木村草太さんの「憲法第9条」問題への応答

以前、憲法学者の木村草太さんによる憲法第9条論に対する、篠田英朗や東浩紀による

  • なんくせ

について、このブログでも言及したが(映画「否定と肯定」から考えるいろいろなこと - martingale & Brownian motion)、まあ、その本人から、ある意味での

  • 応答

がされているのを読んだわけだが:

まず、政府解釈を確認しよう。確かに、憲法9条の文言は、「国際関係における武力行使を一切禁じている」ように見える。しかし、他方で、憲法13条は、国民の生命や自由を国政の上で最大限尊重しなければならない旨を定める。政府は、強盗やテロリストのみならず、外国の侵略からも国民の生命等を保護する義務を負う。この義務は、国家の第一の存在意義とでもいうべきもので、政府はこれを放棄できない。そこで政府は、外国からの武力攻撃があった場合に、防衛のための必要最小限度の実力行使は「9条の下で認められる例外的な武力行使」だとしてきた。
こうした政府解釈を「欺瞞(ぎまん)」と批判する見解もある。しかし、その見解は、「外国による侵略で国民の生命・自由が奪われるのを放置することも、憲法13条に反しない」との前提に立つことになる。こちらの方がよほど無理筋だ。さらに、仮に自衛隊が本当に違憲だとすれば、今すぐに自衛隊を解体しなければならないはずだが、自衛隊の即時解体までは主張しない。それこそが欺瞞でなくて、何であろうか。
(あすを探る 憲法・社会)9条の持論、披露する前に 木村草太

まず、憲法13条を自衛隊の「根拠」とする考えは、木村草太さんの考えかどうか以前に、今の政府解釈だ、ということなわけであろう。そうであるなら、木村草太さんに厭みを言うんじゃなくて、たんに、政府が「おかしい」と言えばいいのに、こういった「なんくせ」をつけたい連中はそうやらないんだよね。
そして、上記の引用にもあるように、憲法13条根拠論を否定するなら、今すぐ自衛隊の解体を主張しないのであれば、たんに「憲法違反」だよね、ということになるわけで、

  • だから憲法を変えよう

って、話にならないでしょう。ここは論理的に繋がならないのであって、憲法の改正を行うかどうかの判断と、実際に今が憲法違反なのかの判断がゴチャゴチャになっている。つまり、まずは自分の主張の筋道をはっきりさせてから、なにかを言えばいいのであって、適当に思いついたことを、その場その場で言っているだけだから、たんなるクレーマーになってしまっている。
ようするに、こういった連中はなにかに「甘えている」んだと思うわけである。憲法をまるで、自分の執筆活動のための「おもちゃ」くらいにしか思ってなくて、これをいろいろ「いじりたい」と言ってるだけなんだよね。
さて。次は、私の文脈からは、伊勢崎賢治さんの主張に応答しているように思われる:

また、この機会に、軍法・軍法会議の規定を憲法に盛り込もうとの提案もある。しかし、自衛隊法には、自衛隊員を規律する罰則が既にある。規律が不十分ならそれを改正すればよく、「軍法」に拘泥する理由はどこにもない。また、現行憲法でも、家裁や知財高裁のように、法解釈に関する最高裁への上訴権を認めた上で、専門裁判所を設置することは禁止されない。他の行政組織と異なる専門判断が必要だというなら、防衛裁判所も設置できよう。
(あすを探る 憲法・社会)9条の持論、披露する前に 木村草太

まあ、そうですよね。伊勢崎賢治さんの憲法9条改憲論が異様なのは、なぜ法律改正で済まないものと済ませられるものを混同しているのか、にある。それは本当に法律改正でやれないのか? なぜやれないと、あなたは思うのか、といったところの主張が弱いわけで、そういった状態で、いろいろなものをゴチャゴチャにして議論しているから、よく分からなくなるわけであろう。

他方、安倍首相による改憲提案に対し、「そもそも現行憲法でも、集団的自衛権の行使や安保理決議に基づく国連軍・多国籍軍への参加など、国際法上合法な武力行使はすべて可能であり、また、それを全面解禁すべきだ。よって、改憲は必要ない」との主張もある。この主張は、9条2項の「前項の目的を達するため」の文言は、侵略戦争に使う軍・戦力の保有だけを禁止する趣旨で挿入されたとする説(芦田修正説)を根拠にしている場合が多い。
しかし、政府が、集団的自衛権行使の全面容認が禁じられるとする根拠は、9条の文言だけではなく、統治機構の条文構造にもある。天皇統帥権と軍編成権があった明治憲法と異なり、日本国憲法は軍事権を類型ごと排除した。すなわち、日本国憲法の下では、国内統治作用たる「行政」の範囲を超えて、外国の主権領域で実力行使する「軍事」の権限を行使することは許されない。
「9条で禁じられない」という理由だけで軍事活動を認めれば、権限行使の責任の所在や手続きを憲法で統制ができないことになる。だからこそ政府は、行政の範囲を超えた軍事活動を営むことは憲法上不可能と考えてきたのだ。「9条は集団的自衛権の行使なども禁じていない」と主張する人は、統治機構論の体系的な理解に欠け、視野が狭すぎる。
(あすを探る 憲法・社会)9条の持論、披露する前に 木村草太

これは、ここのところ宮台真司が videonews.com でさかんに主張している「芦田修正説撤回論」なわけだけど、結局はなぜ今の政府見解が、このようになっているのかについての考察がない。
つまり、これらの共通するのは、憲法というのが、実際に今のこの日本で「運用」されている、「解釈」された何かであり、それに対しての、

  • 筋道

の通った「実際に運用されれいるもの」に対する、基本的な「手ざわり」のようなものを、おそらくは欠いているから、ということになるのだと思う。上記に挙げた四人。篠田英朗、東浩紀伊勢崎賢治宮台真司の特徴はいずれも

  • 政府を批判しない

ところにあると思っている。ようするに、ある種の「御用学者」的な感覚で、憲法9条は変えるべきだ、と言っているのだけれど、その主張は、上記にあるような、そういった今の政府と

  • 関係した

認識の延長における「筋道」に照して主張するのではなく、とにかく、

  • 日本は「普通」の国家にならなければならない

という、「御用学者」的な需要に関係して持論を展開しているから、他人には意味が分からない、密教的な「非合理」の「意志」で、クーデター的に憲法を「とにかく」変えてしまおう、といった野心が見え隠れしているわけであろう...。