メイウェザーの茶番への違和感

おそらく、多くの人が、あの大晦日メイウェザーvs天心の試合に感じたことは「同じ」なのではないかと思うわけであるけれども、これはようするに、

  • 猪木vsアリ

の試合を「踏まえて」行われている、この試合のマッチメイクの過程では、

の「ルール」にすることを「前提」に進められていたことを理解しなければならない。ようするに、天心サイドはメイウェザーに「試合放棄」についてのカードを早い段階で見せられたことで、ほとんどそれ以外の彼らの「要求」を受け容れなければならない立場に追い込まれた。
つまり、完全な

  • ボクシング・ルール

である。
なぜこれが重要なのか? もしも、この試合が完全な「ボクシング・ルール」で行われるなら、天心選手は、なによりも求められることは、この「ルール」に基づいた

  • 練習

だったであろう。しかし、そもそも天心はボクシング・ライセンスすらもっていない。しかし、彼はキッキボクサーなのであろう。なぜそうであるのに、「ボクシング」の練習をしなければならないのだろう? こういった態度は、彼の今までのプロとして応援してきた人たちに、失礼な態度だとも思われるわけであろう。
ボクシングは、その「ルール」が成立させている「ゲーム」である。大きくは、

に、ある「角度」でパンチを当てることでの、

  • 10カウントのノックアウト

を狙う「スポーツ」である。つまり、究極的にボクシングは「これ」について、極限まで極められた「テクニック」が相互に競われている場所なのであって、それ以上でも、それ以下でもない。
この試合にもしも、一つだけ注文をつけるとするなら、天心が最初にダウンをとられた、メイウェザーの左フックで、レフリーは

  • 試合をストップ「させなければならない」

ということだったのではないか。だれが見ても、あの下半身のぐだぐだぶりは、絶対に、これ以上、試合を続けてはならない「危険」さを意味していた。そもそも、天心選手は「ボクシング」を

  • 知らない

のだから...。