柄谷行人『世界史の実験』

ここのところ、高熱に悩まされていて、ひとまずその原因も分かり、最近はとりあえずの、風邪薬の一つの解熱剤を年齢の範囲の一般的な大めの量を飲んでなんとかやりすごしているのだが、こういう状態になってみて、よくよく分かることは、結局、人は「体力」がなければ、なにもやらない、ということなのだと思う。
このことは逆にも言えて、体力があっての「普通」の状態で、当たり前のようにやっているということは、本当に「それ」をやっている、と言えるのかな、という疑問である。
体力がある、ということは、その「エネルギー」を「消費」する、エントロピーが働く、ということである。つまり、それは、ある意味で「強いられて」やっていることと変わらない、という特徴をもつ。
ようするに、考える、ということには二種類ある:

  • この「エントロピー」に強いられて、無自覚に(まるでスポーツのように)思考を「消費」しているノイズ
  • つまり、この「エントロピー」に抗ってでも(この体力がまったくなくても)、自らの内面から湧き上がるなにかによって思考をなんとかして行おうとしてしまう日常実践

まあ、もっと端的に言ってしまえば、どうせあと何十年から、みんな死ぬわけ。だとするなら、今考えることってなんなのだろうね、っていう、ちょっとした皮肉なんだよね。どうせ、あと何十年で死ぬのに、今「やっている」というお前の「活動」は、上記のどっちなんだ。もしも前者だとするなら、そういったものを相手にしているほど、私たちの人生も長くなんじゃないのか、って、たまには疑ってみるのもいいんじゃないのか、ということなんだよね。
掲題の本については、まだ最後までは読んでないんだけれど、第一部と第二部に分かれている第一部は読んだので、内容的にも分かれているし、第一部について、少し思ったことを書いておこうかと思ったわけである。
戦後の日本経済を、高度経済成長期、バブル期、バブル崩壊以降期と分けると、この三番目で取り組まれた試行錯誤は、例えば、リフレ政策だったと言っても、大きな流れとしての「新自由主義サッチャーリズム」としての、ようするに

が、マスコミ(や文系大学)を含めた、さまざまな「(自民党にとっての)敵対団体」を、徹底的に潰し、破壊してきた

は明確になにも変わっていないわけで、つまりは、新自由主義とは

  • スクラッピング(組織破壊)政策

そのものであって、むしろ、なにもかもをそうやって「破壊」した後に、日本会議の他に何が残るのかな、といった皮肉だったわけであろう。
ようするに、さ。「日本社会」のことを今は、誰も考えていないんだよね。農村社会を「破壊」して、都市に流入した労働者を「破壊」して、つまりは、全部

  • 消費

してきた先に、お前らって、それで人間のことを考えたことになるのか、と疑ってすらいないんだよね。「日本社会」や「日本の社会秩序」が戦後一貫して

  • 柳田国男的な意味で)なくなってしまった

この「成れの果て」を、

  • いや、まだ、こいつらから「搾り」取ってやる「余力」は残っているぞ(ゲラゲラ

って言っているだけで、それで壊して壊して壊し尽した果てに、何が残るんだって聞いてるんだよ。

柳田国男がこのような国家神道の問題に直接関与するようになったのは、一九〇六年(明治三九年)の勅令によって、神社合祀政策がとられるようになったときです。これは小さな神社を廃して、一町村一神社とするものです。これは、神社を宗教ではなく行政手段として見るものです。この勅令によって、一九一四年までに、それまで全国で約二〇万社あった神社のうち約七万社が取り壊された。

南方がむしろ自然環境の保存のために神社の保存を考えたのに対して、柳田が小さな神社の保存を目指したのは、そこに本来の神道への手がかりを見たからです。
柳田の考えでは、氏神とは先祖霊の融合体です。ゆえに、神社合祀は、そのような氏神を殺すことにほかならない。神社の国教化によって、神社は巨大化するだろうが、そこで祀られるのは国家であって、神ではない。小さな村の氏神・先祖神にこそ神道がある、とうのが柳田の考えです。それが彼のいう「固有信仰」であり、民俗学はそれを明らかにするために不可欠なのです。

柳田がこだわったのは、明治政府による

  • 破壊

であった。つまり、そこで何かが壊されてしまった。柳田は、「そこ」までには何かがあった、と考えていた。しかし、明治政府は確信犯的に「それ」を壊した。そこで、何かがなくなってしまったのだ。
しかし、である。
そんな簡単に、私たちは「壊された」と言って受け容れるのだろうか? それは、そもそも、私たちの、そもそものアイデンティティとも深く繋がった、決して、なくすることのできない何かだったのではないのか?

柳田がいう固有信仰とは、簡単にいうと、つぎのようなものです。人は死ぬと御霊(みたま)になりますが、死んで間もないときは、「荒(あら)みたま」である。子孫の供養や祀りをうけて浄化されて、御霊となる。それは一定の時間が経つと、一つの御霊ん融けこむ。それが神(氏神)です。氏神すなわち祖霊は、故郷の村里をのぞむ山の高みに昇って、子孫の家の繁盛を見守ります。生と死の二つの世界の往来は自由です。祖霊は、盆や正月などにその家に招かれ共食し交流する存在となる。現世に生まれ変わってくることもあります。
しかし、実は、このような考えはありふれたものではない。日本人の多くは聞いたこともないはずです。例えば、普通は先祖といっても、近年に死んだ身近な先祖のほうが大切とされ、それを祀るついでに、先祖総体が祀られるだけです。さらに、父系の先祖のみが考えられており、また、一故人のための法要が何回も行われる。つまり、いつまでも祀られる特別な魂と、そうでないものとが差別されています。しかし、固有信仰では、そのような区別はありません。すべての霊が祖霊集団に融けこんでしまっていると同時に、それぞれが個別的に存在する。
このような柳田の考えは、一九四五年四月に書き始められ、戦後まもない一〇月二二日に書き終えられた『先祖の話』に集約されるといえます。

こうやって整理をしてみると、柳田の言う「固有信仰」は、私たちの常識とも完全には合っていない。しかし、そうであるということが、学者としての柳田の「仮説」なのであって、むしろ、私たちになんらかの「社会の秩序」の理念のようなものを、

  • 本来的な、あるべき姿

を示唆している、という形になっているわけであるが、その最大の特徴が「死者を含んだ社会の秩序」といった所にあるのであろう。

戦後において「新たな社会組織」という場合、通常は、政治・経済的な観点からそれを考えるでしょう。むろん柳田もそのような観点から考えているのですが、ただ次の点で違います。彼がいう「社会組織には、生きている者だけでなく、死者、祖霊が入っているのです。「新たな社会組織」は、生者と死者、あるい人間と神の関係をもふくむものです。

柳田の考えでは、外地で死んだ若者たちの霊には行くところがない。いわば、裏山のような場所がないからです。彼らが、国家神道が作った靖国神社のような空疎な所に行くはずがないのは当然です。そこで、柳田は、子孫をもうけることなく死んだ若者たちの養子となることを提案しています。彼らを先祖にするためです。

柳田の関心は、外地で死んだ若者たちの霊なのだろうが、この「死者を含んだ社会の秩序」について考えるとき、どうしてもカントの「永遠平和のために」の理念を思い出さずにいられない。例えば、

フラット馬鹿 - martingale & Brownian motion

で、

  • 平子友長「ハバーマス『カント永遠平和の理念』批判」

という論文を紹介させてもらったが、カントの永遠平和の理念には、当時のアメリカのインディアンたちへの非人道的な扱いすらを含んでいるものであって、そしてそれが、

  • 2007年の国連総会での、先住民族の権利宣言

のような理念として現れてくる。こういった「過去」を含めた人間の「共同体」における、人間の共同の生活性を、柄谷は、柳田を通して、カント、さらに、アウグスティヌスの『神の国』の理念まで含めたものとして、理解しようとする。

彼にとって、憲法九条は、過去および未来の死者にかかわるものであったはずです。この憲法は、西洋におけるカント的な理念に発するものであり、もっと遡っていえば、アウグスティヌスの『神の国』に発するものです。しかし、柳田はそれとは別の観点から、やはり「神の国」について考えていた、ということができます。

まあ。常識的に考えて、柳田は正しいんだよね。明治政権が大量の神社破壊を行ったことによって、なにかが

  • 失われた

と考えない、根本的なアイデンティティの問題が問われることなく、さー。
笑。
何を考えたって、しょうがなくね?
明らかに、「そこ」には、柳田の言う、「固有信仰」があったんだよ。私たちにとっての「深刻」なことが、あったんだよ! この問題を考えることなしに、なにを語ったって、意味がないように思えますけどね...。