日大アメフトの件は、警察は内田の立件はあきらめて、実行犯の生徒だけを立件する、と言っているそうである。
しかし、である。そもそも、この問題が発覚した当初から、刑事での立件は難しいんじゃないのか、といったことは言われたわけであるし、そんなことは分かった上で、この問題は議論されていたわけであろう。
ようするに、これはアメフトというスポーツの「ルール」に関連したものであって、あのような角度のタックルを、QBっという、アメフトのチームの中で、あまりに「特殊」で「能力」が必要とされるポジションの選手を、もしもこのような手法で、再起不能にされたら、
- 世界中のアメフトが終わる
わけである。これを「さーせん」で許したら、そもそも、アメフトという競技が成立しない。大学対抗リーグで、何度も対戦するチームが抱えるQBは、まず、「才能」のある選手を何人も抱えられるわけがない。だから、
- ここ
が狙われるわけで、どうやって、こういう問題を「構造」的に防いでいくかを、率先して考えなければならない、立場の人間が、こういった「疑い」をかけられた時点で、その職責にふさわしくない、ということの意味が分かるであろう。
この問題は、言うまでもなく、オウム真理教による地下鉄サリン事件で、麻原教祖が死刑になったことと「同型」である。しかし、なぜ麻原は「死刑」で、内田は「無罪」なのか、と思うけもしれない。それは、
- 刑事事件
の観点からは、内田に「死刑」をだすわけにはいかないからだ。内田の問題は、むしろ、
- アメフト界
の内部の問題として、このコミュニティが裁定することが正しい。なぜなら、彼らこそ「アメフトとは何か」を、よく分かっているからだ。こういった観点は、少し、カントの倫理学を思わせるものがある。私たちは、一人一人の「自由」を保障する。しかし、そのことは、
- この世界の破壊を実行に移す「欲望」
を肯定することを決して意味しない。そう考えたのが、功利主義者であって、カントは一貫して、その立場を選ばなかった。カントの言っていることは、とても分かりやすいことであって、ようするに
- 悪魔
を私たち人類は、全人類の力で、「悪魔が欲望を解放しよう」とする行動と戦うことを要求している、ということであって、そもそもカントは、人間の自由の問題を、リバタリアンのように「アナーキズム」によって正当化はしていないわけである...。