ロシア大会のVAR

私は今回のW杯はアジアのチームを中心に見ている。というのは、アジアのチームの成績によって、またアジア地域のW杯への参加チーム数の増減があると考えているからだ。私はなぜ多くの日本人がそういった意味で、

  • アジアを応援する

というモチベーションをもたないのか、不思議に思っているわけだが。
そういった意味で、今のところ、日本を除いて、いい肯定的な成績を残しているチームは、ひとまずはイランだろう。昨日のスペイン戦は負けたが、最小失点に抑えているわけで、まだ、第3戦に可能性をつないでいる。
一昨日の日本の勝利は、もちろん、開始そうそうの「神風」によって、大きくは大勢は決していたわけであるが、これをたんなる「偶然」と考えることは本質を見誤るだろう。
ポイントは日本の立ち上がりのハイプレスから、前線でのゴール前でのプレーに帰結しているわけで、基本的にこれはハリルJAPANの戦術の延長なのだ。
しいて西野監督の今回の戦略を言うなら、香川、乾、柴崎といった、いわゆる「攻撃的」選手を積極的に使っていることであろう。香川のような攻撃的選手は、いわば

  • 飛び道具

なのであって、はまれば興味深い攻撃的な場面を演出する。西野監督はそういった彼らの肯定的な側面を重要視して、彼らを先発にしてした。いわば、その戦略が上記のハリルばりのハイプレスとあいまって、「はまった」わけである。
(もちろん、それ以降の日本の攻撃はそこまでハイプレスを全面に出したものではなかったが、それは、その立ち上がりの得点と相手10人といった状況の「変化」が、生起させた「次のフェーズ」なのであって、この違いは厳密に分けなければならないだろう。)
一応、今回の監督交代「問題」を、ふりかえっておくとすると、このブログで中心的に問題としてきた

  • 選手クーデター説

についてはひとまず置くとして、田嶋会長自身が「総合的」と述べていたことからも、私たちはその理由を「複数」の仮説から考えざるをえない:

  • 田嶋コントロール説 ... そもそもハリルは田嶋が連れてきたスタッフではない。そういう意味で、最後の最後で、ハリルが広告スポンサーと対立した行動をした場合のリスクをとれない、と考えたのではないか、という疑惑。
  • 日本化圧力説 ...次の東京五輪とも関連して、主に保守派議員を中心として、オールジャパンのスタッフで行え、という「圧力」があったのではないか、という疑惑(ここには、日韓戦での敗戦の後にハリルが韓国に比べ日本が実力で劣ると述べたことへのポピュリズム的な反発への対応も強いられただろう、ということも含む)。
  • スポーツ学閥クーデター説 ... 以前から早稲田閥の問題が言われているが、ハリルのサッカーの方向性(アンチ・ポジッションやデュエルなど)が彼らの過去からの指導方針との相性の悪さが、自らの「正当性」を脅かしれいると受けとられてのクーデター。
  • コロンビアリベンジ説 ... W杯の予選組合せの結果、前回大会で屈辱的に破れたコロンビアとの再戦が来まったこと(つまり「連戦」となったこと)で、必然的にそこで失墜した日本国内の指導者たちの指導方針の「正当化」の回復のために、どうしても前回と同じ「僕たちのサッカー」スタイルでのリベンジを目指さなければならなくなった事情から、ハリルのサッカースタイルが邪魔になってしまったため。
  • 川淵説 ... 以下のツイッターでの発言にもうかがえるように、彼が田嶋を陰で操っているため:

ハリルホジッチ監督の時、ほとんど勝てる可能性がないので、オランダ、イタリア、アメリカのサッカーファンのことを考えれば出場出来るだけラッキーと考えてW杯を楽しんでくださいと講演などで話していた。西野監督に変わった今は何か起きるかも知れないというドキドキ感が今朝になっ自分に出てきた。
@jtl_President 2018/06/18 15:59

しかし、いずれにしろ西野監督はこの問題に一定の答え(まあ、「けじめ」というわけだが)をだしたのではないだろうか。それは、「選手クーデター説」に対して、本田を「先発」から外したことが、すべてを象徴していたように思われる。
こんな時期に監督交代をして、しかもその理由さえ、まともに説明できない。こんな「体育会系」の、上位下達の理不尽なことをやっていたら、世間からサッカー界は見放されてしまう。そういう、西野監督なりの、田嶋会長であり、その上層部の関係者へのメッセージを、初戦の先発メンバーから本田を外すということに込めたんじゃないだろうか。
本田の問題は、実際にところ、ハリルの時代でも何度も代表に呼ばれていたわけだが、その理由は彼も上記で言うところの

  • 飛び道具

であり、今の日本代表を眺めても、左利きがいないことからも、彼には彼なりの利点があるわけで、彼が実際問題として代表に選出されること自体は争点ではない、ということなわけであろう。
ではなぜ、西野監督は香川などの「攻撃的」選手を先発で起用したのか、ということになるが、それは結局のところ、西野監督には、このチームを率いての

  • 成功した範例

が一つ前のパラグアイ戦しかなかった、というのが実際なのではないか。香川はその一つ前のスイス戦で途中交代でプレーしたわけだが、そのときも、いわゆる

  • ワンタッチパス

を狙いに行って、それは成功していなかったが、それまでの本田の「停滞」した状況との違いを伺わせていた。いずれにしろ、パラグアイ戦で西野は、香川、乾の「元セレッソ大阪コンビ」で、唯一の具体的な「成功体験」をもったのだから、この時のメンバーに賭けるしかなかったわけであろう。
対して、コロンビア側の敗因はなんだろう?

この重要な初戦でアルゼンチン人指揮官は、CBとセントラルMFの一角に、ともにバックアッパー扱いだったオスカル・ムリージョとジェフェルソン・レルマを先発起用。さらに左サイドのアタッカーには、ここまでわずか5キャップでスタメン歴が一度もなかったホセ・イスキエルドを抜擢した。
なぜ4番手CBが先発だった?あまり報じられぬコロンビア敗北の要因 - ライブドアニュース

まあ、一言で言ってしまうなら、コロンビアは日本をなめていたし、上記のセンターバックの、今回の件でレッドカードになっていることへの、問題意識の低さが気になるわけである。

まずカルロス・サンチェスがなぜ「ハンドリング」を取られたのかについて。「競技者が手または腕を用いて意図的にボールに触れる行為」は競技規則で「ボールを手で扱う反則」と定められている。その際、以下の条件が考慮される。

  • ボールの方向への手や腕の動き(ボールが手や腕の方向に動いているのではなく)
  • 相手競技者とボールの距離(予期していないボール)
  • 手や腕の位置だけで、反則とはみなさない。
  • 手に持ったもの(衣服、すね当てなど)でボールに触れることは、反則とみなされる。
  • もの(靴、すね当てなど)を投げてボールにぶつけることは、反則とみなされる。

今回の場合「相手競技者とボールの距離」は十分に離れており、「ボールの方向への手や腕の動き」があったために、カルロス・サンチェスにはハンドリングの判定が下された。
そして、本来ハンドリングの場合は直接フリーキックが与えられるが、今回はその反則がペナルティエリア内だったため、日本にPKが与えられた。
もう1つ議論されるのは、カルロス・サンチェスが退場になるべきだったか、そうでなかったのかという点だろう。今回のケースで懲戒措置の対象になったのは、競技規則に定められている「相手の大きなチャンスとなる攻撃を妨害、または阻止するためにボールを手または腕で扱う」という点が理由だろう。
いわゆる「反スポーツ的行為」とされるもので、上記であればイエローカードによる警告で済むが、「意図的にボールを手または腕で扱い、相手チームの得点または決定的な得点の機会を阻止する(自陣ペナルティエリア内のGKを除く)」場合はレッドカードの対象となる。
例えば香川がペナルティエリア内でタックルを受けてファウルの判定を受けていれば、カルロス・サンチェスは「その反則がボールをプレーしようと試みて犯された反則だった場合、反則を犯した競技者は警告される」という規則にのっとってイエローカードだった。
だが、「競技者が、意図的にボールを手や腕で扱う反則により、相手チームの得点、または、決定的な得点の機会を阻止した場合、反則が起きた場所にかかわらず、その競技者は退場を命じられる」と定められているため、カルロス・サンチェスのレッドカード退場は妥当だったのである。
今回のケースはペナルティエリア内ではあっても単純なファウルとハンドリングを切り離して考えなければならない。
香川のシュートはゴールの枠に飛んでおり、カルロス・サンチェスが触れなければ、そのまま得点になっていた可能性が高かったため「決定的な得点の機会を阻止」したことになり、さらに「意図的にボールを手または腕で扱」ったためにレッドカードが提示され、反則を犯した位置がペナルティエリア内なので日本にPKが与えられた。
開始3分の一発退場は妥当だった。コロンビアMFのハンドにVAR介入の余地なし【ロシアW杯】(フットボールチャンネル) - Yahoo!ニュース

上記の引用は「ルール」としては、この通りだ。しかし、往々にして、こういったケースでも、レッドカードにまではしない試合というのはあるようなのである。それは、結果としてPKを与えているわけで、それなりの「懲罰」は受けているから、ということになる。
しかし、だとするならなぜ、今回はこのような「厳しい」裁定になったのだろうか?
それは早い話が、これが「ビッグイベント」だから、と言うしかない。よく考えてみてほしい。もしもサッカーで

ようになったら? なおさら、サッカーは点の入らないスポーツになり、その娯楽性を著しく下げることになるだろう。つまり、これは今後のどこの世界のサッカーにおいても

なんてことを起こさせない、ための「ルール」主導の

  • 理念

をメッセージしているわけである。もちろん言うまでもなく、コロンビアが10人になったことで、このゲームの娯楽性は下がっただろう。しかし、そうだとしても、それを受け入れてあまりある「メッセージ」を全世界に伝えなければならない使命が、こういった国際大会にはあるわけである。
考えてみると、この試合でも、コロンビア選手はさかんに「シュミレーション」と疑われても仕方がないプレーを連発していた。そのことは、こういった不利な状況では彼らにとっては本能のようなものなのかもしれないが、そういった「考え方」自体が、今回のレッドカードを招いている、というようにも私の視点からは言いたくなる。
さて。今回のロシア大会はVARが採用されている。これについては、以前、このブログで私は批判的な論陣をはった。そして、基本的に今もその考えは変わっていない。ただし、今回の大会の場合に注意がいるのは、今回採用されているVARは、単純VARではなく、少し「こった」嗜好がこらされているところにある。

導入した際の重要なポイントは、VARの目的を理解することだ。これは決して、正しい判定を探すためのシステムではない。試合結果に重大な影響を与える、"明らかな間違いと見逃し" に対して使用されるものだ。例えば、7:3でエキスパートの意見が分かれるような場面は、ビデオ判定の対象として適当ではない。フットボールはそもそも主観的なスポーツだ。ビデオ判定を濫用すれば、より大きな混乱と、試合の停滞を引き起こす。
この考え方はレフェリーのVARトレーニングでも重要項目とされており、同時にファンや選手、監督を含めて理解されれば、ロシアW杯でもスムーズな運用が可能になるだろう。
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サッカーメディア『フォー・フォー・トゥー』オーストラリア版によると、ファン・マルバイク監督は試合後会見でこの話題に言及。担当主審に対して「5万人の前で主審をするのは非常に難しいし、彼には疑いがある」と述べると、「近くで見ていて、いったんは流したはずなのに......」と恨み節。「誰もが間違いを犯すものだ」と婉曲的に批判した。
なお、VARの介入は「明白かつ確実な誤りがあった場合」だけに限定されるというルールになっており、今回の事例はそれにあてはまるか不明瞭な部分も。この日はペルー対デンマーク戦でも、VARによってペルーにPKが与えられていた(結果はPK失敗)が、今後も判定への介入が起こるたびに議論を呼び起こしそうだ。
やはり出てきたVAR批判…PK与えたオーストラリア指揮官「誰もが間違いを犯す」(ゲキサカ) - Yahoo!ニュース

例えば、なぜ日本の試合で前半のコロンビアの得点のFKを与えた長谷部のファールや、韓国の1失点のきっかけになったファールでVARが使われなかったのかといえば(いずれも微妙な判定だと思われるが)、それはようするにVARを適用するケースにあてはまらなかったから、ということになる。
こういった「修正」は確かに(試合進行を遅らせる)、このVARの欠点を補っている、と思われる。
しかし、上記のオーストラリアの失点の場面は、まったく状況が違う。確かに、この場面は、もしもあれが「ファール」でなく、そのままシュートを打てれば得点になっていたかもしれない、という意味では決定的な場面であり、そういう意味で、今回のVARの適用範囲というルールには適合する。
しかし、問題はそこではなく、

  • だから

ビデオ・アシスタント・レフリーが主審に、VARでの確認を求めるか求めないかが、どうしても

  • 恣意的

になってしまう疑いがぬぐえないわけである。上記の引用にあるように、今回のルールでは、「明白かつ確実な誤りがあった場合」と断られている。つまり、こういった場合しか、VARが適用されてはならないはずであるのに、あのオーストラリアのプレーはそこまで「自明」だったのか、が疑わしい。
しかし、もしもそういったプレーであっても、ビデオ・アシスタント・レフリーが主審に確認を求めたら、主審はそのプレーを「厳密」に判定しないわけにはいかなくなる(なぜなら、このプレーを何度も世界中にリプレーされているのだから)。
ということは、ここには、ビデオ・アシスタント・レフリーの強大な「権力」が発生している疑いがあるわけである。例えば、もしもそのビデオ・アシスタント・レフリーが全員、欧米系の人で占められていたら、彼らは結局は、欧米のチームに有利な方向にもって行こうと「無意識」に強いられるのではないか。
そういった意味で、私は今回の大会のアジアのチームがどこまでやれるのかに注目している、とも言えるかもしれない...。