よく分からないのだが、ブロゴスとかいうポータルサイトは、漫画家の小林よしのりのブログ記事を、掲載しているわけだが、なぜこんなことをしているのだろう? しかも、小林よしのりのブロゴスの記事は、どれも、「支持する」ボタンが30回以上押されていて、「コメント」ボタンがない。
その小林が、以下のような、ある社会学者に対して「因縁」をつけている:
今朝、10月24日の朝日新聞の「耕論」というページで、倉橋耕平という自称・社会学者が『ゴーマニズム宣言』は読者参加型でポピュリズムであり、「真実」を描いていない、「主観」で描いていると、批判している。
生憎だが、わしは膨大な専門家の書籍・歴史資料を基に、「客観」で描いている。つまり「史料批判」は厳密にやっているということだ。
漫画家をなめてるエセ学者・倉橋耕平
おそらく、小林は、このブログ記事を読む人は、この
- ソース
を読まないだろうと、たかをくくって、このように書いているのだろう。しかし、言うまでもなく、この「オリジナル」は、ネットで無料で読める:
月刊「正論」は、投稿コーナーを拡充し部数を伸ばしました。漫画家小林よしのり氏の「ゴーマニズム宣言」も、「慰安婦」問題などで読者の意見を募る読者参加型としました。「メディア知識人」とも呼ぶべき執筆者たちは、大学教授であっても、多くは歴史家ではありません。
つまりそこは「真実」が主観で争われる世界であって、歴史学などの学術的方法論や手続きにのっとった場ではありません。歴史修正主義の活動は「真実」の探求ではなく、むしろ右派イデオロギーの発露であると言えます。
(耕論)憎悪の言動、広がる理由 崔江以子さん、辻大介さん、倉橋耕平さん:朝日新聞デジタル
こうやって見れば分かるように、ここで問題にされているのは、小林だけではない。多くの「右派メディア」と呼んでいる、右派系の商業雑誌を中心とした、このジャーナリズム活動全体を指して、問題にされている。
そして、最も注意しなければならないのは、
- 歴史学などの学術的方法論や手続きにのっとった場ではありません
と言っているところであろう。ようするに、アカデミズム、学会、学術雑誌での「ピア・レビュー」を介した、学術成果の評価システム。トマス・クーンなどが問題にした
- 科学者集団
の
- 科学評価システム
とは別のところで行われている「ジャーナリズム」活動だ、と言われているわけであろう。よって、ここでの「客観」とは、小林がしつこく強弁しているような、「本をどれだけ読んでいるか」とか関係ないわけである。本をいくら読もうが読まなかろうが、この
- アカデミズム
のサーキットの「中」でやっているかどうかが、ここでの「客観」の意味なのであって、それは小林が悪い悪くない以前に、そのフォーマットに乗っていない、という、たんなる「事実」を言っているわけであろう。
対して、小林は、社会学者の倉橋耕平さんを
- 自称・社会学者
- エセ学者
と呼んだわけであるから、これが学術雑誌に投稿された論文ならば、ピア・レビューにおいて、
- 小林が倉橋耕平を「自称・社会学者」「エセ学者」と判断した根拠はなにか? それは「科学的」に妥当か?
と、つっこまれるであろう。そして、それにアカウンタビリティを果せなければ、たんにこの論文が「リジェクト」されるだけである。
倉橋さんがなぜ自らを「社会学者」と名乗っているのかは、その「学位」をもっているからであろう。これは、たんに「ファクト」にすぎない。小林はそれを「自称」だと「内部告発」するのであれば、なんらかの「不正入試」と同様の、「エビデンス」を提示するしかないであろう。
というか、小林は今までも何度もこんな感じで、ブログ記事で「怒ら」れていないか? そして小林本人も、ブログ記事の「質」については、保証できないことを書いていたりする。だとすると、ブロゴスというポータルサイトが、なぜ掲載するのか、といったこのサイト運営側の「見識」の問題、ということになるのであろう...。