フランスの学生デモ

フランスで学生デモが活発になっている、という記事を見た。

フランスで、学生が大きなデモとストライキをやって、キャンパスを封鎖している。
職員や教授で参加している人もいる。
全部の大学ではないが、完全封鎖の所もあれば、機能の一部が止まっている所もある。
もう2周目になる(もっと長いところもある。大学によって異なる)。
フランスの大学生がデモとストライキで大学を封鎖している(1) マクロン大統領の教育改革の何に反対か(今井佐緒里) - 個人 - Yahoo!ニュース

しかし、私が不思議に思ったのは、ここに書いてある内容というより、この事態に対する、この記事を書いている人の「反応」の方であった。

なぜ学生はストライキをしているのだろうか。
マクロン大統領の大学入学改革に反対しているのだ。
「大学の入学で生徒の選別をするな」といってデモとストをしているのだ。
つまり、すべての機関において生徒を全入させろと主張しているのだ。
具体的には、3月に法制化が公布された「学生の成功とオリエンテーションの法律」への反対である。
この新しい法律は、大学入学における生徒の選別を事実上合法化するものだ(その他にも色々な要素を含んでいる)。
なぜ反対なのか。教育はすべての人のものだから。選別はフランスの国是「自由・平等・博愛」に反するからである。
彼らの訴えは、男女差別問題、移民問題なども含んでいる。
この選別によって、弱い立場の者ーー例えば女性とか、移民で定住した人とか、貧しくて学業が振るわない者とか、成績が伸びない者などが選別されて大学へのアクセスが制限されてもいいのか、という問いかけをしている。
学問は平等ではないのか、この国は平等の国ではないのかーーと。
フランスの大学生がデモとストライキで大学を封鎖している(1) マクロン大統領の教育改革の何に反対か(今井佐緒里) - 個人 - Yahoo!ニュース

「生徒の選別を事実上合法化」することに反対しているーーこれを聞いた日本人は「えっ、大学に入るのに生徒の選別がないの?」とさぞかしびっくりするだろう。
今まで選別はなかったのか。
驚くべきことに、建前上はないことになっていたのだ。
フランスは、平等を目指して革命を起こした国だから。特に「学校は聖域」という意識が強いのだ。
選別はタブーの話題なのである。
フランスの大学生がデモとストライキで大学を封鎖している(1) マクロン大統領の教育改革の何に反対か(今井佐緒里) - 個人 - Yahoo!ニュース

フランス人から見たら、日本はどう映るのだろうと考えることがある。
いたいけな15歳から高校入試で選別が始まるなどとは、恐るべき人間差別。ましてや制服で一目で高校のランクがわかるなどというのは、まるで収容所の囚人のようなマーク付けに映るのではないか。
ましてや、5歳や11歳のときから「お受験」が始まっているとあっては、それは「カネにまみれたアメリカ資本主義社会」であり、批判する気も起きないほど「自分たちとは違う、別世界の国の話」だと思うだろう。
公立高校のほうから進んで予備校と連携する最先端の教育事情に至っては、「資本主義の末期症状」と思われるのは間違いなく、「腐っている」と思う人すらいるだろうな、と思う。
正直に言って、そういう腐った(?)日本から来た私には、たとえ理想主義すぎるとしても、「学の平等」「人間の平等」を求めてデモをする若者に感動してしまう。たとえ若さをもてあましているにせよ、反抗がカッコイイだけの人もいるにせよ、それでもこうして立ち上がる君たちは素晴らしい、と思う。
フランスの大学生がデモとストライキで大学を封鎖している(1) マクロン大統領の教育改革の何に反対か(今井佐緒里) - 個人 - Yahoo!ニュース

この話に私が違和感を覚えたのは、そもそも、こういった

  • 主張

を、この日本でも、昔から今に至ってもしている集団がいたことに、なにもふれていないことなのだ。つまり、

である。革マルでも中核派でもいいけれど、なぜこの記事を書いた人はそのことにふれないのだろう? こんな海外事情に精通した、インテリっぽい記事を書いている人なのだから、それなりに、日本の大学にいたこともあるはずだし、知らないはずがないと思うのだが。
日本の新左翼がやると、立花隆の本でも読んで、内ゲバで、バールで殴り合っている、オウム真理教のような「怖い」人たちといったイメージで語っておいて、他方で、フランスのパリの学生がやったら

  • カッコイイ

とか

  • 素晴しい

って、なんなんだろうね。
近年の、高校無償化、さらに大学無償化へ、といった日本の議論がさかんになってきたのは、言うまでもなく、民主党政権における「子ども手当」「高校無償化」といった政策が、今の自民党にさえ、大きな影響を与えていることの延長であるわけだが、それは、日本維新の会を中心として、今のモリカケ問題が象徴しているような、

  • 公共教育の民間への払い下げ

といった「利権」含みの運動と平行して行われてきた。地元の公立の幼稚園や保育所を「廃校」にして、そこに、大阪維新の会の議員に関係した、最初から利権が目当ての「私立」の幼稚園や保育所が作られる。そうやって、公立の教育機関

  • 破壊

することによって、私立の「金儲け」が最初から目的の学校が、生徒獲得の「競争力」を確保しようとする。しかし、こういった「目的」の授業料を無料にすることが何を意味しているのか? 当然、こういった学校は「自由」な「ブジネス」が保証されるのだから、授業料は

  • 青天井

で設定する。当然、授業料を高くすればするほど、お金持ちの子どもしか学校に入れないわけだが、ここに「錬金術」がある。つまり、「高校無償化」である。授業料が高いなら、国家が公金で払えばいい。つまり、

  • いくらでも、こういった学校はお金を儲けられる

という構造ができあがる。
こういったことから、アメリカでは、あまりにも大学に通うのにお金がかかりすぎて、教養過程の授業のない、1年間の大学が増えている、なんていう話も聞く。
私が「文化資本」といった話をまゆつばに思うのは、こういったことにあるわけで、そもそも「教育」とのたまうなら、それは「平等」でなければならないのではないのか、といった「前提」をすっとばして話している、その態度がうさんくさいからなのだ。
日本のインテリに特徴的なのは、まず、多くの日本のインテリが「東大出身」であることと(そして、彼らの多くは、東京の数えるほどの進学校の出身である)、彼らが口をそろえて、

  • 左翼を嘲笑

することにあるわけであろう。こういったインテリは、一方でそういった「左翼フォビア」を隠しもせず、ひけらかすわけだが、他方で、その「アンチテーゼ」としての、国家権力、つまり、

に「シンパシー」を感じている。つまり、この二つの態度は、鏡の両面のように、彼らの「生活態度」を規定している。
おそらく、そこには、ある種の

  • 才能信仰

のようなものがあるのだろう。つまり、「偏差値」信仰である、というか、そもそも彼ら自身が、その「偏差値」なるものによって、東大に入って、今の地位を得たのだから、それに対する「評価」と、自らへのエスティームが重なっていることは、彼らの実存において自明なのだろう。
しかし、そのことと上記のフランスにあるような、「(左翼的な)平等」は真っ向から対立する。そこから、彼らの「左翼フォビア」は始まる。つまり、その、なんとしてでも

  • 受け入れられない

自らの自尊心の根底のところを、「左翼」が否定しているという意味で、彼らは進化論が好きだし、「差別」を「感情」によって正当化する議論に「寛容」だ、というわけであるが、そもそものそういった態度が、もともとの

と相性が悪いことが、彼らの態度の「保守化」的な非合理性を生み出している、というわけである...。