私たちは「忖度」社会とどう戦えばいいのか?

映画「ペンタゴン・ペーパーズ」は、公開初日に見に行ったが、ここで描かれた主題は、ニューヨーク・タイムズが、政府による「法律違反」の疑いがあるといった理由による、出版取消の圧力にも関わらず、出版に踏み切って、実際に裁判においても、「報道の自由」を理由として勝訴を勝ち取るところにあった。この問題の重要性は、当時、泥沼のベトナム戦争が続いていたが、その「戦果」が実際には思わしくないにも関わらず、政府は嘘の発表をし続けていて、じゃあ、なぜ戦争を続けていたのかといえば、当時の大統領の「プライド」から、止める選択をできなかったという

  • だけ

の理由だったことが、政府の「極秘文書」の内部告発によって明らかになったことであり、その間に、アメリカの若者がどれだけの

  • 死者

を生み出したのかを考えただけでも、このニューヨーク・タイムズの「行為」が重大の公的な「正義」に関係していたのかをよく示している。
そして、この後、ウォーターゲート事件として、当時の大統領が、さまざまにニューヨーク・タイムズに圧力をかけ、情報を握り潰そうとした事件が続くわけであるが、そこについては、映画では、最後のシーンで示唆するだけの作りとなっていた。
しかし、このウォーターゲート事件と、今回の森友学園問題は非常によく似ている、と言われていて、事実、この問題の

  • 長期化

を含めて、非常に似た様相を示していることが分かる。
ところで、今回のこの森友学園問題に関連して、佐藤優さんが以下のようなことを述べている。

邦丸:今後の展開なんですが、焦点はやはり佐川さんがどこまで関わっていたのか、佐川さんに「官邸の意向」を伝えた人間がいるんじゃないかーーつまり、最終的には官邸まで行くのかどうかという話になりますよね。
佐藤:そこのところは非常に難しいんです。というのは、政治家が使う「永田町言語」というものがあるんですよ。
邦丸:はい。
佐藤:たとえば、ある不手際が起きた時、政治家が「オレは気にしていないぞ」というのはどういう意味だと思いますか?
邦丸:文字どおりそのまま受け取ってしまいますね。オレは気にしていないと。
佐藤:永田町では、「お前のほうが深く反省して、なにか措置を考えろ」という意味です。
邦丸:なるほど...。
佐藤:他にも、たとえば「邦丸局長、最近忙しそうだな。オレ以外の政治家の間をチョロチョロしているのか」とか、「今度、邦丸局長に挨拶に行くと伝えておいてくれ」というのは、「すぐに来い」という意味で
す。
邦丸:はあ〜〜...メンドクサイ世界ですね。
佐藤:でも、それを読み解けないと局長以上まで行けないんですよ。そんな明示的、直接的な指示なんて、永田町の住人がするはずないじゃないですか。
邦丸:わかりやすい指示はしないわけですね。
佐藤:あり得ないです。そこは忖度力。こうした能力は、普段は「思いやり」とか「気配り」と言われるんですが、事件化すると「忖度」になるんです。
邦丸:ははは。
佐藤:忖度力がなければ生き残れないわけですよ。
強いて言うなら、「邦丸学園についてだけどな、特に公平にな」とか。これくらいですよ。
どうも、官邸は邦丸学園に関心があるらしい。「特に公平」にと言っているけど、そもそも「公平」なのに「特に」ってどういうことだ?とか、官僚はいろいろ考える。で、これはちゃんとやらないといけない、ということで調べてみると、どうもだいぶ近いようだと。
邦丸:ふふふ。
佐藤:あとは、「邦丸学園、最近頑張っているな」とか。政治家が言うのはこれぐらいですよ。
邦丸:つまり、言質は絶対に取らせないわけですね。
佐藤:絶対に取らせません。全部録音されていても大丈夫。
邦丸:はあ〜〜。
財務省・佐川前理財局長が、これからたどる「苦難の道」(佐藤 優) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

人によって、さまざまな感想をもつかもしれないが、例えば、IT業界のような、基本的にその「技術」が

  • 汎用的

なスキルに関係しているものの場合、自らが「所属」している会社というのは、あまり大きな意味がない、と考えることもできる。というのは、そこが居づらいのなら、別の会社に移っても、基本的に、それほど、それ以降に行う業務が変わるわけではないからだ。
私は少し前に、このブログで、もしも

  • 部下が上司に「法律違反」の業務を命令された場合

について、そこで「部下」の「責任」を問うことには限界があるのではないか、といったことを述べたわけであるが、なぜ私がそう考えるのかというと、そもそも、上司と部下には、情報の非対称性があるからである。
ここで、

  • 部下が上司に「法律違反」の業務を命令された場合

と言ったが、そもそもここで、なにが「法律違反」なのかを部下の側が選別することは、それほど簡単ではない。実際、それほど「はっきり」している場合は、上司も部下に指示などしないわけで、この命令によって部下が行うことになる行為が「法律違反」になり、部下に「責任」が発生するかを、容易に部下が判断できないから、上司は部下に指示をするわけであろう。
このことは、雇い主と「派遣社員」の関係においても言えるわけで、大事なポイントは、上記のようなIT業界のような状況にあるなら、被雇用者側は、雇用者側の命令が

  • 気に入らない

なら、そもそも、計画的にその会社を辞めて、別の会社に移ればいい、と言えるわけである。
そして、実際問題として、裁判所は多くの場合、上司の「命令」によって部下が「法律違反」を行ったといった事実認定がされた場合には、部下の側の「責任」をほとんど問うていないのではないか? それは、明確な「権力関係」が認定されるからで、それだけ上司による権力関係を利用した

  • 命令

の「強制力」の大きさを考えれば、当然の判断となるのではないか。もしもその「命令」に従わなかったとこで、大きな人事的な「差別」を課されることが想定されるなら、そのこと自体が、この会社にい続けるモチベーションを著しく下げるわけで、おそらく、形式的には裁判所も部下の行為に「有罪」を課すだろうが、実際の量刑においては、情状酌量を上司に比べて、大幅に付けることになることが予想されるわけである。
そういった意味では、上記のようなIT業界のような状況においては、いわゆる「忖度」問題は大きな問題とはなりにくいわけである。
対して、佐藤優さんが上記の引用で語っているような、国家官僚の場合、まったく状況は違っている。
つまり、国家官僚社会は、完全な「忖度」社会であって、政治家は絶対に、官僚に「命令」をしない。いや、命令をしないのではなくて、ポール・ド・マン言わく、

  • 隠喩

によって、政治家は官僚に「命令」をするのだ! だとするなら、あとは

  • 裁判所

が、その「隠喩」の隠された「命令」を

  • 認定

すれば、政治家の「責任」を問えるということになるのではないか! 私は長期的には、今回の森友問題は裁判に過程で、政治家の「責任」が認められる結果になるのではないか、と思っているが、その道程は、おそらく長くなるだろう。私たちは今を生きているわけで、もっと直截に、国民による、安倍政権への「裁き」こそが、まず第一に行われなければならない道筋だろう、と考える。そして、その明らかな、「政治責任」の評価を、どうやって国民が行うのかが問われている、と考えるわけである...。