築地市場とパターナリズム

安倍総理

  • 自分か妻が森友問題の「認可」「国有地払い下げ」に関係していたら総理も国会議員も辞める

と言っていたわけであるが、さまざまな「証拠」が出始めた途端に、もとから

  • 「金品の授受」「贈収賄」だったら総理も国会議員も辞める

という意味だった、と言い始めた。しかしこの場合はそもそもこれは犯罪なのだから、自分から辞めるもないわけで、文脈を考えれば、意味が通らない。というか、以前から「おかしい」と思っていたなら、以前からそう反論していなければおかしいわけで、つまり、ポイントはさまざまな「証拠」が出始めた途端に、こういうことを言い始めた、というところにあるわけで、この後出しジャンケンっぷりが

  • 嘘つき

として国民から受けとられている。
しかし同じような話はあるわけで、東京都の小池知事は自らのカイロ大学を主席で卒業の経歴について、にわには信じられないような、意味不明の理由で「言い訳」をしているわけで、これも

  • 嘘つき

として国民から受けとられている。
この、あまりにもの「異常」な状態に、この国のさまざまな社会システムは「機能不全」を起こしているような印象さえ受けなくはない。
童話にある「裸の王様」のように、だれもが王様は裸であることを知っているのに、まるでそれがそうでないかのように回り続ける社会に、多くの人たちは、「こんな異常な状態になっても社会は回っているというのは一体なんなのだろうか」と、その強烈な違和感を感じ始めている、ということになるだろう。
考えてみれば、安倍政権になって通した法案で、野党と対立したものが、ことごとく

  • 国民が望んでいないもの

であることは、ようするに、安倍政権であり自民党は、基本的には国民政党ではなく、経団連などの一部利益団体の走狗だ、ということなのであって、そこにこそ、リフレ派の人たちと私たちの認識の違いが現れているように思われる。リフレ派の人たちは、そのリフレ政策が

  • 結果

として国民の生活にとって利益になっているかどうかで説明しようとするが(そういう意味では、そのレトリックは「功利主義」的だ)、そもそも安倍政権であり自民党は、リフレ政策の「意図」において、別に国民の「ため」とか思っているわけではない。彼らにとっては、この政策が「経団連」などの一部利益団体にとっての「利益」をもたらすことが

  • 主眼

なのであって、だからこそ、政府が消費税増税の方針を今も変えていないように、そこにさまざまな「矛盾」が発生したときには、当たり前のように、「経団連」などの一部利益団体の利益を

  • 代表

する政策を行う。国民は「捨て」られるのだ!
同じような違和感を築地市場移転問題にも感じられる。この問題はすでに小池知事によって決断され移転は4ヶ月後となっているわけだが、相変わらずと言うべきか、以下のような記事が書かれていたりする:

「大型トラックによる輸送が増え、そこに荷物を移動させる台車が行き交うようになったことで、当初は十分だった道幅も狭くなってしまった。東京都の場合、大手の業者だけでなく、都内の個人経営の鮮魚や青果、飲食店まで買い出しに来る。豊洲市場の場合、ピーク時には狭すぎて身動きができなくなることが予想されるのです」(市場関係者)
さらには、こんな問題も。
「建物の構造上、品物を運搬するフォークリフトやターレなどがコーナーを素早く回れない。また、豊洲は冷蔵庫からトラックに荷物を直接運び込むことを想定して設計されている。時間短縮のために業界の主流になっているウイング型のトラックを使用したいのですが、建物の屋根に引っかかるなど難題も多い」(業界紙記者)
結果、築地と比べ豊洲では、荷物の運搬に6倍の時間を要することが予想されているという。
「そうなると、構内のみならず周辺道路でも渋滞の発生が予想される。都は観光拠点より、これらの問題を先に解決すべきですよ」
またもや延期!?
豊洲市場 開場4か月前なのに続出する“狭すぎ”問題|ニフティニュース

例えば、以下の膨大なブログでの議論では、

豊洲市場と築地市場:「食の安全」に関わるリスクが低いのはどちら?

まあ、このスレッドの作成者の山崎という人が移転推進派なのはひとまずおくとして、ここでの議論のテーマを

  • 「食の安全」「科学的」

といったタームでその「リスク」についての「比較」を発言者にさせる、といったことを行わせているわけであるが、これは一体なんなのだろう?
まず、なぜ豊洲市場と「今の」築地市場を比べているのかがさっぱり分からない。もともと、建て替えから移転か、という問題だったのに、なぜ「今完成した」豊洲市場か、「結局建て替えを行わずに今に至っている」築地市場かで「比べる」のか。比べるなら、今の築地市場をその場所で立て替えら場合のものとを比較するんじゃないのか?

豊洲市場の建物が使いづらいという問題の本当の問題点は、使用者が決まっているにも関わらず使用者の意見を聞いていないというところなのです。これは、建築の設計業務としてはあり得ない事です。移転合意の契約の契約義務違反ではないかと思っています。
@yoshiyuki260110 2018/06/21 01:16

私は今回の問題はこれに尽きているように思われる。今回の「築地市場を壊す」「豊洲市場を作る」というのは、その場合の豊洲市場を使う人が誰なのかがはっきりしているのに、なぜそういった当事者との話し合いの継続によって作業が進められてこなかったのか、が問われているわけであろう。
日本中のどこにおいても、こういった使用者(つまり、当事者)が決まっているものは、そういった当事者との話し合いによって彼らの「求めるもの」を反映することなしに具体化が進むことはありえないわけであろう。そう考えると、今回のこのケースが、まさに小池知事がカイロ大学の件で平気で「嘘」をつくというのと同じニュアンスで

  • 異常さ

が際立つわけである。
じゃあ、東京都が何を考えているのか、ということになれば、言うまでもなく築地市場の跡地の再開発利権であり、そもそも中央卸売市場というシステム自体を邪魔と考えている大手スーパーなどの

  • 利権争い

の延長で、こういった「当事者無視」の政策が進められているのではないか、と疑うのは自然なわけであろう。
パターナリズムと言うと、一見「いいこと」のように受け取る人もいるかもしれないが、そんな行政が「善意」の塊で行動しているんだったら、安倍政権のあれほどの国民の利益と対立する法案の強行採決の連発なんて起きないわけで、そういった政策のどんな場合でもその陰に、経団連などの一部利益団体の利益代表者がからんでいるわけであろう。
言うまでもないが、今回のこの行為によって、一部の業者は仕事がやりづらくなったと考えて「廃業」をする人たちがでてくるであろう。そうした場合、こういった人たちが辞めなければならなくなったのは、都の責任になるのではないのか? この問題は何度も裁判で争われることになるのだろう。
しかし、それも含めて国民による「政権」の選択なんだ、というのはどう考えても無理があるように思われる。この何度も繰り返される「国民」と「政府」との

  • 対立

は、本来の民主主義システムの含意では政府の政策は当然、国民の意見を反映させて進むとなっていたわけであるが、往々にして、政府は国民ではなく、経団連などの一部利益団体の利益代表者の意見しか聞かずに、パターナリズム的に

  • 暴走

を始める。なぜこのアポリアが21世紀の今になっても解決できないのか、そこまで学問の研究の「成果」が遅れているのか、が問われているのだろう...。