日本は本戦出場を辞退すべきだ!

選手や監督を含めて、今、世界で何が問題なっているのかを分かっていないんじゃないか? そのことを単刀直入に指摘してくれているのが以下の記事だ。

賛成派と反対派の意見が一致するのは、見ていてつまらなかった、負けて「勝ち進む」のは煮え切らない、といった感情です。同じ感情が、賛成派にも反対派にも起きるところに、モヤモヤの根本がありそうです。
日本サッカー協会(JFA)は、それを「大切に思うこと」という言葉で表しています。サッカーそのものやサッカーを愛する人を「大切に思うこと」は、サッカーの価値が社会で認められ、サッカーを発展させていくには、欠かせないことだという考えです。
具体的にどうすることなのか。「JFAサッカー行動規範」が明確です。その一番初めに「最善の努力」という項目があります。
「1 最善の努力 どんな状況でも、勝利のため、またひとつのゴールのために、最後まで全力を尽くしてプレーする」
「規範」守らぬ西野監督 世界のサッカーを敵に回した - 2018ワールドカップ:朝日新聞デジタル

国際サッカー連盟(FIFA)にも、「フットボール行動規範」があります。FIFAはこの行動規範でスポーツのモラルと基本的な倫理を示し、いかなる重圧や影響のもとでもこれを支持し、そのために戦うと宣言しています。一番初めに「勝つためにプレーする」という項目があります。
「1 勝つためにプレーする 勝利はあらゆる試合のプレーする目的です。負けを目指してはいけません。もしも勝つためにプレーしないのならば、あなたは相手をだまし、見ている人を欺き、そして自分自身にうそをついています。強い相手にあきらめず、弱い相手に手加減してはなりません。全力を出さないことは、相手への侮辱です。試合終了の笛が鳴るまで、勝つためにプレーしなさい」
テレビでは賛成派の解説者やコメンテーターが口々に、目的を果たせばどんな方法でも良い、と力説しています。川淵三郎JFA相談役まで「名監督誕生」とツイッターで褒めています。一方で外国から批判を浴びているのは、ポーランド戦の終盤がつまらなかったからでなく、勝利を目指さずに決勝トーナメントに進もうとしたことがフェアプレーでないからです。「フェアで強い日本を目指す」と宣言しているJFAは、西野監督にJFAとFIFAの行動規範の順守と、世界標準のフェアプレーを求めないのでしょうか。
「規範」守らぬ西野監督 世界のサッカーを敵に回した - 2018ワールドカップ:朝日新聞デジタル

今回の日本のとった行動は、たんに「無気力試合」というだけではない。ようするに

  • 負けている

のにもかかわらず「無気力試合」を行ったことが

  • 負けを目指してはならない

という上記の「規範」に背いているから問題だ、と言われているわけである。
そして、驚くべきことに、西野監督自身が試合後にこのことを認めているかの発言をしている:

「長谷部の投入時には、今の状況を伝えました。ハイリスクではなく、しかもイエローカードについても指示をした。こんな状況は今までにない。不用意なファウルを避けて、4-1-4-1のシステムで、ある程度ディフェンシブな形でバランスをもってという指示をした。時間を刻む中で、『このままでいい』ということを伝えた。そういうメッセージがあって、チームは動けない状況。長谷部の投入というメッセージで、このままキープでいく。0-2にはさせない。ポーランドも、アグレッシブに追加点という形でもなかった。時間が刻まれていく中で、その選択をした。長谷部の投入が、すべてのメッセージであったことは間違いない。一歩踏み入れるときに、『状況が変わったら、すぐに教えてください』と。行く前にもカードのことを長谷部に入れた」
【試合後会見】西野朗監督「万が一が起こらない状況を選んだ」【超ワールドサッカー】

「こうした戦い方をしたことで私をそしる人が出てくるかもしれないが、私はこれより他の計画はもっていなかった。パラレルに行われていた試合を見守っていた。サポーターらがブーイングの口笛を鳴らしていたのは知っていたが、残念ではあっても私はまさに彼らが見せてくれたようなプレーすると決めていたのだ。」
「サポーターのブーイングは知っている、だが私はまさにこういう試合にすると決めていた」西野監督は対ポーランドの結果に満足 - Sputnik 日本

ここはすごく大事なポイントで、上記の引用個所を見てもらえば明らかように、ようするに、西野監督自身が選手に「負けを目指せ」と言っているのと変わらない、というところが問われているわけである。
まあ、完全にアウトですよねw
少し冷静に整理をしましょう。FIFAは長年、この「無気力試合」に悩まされてきた。それは、単純に考えても、観客は高いお金を払ってスタジアムに来るわけですし、テレビの視聴者も、わざわざ貴重な時間をさいて見ている。それが、こんな茶番劇を見せられたら、怒るのは当たり前なわけであろう。
大事なポイントは、こういった「無気力試合」問題は長年の課題であり、その

  • 問題

にFIFAは協会として取り組んできた、ということなのだ。それは、イエローカードを減らそう、という取り組みとして今回、「フェアプレー・ポイント」が導入されたこととも似ていて、イエローカードを減らすことが、選手の怪我を減らし、選手生命を延ばすのに必要だから、その達成を求めてきたわけで、皮肉なことにその導入した制度の「内容」が、KYの西野監督によって、より

  • ひどい

無気力試合を強いる形になったことは皮肉であるがw
ではなぜFIFAはルールとして「無気力試合」を禁止させることを制定していないのか? それは、ようするにその判断が難しいからであろう。一見、無気力に後ろでボールを回し続けているように見えても、それが誘い水として、相手をおびきだして攻めの機会を伺っている「揺動」なのかもしれない。つまり、そんなに簡単に線を引けないというのと、また、それで線を引いたら引いたで、今回の大会のVARのような、試合を脈絡なく止めてしまうことで、サッカー本来の流動的なおもしろさが失われる、という欠点もある。
ではなぜFIFAは日本に、この規範違反を理由に、ペナルティを課さないのか? おそらく、日程的な問題ではないかと思われる。つまり、細かく裁定する時間がないわけである。試合スケジュールは厳密に決まっていて、細かな細目のないものの扱いを、そんなに短時間ではできない。
以下は結論であるが、私はまず、日本自身がFIFAに自らの決勝トーナメント進出の

  • 辞退

を申し出るべきだと考える。その上で、彼らがどういう裁定を下すのか(試合を行え、と言わればやるしかないし、それなりの罰則を受けるなら、それを受け入れるといったように)に従えばいいのではないか。
大事なポイントなのでもう一度書くが、今回の問題は

  • 西野監督が「負けを目指す」ことを選手に命令した
  • それを西野監督自身が試合後のインタビューで「告白」した

の二つであり、これだけ完全な「証拠」がそろっている限り、世の中にある、たんなる「無気力試合」疑惑のようなものと一緒には扱えない、ということであって、まあ、JFAの田嶋会長にような、卑劣な手段を使って、ハリル元監督の人権を蹂躙した、性根の腐った鬼畜なわけだから、そんな

  • フェアプレイ

ができるとは思えませんが、まあ、実際にやらないで、しれっと決勝トーナメントにしゃしゃりでてくるんでしょうね。なんとも面の皮の厚いことで...。

補足(2017/7/01):
あい変わらずピント外れな議論が続いているようなので、補足したい。
私が問題にしているのは、上記の規範にあるように、

  • 負けを目指してはならない

に明確に違反しているから(というか、自白しているから)、言い逃れができない、と言っているのであって、この点について明確な反論を見たことがない。中には、少しレトリカルに、

  • 予選はリーグ戦システムなのだから、「予選を勝ち抜くことを目指していた」

といった「意味」で正当化している議論をしているものを見かけたが、そんな理屈がとおるのなら、なんとでも言えるわけであろう。たとえば、すでに第2戦で予選敗退が決まっていたポーランドが第3戦のモチベーションがないのだからと、プロ選手の怪我を恐れて不戦敗を求めてきたらどうなるだろう? この理屈からは、それを認めなければならなくなるだろう。しかし、試合のチケットは売れて、多くのお金が動いてしまっている。言っていることが、滅茶苦茶なのだ。
まあ、一番分かりやすいのが、その理屈が韓国ドイツ戦への侮辱となっていることであろう。この試合のおもしろさは、すでに予選敗退が決まっていた韓国に対して、ドイツはこの試合に勝たなければなからなった、というところにある。だから、どうしてもドイツは前がかりに攻めて行かなければならなかった。それを韓国は分かっていたから、得意のカウンター戦法で相手を容易に「はめる」ことができた。しかし、そもそも予選敗退が決まっているのだから、韓国はこの試合で、日本の真似をして「コロコロ戦法」を選択して、選手の怪我を最小限にするべきだっただろうか? よく考えてみてほしい。そんな試合が「売れ」ますか? つまり、そんなことをFIFAが許すと思っているんですか?
あと、最後になぜこのような「体たらく」をもたらしたのか、ということについて、補足しておくと、以下の記事が分かりやすい。

また、戦前に想定していなかったプランだったことも明かした。
「グループステージの1、2戦目を攻撃的に、アグレッシブに戦ってきて、3戦目で勝ち上がりを狙うなかで、この選択はまったくなかった。他力を選んだのは不本意。でも、選手に遂行させた。ただ、ワールドカップにはそういう戦いもあり、その選択が正解だったとすれば、勝負に勝ったということかなと。そういうフットボールもあって良いのかということを初めて感じたゲームであり、ワールドカップのグループステージを突破するうえでの究極の選択だったかもしれない。自力ではなく他力を選んだことには少し後悔があるが、今までのアグレッシブな戦い方に運がついてくれた、微笑んでくれたのかもしれない。選手たちにブーイングを浴びせながらプレーさせたということも、自分の信条ではないので、これからいろいろ伝えたいと思う」
西野監督采配 博打だったのか|au Webポータルスポーツニュース

ようするに、西野監督はこういう事態を

  • 想定

していなかった。これは一度も心の奥底にそういった可能性がすぎ去らなった、といったような意味ではなくて、

  • チームとして、こういった場合にどうするのかの意識合わせをしていなかった

ということを正直に言っているわけである。どう考えても、そういったケースが「予測可能」だったのにも関わらずw だから、西野監督

  • (エリート)パニック

を起こしている、ということなのである。だから、あんなに試合中に「露骨」に選手は「無気力試合」を行ったし、「時間稼ぎ」をやった。西野監督は本当はこういった行為が「問題を含んでいる」ことは分かっていた。しかし、「想定」していないんだから、その監督の指示を

  • 選手

がどういったニュアンスで受け取るのかに、監督は責任をとるしかない。大事なポイントは、歴史的にFIFAは「無気力試合」をなくそうと過去から努力をしてきて、それなりにサッカー界全体の今までの

  • 協力

もあって、一定の成果を挙げてきたのにも関わらず、今回の西野のエリート・パニックによって、

  • より「ひどい」

醜態をさらしてしまった。もちろん、この今まで以上に醜い醜態の原因の「遠因」に、今回導入された「フェアプレー・ポイント」があることは分かりやすいまでに分かりやすいわけであるが、それを

  • 言い訳

にしてしまったら、今までのFIFRAの無気力試合をなくそうという努力が水泡に帰してしまう。
人間なのだから、間違いをやってしまうことはある。そうではなく、今、監督や選手が「開き直っている」ことが、非常に悪質なわけである。
今回の日本代表の監督交代は、そもそも、1ヶ月前のJFAの会長選挙で田嶋会長の再選が決まった

  • 直後

に、行われている。このことは、これから当分の間は田嶋会長の「独裁」が続ことが決定したから行われた「蛮行」であって、本来はその手続きは一定の「評価」を民主的に仰がなければならなかった。西野監督はそういった経緯で選ばれた監督ということもあり、彼の言動には最初から

  • ダーティ

なイメージがつきまとっていた。西野監督が「予選突破」を目指すと言うとき、それはどういう意味だったのか? 予選突破はそもそも、ハリル元監督が目標にしていたものであった。その座席を奪ってまで、「同じ」目標を掲げるとは、何を言っているのか? ようするに、西野監督の言う「予選突破」という目標は

  • <俺>が監督のチームで、予選突破する

という意味であって、少しも「日本のサッカー界のため」といった、公共的なマインドによって目指された目標ではなかったわけである。彼は今回の卑劣な手段でハリルを蹴落したように、卑劣な手段で予選突破をすることを「ためらわなかった」ことは、こういった

  • エゴイズム

が必然的になさせた結果なのであって、この結果はそういう意味で、ハリル解任の時から予測されていたことだった、と言ってもいいわけである...。