私は以前、「ポストモダン」を、以下のように定義した(というか、引用元から孫引きする形で、指示した、ということだが)。
もう一人のレヴィは一九四八年生まれなので、六八年五月のとき二十歳前だった。彼は七八年に、雑誌で「ヌーヴェル・フィロゾフィー(新しい哲学)」についての特集を依頼され、グリュックスマンとともに「ヌーヴォー・フィロゾフ」として認知されていく。ここでは、レヴィが「間もなく三〇歳になる」ときに出版して、たちまちベストセラーとなった書物『人間の顔をした野蛮』(一九七七年)を取り上げ、「新哲学派」が何を主張したのかを確認しておこう。彼は『収容所群島』の衝撃を、次のように語っている。
フランス現代思想史 - 構造主義からデリダ以後へ (中公新書)
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では、『収容所群島』から、何が変わったというのだろうか。一言でいえば、ソヴィエト連邦の「収容所」が、単にスターリン時代の例外といったものではなく、マルクス主義そのものに根ざし、さらにはマルクス本人とその書物(『資本論』)に由来することだ。
フランス現代思想史 - 構造主義からデリダ以後へ (中公新書)
こうして、レヴィは鮮明にマルクスおよびマルクス主義批判を打ち出すとともに、他方で「新しい極左主義の流行」として、ドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』への批判も行なっている。レヴィによると、『アンチ・オイディプス』は「六八年五月」の運動を引き継いでいるが、基本的な発想はマルクス主義に依拠しているのだ。したがって、『アンチ・オイディプス』の思想もまた、「新しい全体主義」として、「人間の顔をした野蛮」と呼ばなくてはならない。
このような「新哲学派」のキャンペーンは功を奏して、七〇年代の後半になると、マルクス主義への信頼だけでなく、「六八年五月」への共感も、さらには革命的左翼への希望もすっかり消え去ってしまった。
それに追い討ちをかけるように発表されたのが、ジャン=フランソワ・リオタールの『ポストモダンの条件』(一九七九年)である。リオタールは、当時アメリカで流行していた文化概念「ポストモダン」を取り上げ、それに哲学的な定義を与えたのである。この概念はもともと、多様性や異種混合性などを特徴とした「ポストモダン建築」において使われていたが、リオタールは先進社会の知的状況をさす言葉へと拡大したわけである。
フランス現代思想史 - 構造主義からデリダ以後へ (中公新書)
リオタールがポストモダンを特徴づけるとき、「モダンの大きな物語は終わった」、と規定したのは有名な話であろう。このとき、モダンの「大きな物語」には、マルクス主義の原理(「労働者としての主体の解放」)も含まれている。したがって、リオタールのポストモダン論は、マルクス主義的な革命思想への葬送曲と理解することができるだろう。
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そのとき私が言いたかったのは、つまりはリオタールの当時の「動機」の、かなりの大きな部分に、この
- マルクス主義との対決
があったことが、「うさんくさい」と思った、ということなのだ。ようするにこれは、左翼に対する「保守反動」の一種なのであって、そういった一連の流れから、いわゆる
- 消費社会
の分析もそれが「マルクス主義の理論ではとらえられない」といった認識から、
という形で、議論された、ということになる。
ということで、とりあえず、私の方でも、リオタールの『ポストモダンの条件』を読んでみているのだが、そういった意味では確かに、マルクス主義の3点セットが、のっけから現れる:
そして、マルクスの時代とは異なって、このような論理の破綻に対する救いを将来に期待できないところにまで、われわれのメタ物語に対する不信感は至っている。
ポスト・モダンの条件―知・社会・言語ゲーム (叢書言語の政治 (1))
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それに引き続く、研究者、教師の志気低下はもはや看過ごすことのできない段階に達しており、周知のようにそれは、六〇年代のすべての先進国社会において、研究者、教師を目指す人々、すなわち学生たちのもので爆発したのである。
ポスト・モダンの条件―知・社会・言語ゲーム (叢書言語の政治 (1))
また共産主義社会においては、まさにマルクス主義の名において、再び全体化のモデル、その全体主義的な効果へと逆戻りしてしまっていること。そして、それは単純に、ここで問題になっている闘争そのものが、そこでは存在する権利を奪われているからである。
ポスト・モダンの条件―知・社会・言語ゲーム (叢書言語の政治 (1))
これを整理すると、
- 現代は「マルクス主義」では認識できない「ネクスト・ジェネレーション」に入っている。
- 60年代の(左翼の)学生闘争を、この「ネクスト・ジェネレーション」においては肯定できない。
- ソルジェニーツィンの『収容所群島』が示した、共産主義社会のディストピアは、決定的にマルクス主義が「非道徳的」なものであることを歴史が示した。
といった形になるであろう。
そもそも、このように整理をすれば、いわゆる「ポストモダン」なるものを主張している連中が、
- 反左翼
の一点において集結した、
- (生温い)プチ・ブルジョア道徳
を主張していることは自明であり、そういった一点においても、そもそも「ポストモダン」なる言葉が、ことこの「哲学」の分野で流行したことには、明確なイデオロギー闘争の側面があったことは確か、だと思われるわけである。
ようするに、「ポストモダン」とは
- なにも主張をしていない
わけで、強いて言っていることは「反左翼=反マルクス主義」くらいで、そこから、なんらかの統一的な概念を捻出しようとする努力が、大いに「政治的」な側面以外の意味はなかった、と私などは整理したくなるわけである。
そんなふうに思って、改めて、リオタールの『ポストモダンの条件』を読んでみると、この本で
- 間違いのないものとして主張していること
ということでは、
- コンピュータの普及
- ビッグ・データ
- サイバネティック
くらいしかない。これらは、間違いなく、マルクスの時代にはなかったのだから、と。そして、この視点は、本文でもタルコット・パーソンズの名前が登場するか、ようするに、ニコラス・ルーマンの社会学が、どういった点で
- マルクス主義とは違った視点
が自分の新しい「社会学」にはある、と主張したこととも重複しているわけで、ようするに上記の「文明の利器」は、
- 国家による大衆支配の「道具」
として著しい進展が考えられるし、同時並行的に発展している、という認識であった。
しかし、ね。
よく読んでみると。その他にも、いろいろなことが書いてあるけど、それって別に、
- マルクス主義を捨てて、新しい学問を始めなければならない
といったことの説明として、成功しているようには見えないわけですよねw この程度のことなら、別に、マルクス主義の中でだって議論はできるんじゃないか? つまり、この
を、リオタールは少しも「実証」できていないんじゃないのか? という疑問が強くするわけです。
例えば、中盤の議論で、科学と物語の「分類」の話が延々と行われるわけだけれど、これって、なにが新しいんだろう?
つまりこれって、昔からある「科学」と「歴史」の問題であって、そもそも科学は「反復」するものしか扱えないし、だから科学に、「歴史」という分野が吸収されることは絶対にない、といった程度のことでしょう。それは、私たちの「個人的な記憶」についても言えるわけで、自分が子どもの頃から経験してきた、さまざまな記憶の
- すべて
を他人に教えることができないのは、本質的にそれら全てを「科学的」に扱えない(歴史を科学に吸収することはできない)のと、ほとんど同じくらいの意味であって、まあ、それ以上の含意をリオタールは主張しようとしているのかもしれないけれど、整理をしてしまえば、この程度のことなわけでしょう。
なにが新しいんだろう?