青春ブタ野郎の「定義」

アニメ「青春ブタ野郎はバニーガールの夢を見ない」は、ラノベ版の第一巻を、第1話、第2話、第3話にまとめた関係で、細かいストーリーが省略されている。
といっても、ここでは別に、このシリーズの概要を追っていきたいわけではなく、たんにこの「青春ブタ野郎」という言葉の出自を確認しておきたい、というだけなのだが。
そもそも、この言葉は、第1巻の後半で、主人公の梓川咲太(あずさがわさくた)の、たった二人の友だちのうちの一人であり、彼の相談役である、双葉理央(ふたばりお)が名付けたわけであるが、しかし、これには伏線があって、つまり「ブタ野郎」という命名は、作品の前半ですでに使われている:

「あのさ、人が見えなくなることってあると思うか?」
「視力が心配なら眼科に行けば?」
「いや、そういう問題じゃなくて......そこにいるのに見えないっていうか。透明人間になる的な」
麻衣の場合、見えない相手には声も届かないという症状も出ているので、実際は少し違うのだが......まずは初歩的なところから聞いておきたい。
「で、女子トイレに忍び込むわけ?」
「スカトロ趣味はないから、更衣室にしとくよ」
「さすが梓川、ブタ野郎だね」

このように、「ブタ野郎」の文脈は、高校生の仲のよい友だち同士の会話の中で使われた、この文脈に関係した「ふざけた」

  • (多少、その変態的な性格の揶揄を含んだ)命名

であったことが分かり、基本的にこちらには、大きな意味の比重がないことが分かる。つまり、「青春ブタ野郎」において、重要なのは、前半の「青春」が、この文脈ではどんな意味で使われているのかにある:

「やっぱ、咲太の心臓って鉄で出来てんだな!」
と、腹を抱えて爆笑され、一緒にいた理央からは、
「私だったら、恥ずかしくて死んでる。さすが梓川青春ブタ野郎だね」
と真顔で言われた。
「それ、どういう意味だよ」
「『病院送り』の噂が学校中に流れたとき、『空気と戦うなんてバカバカしい』とか言ってたの忘れた?」
「あー、咲太言ってたな。、それ、俺も聞いた」
確かに言った覚えはある。今だってその考えは変わっていない。
「自分のためには本気になれなかったくせに、美人の先輩のためになら、どんな恥もかけるなんてやつが、青春ブタ野郎じゃなくてなんなのよ」
青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない (電撃文庫)

この第一巻は、桜島麻衣(さくらじままい)という一年先輩の身に起きた事件をめぐる物語である。それは、浦沢直樹のマンガ『20世紀少年』や、伊藤計劃のSF小説『ハーモニー』を思わせるような

  • 世界の変化

に関係している。しかし、その変化は極端な様相を示しており

  • だれもが桜島麻衣を(目の前にいても)見れなくなるし、記憶からも忘れられる(文章においても、彼女の名前の個所は「空白」に置き換えられる)

という形で、ようするに

  • 世界から「彼女」の存在が消される

という形で進む。彼女を「見れる」、世界で最後の一人となった、主人公の梓川咲太(あずさがわさくた)は、夜、眠ってしまえば、次の日には、他の人と同じように彼女を忘れてしまうことを知り、何日目かの「徹夜」を繰り返した末に、桜島麻衣本人から、この「戦い」の終戦を強いられることになる:

「咲太はよくがんばったわ」
「僕はまだ......」
体を起こそうにも力が抜けていく。
「私のためにがんばってくれた」
「......違う」
「だから、もう十分。もういいから」
青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない (電撃文庫)

咲太が麻衣を忘れれば、もう、この世界に彼女を覚えている人はいなくなる。それに抵抗する手段として、咲太は自分が徹夜を続けて、「寝ない」ことを続けることしか思いつかなかった。しかし、それには限界があり、そしてそれはいつか訪れる。ということは、どのみちこの抵抗には限界があったということであり、それでいいんだと彼女は考えた。
というのは、そもそもこの二人は、恋人でもなんでもない。それは麻衣が一番よく知っている。他人の咲太がなぜここまで親切にしてくれるのか? それは、このストーリーが

  • 巻き込まれ系

であることと関係している。咲太はまるで「当然」であるかのように、麻衣が「好き」で「告白」をする。しかし、その経緯はアンビバレントである。咲太が麻衣に出会ったときには、すでに麻衣は

  • 危機

にあった。咲太はそんな彼女を見捨てておくことができなかった。それはなぜなのか? その「理由」を、なにかで決定することはできない。自分の問題でさえ「どうでもいい」と、アイロニカルに、冷笑的に、達観して生きてきた彼が、なぜ彼女に対しては、そうなれなかったのか? 彼女を好きになったから? しかし、彼が彼女に出会ったときには、彼女は「危機」にあったのであり、そうであるなら、その二つは最初から切り離せないのではないか?
咲田は麻衣に「好き」だと、「付き合ってほしい」と言う。しかし、そう言うことと、彼女の「危機」は、そもそも切り離せない。好きだから助けるのか、彼女が危機だから好きなのか。好きという「言い訳」が、彼の

  • 動機

を証明したとしても、ここでの「好き」は、彼女を救う動機を調達する「優しさ」の理由づけと、最初から区別できなくなっているのだ。
咲太の相談役である、双葉理央は、ある意味でこの「本質」を見抜く。そして、これは

  • 青春

の「定義」でもあったりする。私たちはこういった、なにかを「決定」できないような。

  • 人生

を「青春」と名付けて生きているわけである...。