水野良『グランクレスト戦記』

つい最近、映画館で「マジンガーZ」を見たら、彼ら世界平和のために戦っている主人公やヒロインが、作品の最後では、普通に「結婚」して、子どもをもうけて、その子育てをして、それこそが

  • 幸せ

なのだ、といった描き方がされているのを見て、基本的にこういった、まあ、ヒーロー物の作品がそういった

  • 結論

に至るというのは、少し興味深い印象を受けた。ようするに、若い頃は「やんちゃ」して、マジンガーZなんかに乗って、「世界平和」とかやっちゃってたんだけどw、そうやって世界平和っていう「目標」を、その若い間に達成しちゃって、後はその「平和」な世界で、非常に

  • 庶民的

「日常」を遅ることが「幸せ」なんだ、といったメッセージは、ほとんど多くの作品で反復されている。そして、世界平和のために戦っていた頃を「大変だったんだよ」となつかしむのと同じように、産まれた子どもの子育てに毎日を追われていた日々が「大変だったんだよ」と、まったく「同型」の形で、想起されるわけで、いや。そりゃあ、大変だろうけど、その二つを一緒に並べるというのもどうなのか、と言いたくはなる。
ようするに、お前が「子育て」を行う「年頃」になると、まるでそれを待っていたかのように、世界は「平和」になって、お前は、まさに、ご隠居様のように、田舎に籠って、子どもの育児にかかずらって、日々をあくせくできるという、なんとも暇な身分になれる、というわけで、そっかー。その年代になる青春時代に、それだけ、世界平和のために徹底的に戦ったんだね、って、いくらなんでも都合よくね? って感じだろうか。
まあ、同じような感想を掲題のラノベにも感じたわけであるがw
作品は、大工房同盟のマリーネと、幻想詩同盟のアレクシスの結婚式が、謎の勢力によって(というか、魔法師協会なのだが)妨害され、この結婚が破断になったところから始まる。ようするに、大工房同盟と幻想詩同盟は和解に至らず、この対立が続くという形によって、今が

  • 戦乱の時代

であることが前提となる。この結婚式で魔法学校の代表として祝辞を読むことになっていたシルーカは、この後、ヴィラールの契約魔法師になるため、ヴィラールの領地に向かう途中で、この契約が気に入らないシルーカは、放浪の日々を送っていたテオと契約を結んで、ヴィラールとの契約を破棄する。
ここで、だいたいのこの作品のフレームが完成する。まあ、マリーネとアレクシスの結婚の破断を境にして、両極の戦乱が拡大したというフラグなんだから、この二人がよりを戻すことで、フラグの回収がされる、というわけであり、もう一つの、なにものかによる「邪魔」(まあ、魔法師協会なのだが)が問題だったのだから、これがなんとかなれば「解決」する、ということが分かるであろう。
さて。この作品の何が「おもしろくなく」しているのだろうか? 作品の最初のテオとシルーカの出会いについては、よくある感じの、ラノベ

  • やれやれ系

といった感じで、まあ、そんなもんかな、といった感じなのだが、作品が進んでテオがより「出世」していくと、なんとも、人間味のない記述に感じられていく。
まず、シルーカとは、魔法学校の「エリート」である。しかし、テオはそもそも「読み書き」もろくにできない「田舎者」である。この時点で、シルーカは露骨に、テオを

  • 軽蔑

するはずではないか? そもそも「エリート」とは、そういった「人種」なわけであろう? ところが、シルーカがそういった様子を一切見せないどころか、シルーカはテオが、なぜかは分からない、戦(いくさ)の連戦連勝を続けていくごとに、しおらしく、テオの前では「乙女(おとめ)」な感じになっていく。
つまり、この「フレーム」を壊したくない一心で、テオは無敵の勝利を重ね続けるし、それを見てシルーカは、ほれなおす、というわけである。なぜテオがそんなに「強い」のかということは、彼の「庶民感覚」が重要なポイントとして描かれる。つまり、彼は「貴族」然としていない。だから、大衆から、どこに行っても「好意的」に受け入れられる、というわけだが、まあ、こんなところに、「民衆革命」の要素が取り入れられているわけであるが、しかし、そのこととシルーカの

  • エリート意識

は別なんじゃないだろうか?
作品としては、こんな感じなのだが、この枠組みをもう少し複雑にする補助線として、ヴィラールとミルザーがいるのだが、この二人は比較的最初の方で、あっさりと死んでしまう。
ヴィラールは、シルーカを契約魔法師としようとした領主であるが、彼の特徴は、彼の契約魔法師は全員、女性だということと。25歳で全員解雇する、という規約を作っていたことにある。なぜ25歳で解雇するのかというと、いつまでも、彼女たちを彼が縛っていては、彼女たちが結婚して子どもを産むという

  • 女性としての幸せ

を掴めないことが「かわいそう」だからだ、と言うわけである。
確かに、このヴィラールは、あっけない形で亡くなるわけだが、ここで示したポリシーには一つの観点がうかがわれる。というのは、別に、女性の契約魔法師たちを、「解雇」しなくても、恋人を作り、恋愛をし、子どもを産みながら

  • 仕事を続ければいい

だけだからだ。というか、「そのため」に、彼女たち契約魔法師は

  • 難しい「大学」

に入って、立派な「エリート」になったわけであろう。それは、シルーカにも言える。テオの将来の夢は地元に帰って、田舎の家の近くで、農業をやることだ。まあ、彼にとってはそれは、身の丈に合った、生き方といったものなのだろうが、シルーカにとってはどうだろう? 彼女は、せっかく高学歴の大学を卒業して、

  • キャリアウーマン

になったのだから、年齢を重ねても、そういった「キャリア」を大事にしたいという気持ちはどこかにあるのではないのか?
さて。もう一人の重要な登場人物にミルザーがいる。彼も早い段階で死んでしまうわけだが、彼の重要な役割は、マリーネの処女を奪うというところにある。これによって、マリーネは心のどこかにあった、アレクシスへの想いを断ち切るわけだが、この件については、作品の最後では以下のように、まとめられる。

「マリーネ・クライシェ、どうか、わたしの妃となってほしい。わたしの聖印も、わたしの命も、わたしの愛もすべてキミに捧げよう」
マリーネはアレクシスを見下ろし、哀しそうに首を横に振った。
「受けられない。わたしには受ける資格がない......」
マリーネは涙を流しながら、かすれた声で言う。
「どうして?」
アレクシスは悲しげに問う。
「わたしはダルタニア太守に身を任せたの。一度きりだけど、純潔を失ったのは間違いない......」
その言葉に、アテクシスは衝撃を受けたようだった。
「キミは、ダルタニア太守を愛していたの?」
「いいえ......」
マリーネはふたたび首を横に振る。
「だったら、なにも問題はない。純潔であろうとなかろうと、キミが君でなくなるわけじゃない。大切なのはわたしが君を愛しているということであり、キミがそれを受け入れてくれるかどうかだけだ」

うーん。これさ。マリーネがアレクシスを

  • あきらめる

ための「伏線」だったんじゃないんですかね? 全然、そうなってないじゃん。役に立ってない。こんなことでいいの?
そこで、私なりに、この作品を次のように、ストーリーを変えると「おもしろく」なるんじゃないですかね。
まず、この作品を一番、おもしろくなくしているのが、シルーカが「おとなしく」なってしまう、ことであろう。そこで、テオとシルーカの関係は、最初に出会ったときと同じ関係。つまり、

  • やれやれ系

で最後まで通す、というのはどうだろうか? テオはどこまで行っても「さえない」オタクでw、基本的にシルーカは、テオを、どこまでも馬鹿にしていて、彼女の唯我独尊で、好き勝手に、戦乱の世を、はっちゃかめっちゃかに、かきまわす。
そして、ミルザーとマリーネの関係は、たった一回の逢瀬ではなく、ステイブルな関係となって、ミルザーが亡くなる直前まで、日常的にセックスを行う関係であって、実子すら身籠る。しかし、「それでも」アレクシスは、マリーネとの結婚を求める、と。
まあ、これくらい「複雑」にすると、少しは深みのある作品になるかな、と思うけど、まあ。面倒くさい、と言われて終わりかもしれませんがね...。