お金持ちは、自らの所有しているその「お金」を、国家に奪われたくないわけで、そのためなら
- なんだってやる
わけであろう。それは当然、
- 民主主義への介入
も含意する。しかし、そもそも国家とは、国民の財産を再分配する組織である。それが民主主義、「みんなの意見」を代表する、ということの意味なのだから。
こう考えてみよう。もしも、お金持ちが自分の財産を国家に簒奪されることを回避しようとするなら、どんな行動をするのだろう?
一番分かりやすいのが、
- 国家に貧乏人への「分配」を止めさせる
ことだと分かるであろう。国家が貧乏人への「分配」を止めれば、そのために必要だったお金を、お金持ちから簒奪する「必要がなくなる」からだ。
しかし、である。
そんなことをしたら、何が起きるか? 貧乏人の生活の「悲惨化」である。
しかし、たとえそうなったとしても、貧乏人たちが「しょうがない」と思ってくれれば、この政策が改まることはないわけで、つまりは、
- どうやってお金持ちは貧乏人に、自らの貧困を「しょうがない」と思わせるか?
に心血を注ぐことになる。世の中の、
が言っていることは、まさにこの「貧乏人に貧乏は<しょうがない>と思わせる」レトリックなわけで、それにょって、ブルジョア思想家は、お金持ちに阿(おもね)り、パトロンとなることで、彼らお金持ちから、お金を恵んでもらうことで、つまり、
- 貧乏人をお金持ちに<売る>
ことで、自らの生計を立てるわけでw、このことは、3・11以降に「フクシマ復興マネー」「原発廃炉マネー」に群がり、政府の犬として振る舞った連中の醜態と重なるわけである...。