名誉白人と東大

そもそも、人間を能力で差別しようという考えは、すぐに一つのパラドックスに陥ってしまう。それは、人間を「能力者」と「非能力者」に分けたときに、もしかしたら自分が「能力者」の側に振り分けられずに、「非能力者」の側にされてしまうのではないか、という不安である。とにかく、その「区分け」を

  • 自分

が作ったのにも関わらず、というわけである。どんな一般理論も、解釈によっては、別の形で受け入れられてしまうことは往々にして起きてしまう。なぜなら、そちらの方が

  • 整合性

がいい、ということは普通にありうるからだ。では、これならどうだろう? もしも私が東大に合格したなら、私は間違いなく「能力者」の側に置いていいのではないか。少なくとも、多くの東大に入っていない、勉強をやらない人たちがいることは確かなのだから。
この方式はかなりの蓋然性があると言っていいのかもしれない。しかし、次のように考えてみよう。つまり、東大とはなんだろう? 東大は、明治時代に、欧米の知識を吸収することを目的として、欧米を「紹介」する組織となることを

  • 目的

に作られた。実際に、東大の最初の頃から、東大では基本的に日本史やアジアを研究する学者は少なかった(その戦中の例外が、平泉澄であるわけだが、彼はいわば例外と言っていい)。
東大は、西欧の哲学者の思想を「紹介」するためにある、と言いたくなるほどに、だれもかれもが東大で、西欧の哲学書の「翻訳」を行う。なぜなら、東大とは

  • そのため

に作られたから。しかし、このことを逆から言ってみよう。なぜ東大生は西欧の哲学ばかりを学び、研究するのだろう? おそらく、彼らの「実感」においては、

  • 西欧人が「すごい」から

ということになるであろう。

  • 西欧人は日本人やアジア人より「価値」があるから

ということになるであろう。なぜなら、そうでなければ、そこまで情熱を注ぎ込むことは無意味ということになってしまうから。よって、彼らは「悟る」。私は、この日本という国の人々に、

  • 欧米の素晴しさ(欧米人の「能力」の高さ、「価値」の高さ)

を分からせるために、今、欧米のことをこんなに必死に勉強しているのだ。と。彼らは、同じ日本人に向かって

  • 上から目線

である。なぜなら、日本人やアジア人より、欧米人の方が「価値」があることは自明だから。そのことの

  • 重要さ

を日本国民に教えることの「価値」を考えるなら、こうやって「教え」ている自分が、彼ら日本人にとって、「価値」があることは自明だ、というわけである。
東大人間が、自分を「価値がある」と思うのは、自分が学んでいる欧米の哲学が、日本のどんな哲学より「価値」があることが自明だからだ。だからこそ、それを分かっていない日本人に、欧米人という、我々が超えることのできない

  • 価値の高さ

を自分が日本人に教え悟すことには、無上の「価値」がある、となるわけである。
ここには、次の二つの構造がある。

  1. 自分は、西欧の価値をまったく分かっていない、ほとんどの日本人と違って、西欧の価値を「東大」で学ぶことによって、ほとんどのそういった日本人より「上位」の存在になった
  2. 自分が、そういった日本人に対して、西欧の「価値」を教えることは、彼らを無知から救うという意味で「価値」があるという意味で、自分はそういった無知な日本人より「上位」の価値のある存在だ

しかし、である。
そもそも考えてみてほしい。西欧はそんなに「価値」があるだろうか? 「東大」の価値は、そもそもここに依存している。しかし、この前提が間違っていたら、この論理は崩壊してしまう。よって、ここに、ある「反転」が起きる。欧米が価値があるのは、東大生が価値があるために、どうしても「そうでなければならない」条件だ、というわけである。東大生は、あとは死ぬまで、日本中から尊敬されなければならない。しかし、それが成立するためには、日本人が欧米を「価値」がある、という

  • 妄想

を死ぬまで捨てないでいてもらうしかない。よって、この妄想は、絶対になくしてはならない「タブー」となる。
さて。ここで、もう少し議論をつめてみたい。彼ら東大生の言う「欧米」とはなんだろう? そう考えてみると、そもそも、明治の時代から、どういった「理論」で日本のエリートの思考が構成されてきたのか、が分かるわけである。

他のアジア人やアフリカ人を蔑視し、西洋に憧れる日本人。福澤諭吉の「脱亜論」(『時事日報』一八八五年)に象徴されるように、西洋の一員になろうと日本人は努力してきた。

我日本の国土は亜細亜の東辺に在りと雖ども、其国民の精神はすでに亜細亜の固陋を脱して西洋の文明に移りたり。然るに爰に不幸なるは近隣に国あり、一を支那と云ひ、一を朝鮮と云ふ。(......)我国は隣国の開明を待て共に亜細亜を興すの猶予ある可らず、寧ろ其伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、其支那朝鮮に接するの法も隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に従て處分す可きのみ。悪友を親しむ者は共に悪名を免かる可らず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり
。[......]
一切万事西洋近時の文明を採り、独り日本の旧套を脱したるのみならず、亜細亜全州の中に在て新に一機軸を出し、主義とする所は脱亜の二字に在るのみ。

脱亜入欧の発想は当時の指導者層に受け入れられた。例えば外務大臣の職にあった井上馨は「我帝国及ビ人民ヲ化シテ恰モ欧米諸国ノ如ク、恰モ欧州人民ノ如クナラシメル」べきであると政府宛の意見書(一八八七年)に記した。また初代文部大臣・森有礼は『英語国語化論』(一八七二年刊)において、日本語を廃止して英語を国語にするよう提案した。森の発案は陽の目を見なかったが、第二次大戦え負けを喫した際に日本語廃止論が再び甦る。作家・志賀直哉の「国語問題」(『改造』一九四六年)である。日本語ほど不完全で不便なものはないと主張し、日本語を廃止してフランス語の採用を提案した。
そもそも日本人はアジア人でないという論者も出た。自由主義経済学を日本に導入した田口卯吉は『破黄禍論』(一九〇四年刊)において、西洋で流行した黄禍論を批判した。だが、人種差別自体に反対したのではない。日本人を他の非白人から切り離し、アーリア人種だと主張したのである。

余は従来の研究に於て大和民族支那人と別種にして、印度、ペルシア、グリーキ、ラテン等と同種なることを確信したる者なり。故に余の見る所を以てすれば、黄禍論は其の根帶に於て誤れるものなり。日本人を以て支那人と同じ黄色人種となせるの一点已に事実を誤れりとすれば、黄禍論は全く無根の流説たらざるを得ず。(橋川文三『黄禍物語』筑摩書房、一九七八年、四五頁より引用)

故に余は日本人種の本体たる天孫人種は一種の優等人種たることを疑わざるなり。此の人種は天の如何なる方面より降りしかは、実に史上の疑問なり、然れども其の言語文法より推断すれば、サンスクリットペルシャ等と同人種にして、言語学者が称してアリアン語族と云へるものに属するや蝶々を要せざる事なり。(同書四八頁より引用)

『破黄禍論の翌年に田口が著した「日本人種の研究」でも、ロシアとの戦争に日本が勝利した理由として日本人が白人だからだと主張した。

神の亡霊: 近代という物語

神の亡霊: 近代という物語

日本のエリートは福沢諭吉が好きである。その理由は、彼が

  • 欧米「一等国」論

を叫んだからで、その価値観が、東大で欧米をひたすら輸入している彼らをホルホルさせれくれるわけである。
しかし、である。
こういった考えは、もう少し「進め」れば、やはり日本人が、どう見ても、欧米人と「違って」いることへの、なんらかの違和感に到達せざるをえない。そして、この「違い」に煩悶として、それを受け入れるのなら、まだしも大人というものだろうが、逆に

  • むしろ、日本人とは「名誉白人」なのではないのか?

と、自らをホルホルするために、自らを、どうしても「説得」せずにはいられなくなる連中が現れる。
まさに、歴史修正主義者なわけで、彼らは「非科学的」なのではない。彼らは、はるか未来永劫に、自らが主張する歴史修正主義が「正しい」ことが証明されると信じているわけである。ただしそれは、今ではない。はるか未来であるが、はるが未来であろうと、証明されるのだから、これは「正しい」というレトリックになり、世間ではこれをトンデモと扱われてようとも、彼らは気にしない。
大事なポイントは、科学は「はるか未来」に

  • 真実

に到達する、ということで、今、人々が歴史修正主義者の言う「真実」に辿り着いていないことが問題ではないのである。歴史修正主義者にとって、真実を知ることができたのが自分だけ、ということは、自分はそれだけの価値がある、ということを意味し、神に選ばれた、ということを意味し、よって、人々がこの真実にまだ辿り着けていないことを、それほど重要視しない。
田口卯吉によれば、日本人が、ナチス・ドイツが礼賛した「アーリア人」であることは、日独伊三国同盟が証明している、と言うわけだってもいいw だから、ヒトラーは日本人をナチの同盟に加えた。そうやって、目を細めて、よく見ると、なんか、日本人は韓国や中国の人より肌が白くて、二重の人も多いような気さえしてくる。もしかしたら、目は青く、髪は金髪なのかもしれない(W杯で、中田や本田が「金髪」にしたことを思い出してほしい。あんなに

  • 似合って

いたwということは、もはや日本人は金髪でないはずがない、というわけであるw)。

8月23日、トランプ大統領は「南アフリカで白人が土地を奪われ、大量に殺されている件についてよく検討するよう、ポンペイ国務長官に求めた」とツイートした。
このツイートは、トランプ支持で知られるFOX ニュースが22日に放送した番組に沿ったもので、ここでは以下の2点が強調されていた。

  • 南アフリカ政府は、ただ白人というだけで、その土地や農地を補償なしに徴収しようとしている
  • 南アフリカでは、白人の農園主が各地で頻繁に殺害されている

これを受けて、クー・クラックス・クランKKK)支持者など右派からは「ホワイト・ジェノサイド(白人に対する大量虐殺)を無視しているアメリカのエリート」への批判とともに、トランプ氏への称賛が相次いだ。
「南アフリカで白人が大量に殺されている」ー外国の分断も煽るトランプ大統領(六辻彰二) - 個人 - Yahoo!ニュース

麻生太郎副総理兼財務相は5日、盛岡市内で開かれた「安倍晋三自民党総裁を応援する会」で、「G7の国の中で、我々は唯一の有色人種であり、アジア人で出ているのは日本だけ」と述べた上で、「今日までその地位を確実にして、世界からの関心が日本に集まっている」と語った。
麻生氏「我々はG7唯一の有色人種」 安倍氏応援の会で:朝日新聞デジタル

トランプが、アフリカの「白人」が黒人に殺されそうだから、アメリカ人は立ち上がって、戦おうと言えば、日本の麻生副総理は、G7で唯一「白人」国家じゃない、と言った意味は、日本人は実は

  • 白人(少し妥協した表現にするなら、名誉白人

なんだ、と主張したわけで、東大生から日本のお金持ちから、日本のエリートから、よっぽど、日本人は欧米人になりたいんだな、と、その「執念」とでも見まごうばかりの、あまりにも

  • 勤勉

なまでに、なんとかして「白人」になりたい、という日本人の涙ぐましい努力は、少し視点を変えると、なんなのかな、と思わせてくれる喜劇に変わる。

米国バージニア州で「白人至上主義者」らと反対派の衝突事件で多数の死傷者が出たが、騒動の発端となった白人至上主義者が自ら「純粋白人(欧州系白人)」を証明するため、自主的に遺伝子検査を次々と実施した。その結果は白人民族主義者のユーザーが集まるサイトで個々人レベルで報告されているが、それらの発言を分析した調査結果が、2017年8月14日に米研究機関から発表された。
調査によると、「純粋白人」は3割ほどしかいなかった。思わぬ結果を突き付けられ困惑する白人至上主義者も少なくないとされ、中には望む結果が出るまで検査を続けるという人までいるという。
全文表示 | 米の白人至上主義者、7割が「純粋白人」じゃない?! 関係者の「遺伝子検査結果」を分析、米研究機関が発表 : J-CASTニュース

まあ。世の中こんなもんです。純粋な「白人」? アホかw そんな奴はこの世にいねえ。白人なんて、この世に一人もいねえんだよ。いるわけねえじゃねえか。いたら天然記念物。生きた化石だよ。みんなどこかしら、黒人であり白人であり、それらはそれぞれ、そいつの過去の子孫から受け継いだものであり、それだけのこと。イエス・キリストは中東の人なんだから、褐色の肌に、黒い目をしていたはずなのに、なぜか欧米のキリスト教徒が描くイエスは、白人で青い目をしているわけで、そして言うまでもなく、天皇制は万世一系じゃないし、いい加減こういった

  • 遺伝子主義

から卒業しませんかね?