版した新刊『中国人エリートは日本をめざす』の取材の中で、中国人エリートたちが取っている行動の大きな特徴を二つ掴んだ。
ひとつ目は「爆留学」だ。独立行政法人日本学生支援機構(JASSO)が行った「留学生に関する調査」(2015年度、図を参照)によると、在日中国人留学生数は約9万4000人と、全留学生中トップだった。全体の45%を占めており、実に留学生の2人に1人が中国人という計算になる。
もちろん、人口が多く、隣国であるため、これまでも日本に中国人留学生は多かったし、特筆すべきことではないのだが、近年の中国人留学生には、ある傾向が見られることがわかった。
それは、目指しているのが「東京大学」や「京都大学」「早稲田大学」といった難関校ばかりで、しかも、そこに合格するための進学予備校まで日本に多数、存在しているということだ。今の中国人留学生にはかつてのような苦学生のイメージはまったくなくなり、「爆買い」現象同様、「爆留学」といった様相を呈してきているということである。東大、早稲田の留学生の約5割が中国人。これが実態だ。
二つ目は「爆就職」だ。数年前に多く見られたコンビニ、居酒屋でアルバイトする中国人は減少し、日本を代表する銀行や商社、大手企業に中国人のホワイトカラーが就職している。
厚生労働省の調査によると、15年末時点で、在日中国人は約66万6000人。在留資格別に見ると、「技術・人文知識・国際業務」ビザの取得者は約6万人に上っている。「医療」「教育」「教授」ビザの取得者も増えており、ありとあらゆる業界、業種に中国人が広がってきている。
本の労働市場というと、長時間労働や硬直化した雇用制度など、ときには「ガラパゴス化している」「世界標準ではない」といったネガティブな評価も見受けられる。しかし、中国人から見れば、決してそうではない。
いかに中国経済が猛スピードで発展しているとはいえ、中国企業にはまだあまり導入されていないきめ細やかな研修制度や、世界各国に張りめぐらされた支社・営業所のネットワークなどが日本企業にはある。これらは戦後、日本企業が長い年月をかけて築き上げてきた貴重なものだ。
中国人エリートに東大も一流企業も食い尽くされる!?(前編)

ようするにどういうことか? すでにアメリカでは、大学または大学院の「かなり」の割合が、中国人になっていて、しかも大学そのものが中国人が振り込んでくれる「入学金」「授業料」に支えられて存在している現状があり、同じことが日本においても起きている、というわけである。
日本の大学入学を、完全な「ペーパーテスト」にした場合、特に、東大や京大や早稲田大といった、中国国内においても一定の評価がされる大学においては、特に、富裕層の中国人が、日本の中国人向けの、こういった上位大学向けの専門学校に通い、早晩、ほとんどの上位の大学の学生は、中国人が占めることになるだろう。というか、これと同じことはすでに、アメリカにおいて起きている。
なぜなら、中国の人口のボリュームが圧倒的に大きいので、たかだか成績優秀者のトップにおいても、その「割合」において、日本の成績優秀者に対して、人数割合において、何桁も超えて、上回るからだ。
世界中の特に、上位大学において、このような現象が起きるのは、こういうことで、世界中で非常にバランスの悪い現象を起こしている。
この現象には二つのパラメータが関係している。
一つ目は言うまでもなく、「富裕層」が関係している。お金があるから、子どもの教育に投資できるわけで、日本の富裕層に対して、中国の富裕層の方が、人数的にも金額的にも圧倒的に大きいから、日本の「成績優秀者」が中国の「成績優秀者」との

  • 競争

に負けるわけであるw まあ、もしもこれが「競争」なら、日本の凡庸な子どもたちより、中国の優秀な子どもを「入学させたい」よね、しかもお金をもっているから、いくらでも授業料を払うしw
そして二つ目の側面として、なぜ「中国」なのか、に関係している。これは「日本」についても言えるわけだが、なぜこういった「上位大学」といったものが、日本にも中国にもあるのかといえば、ようするに、日本社会が、こういった上位大学の卒業生を、他の大学の卒業生よりも「求めている」という現状があるからであろう。それは、大企業もそうだが、特に、

  • 国家官僚

において、際立っている。つまり、日本や中国においては、こういった国の中心的な役割として、社会に貢献する仕事をやりたいと思ったら、こういった上位大学に進学するしかない、という現状があるわけである。
しかし、よく考えてみるとこんな馬鹿げた話はないわけで、大学とはそもそも研究機関でしかないわけで、あくまでも「研究成果」によって評価される場所でしかない。つまり、大学とはその「教授」の一人一人が、どういった研究を行っているのかの差異がるだけであって、最初から、大学間の「階層」など意味がないのだ。
研究がやりたい学生は、その興味に応じて、大学を移動して、自分の関心に近い大学に編入する。たんにこの「ルール」があるだけなのであって、そうやって優秀な学生は勝手に優秀になっていく。これと、国家官僚や大企業が、そういった卒業生を「雇用」するかどうかには、なんの関係もない。
じゃあ、なぜ中国や日本はそうなっていないのか?
言うまでもない。なんらかの、「高学歴社会」を維持しようとする「圧力」が、この中国と日本には、昔から存在するから、と言うしかない。それは、もしかしたら「儒教」や「科挙」に関係しているのかもしれないし、ダーウィンの進化論が示唆しているような、「才能」至上主義的な

  • 差別

がこの二つの社会を覆っているからなのかもしれない...。