言うまでもないが、小学校や中学校は義務教育だから、基本的に退学というものはない。ところが、高校に入ると急に、この「退学」という処分が現れる。
しかし、である。
よく考えてみると、この処分は不当である。なぜなら、生徒たちは
- 教育される側
だからであり、だとするなら、その教育の、なんらかの意味での「不成功」を一方的に、生徒の側の責任にすることは許されないからである。
そもそも、高校は、どういった理由で生徒を退学処分にしているのか? この情報公開は十分に行われているだろうか? 私にはひたすら怪しく思わざるをえない。
言うまでもないが、生徒の多くは
- 未成年
なのだ! このことが、真剣に考えられていないことは、とても日本の教育界に違和感を覚える。
子どもは間違いを起すものである。そして、間違いから学ぶのだ。子どもが犯罪を犯しても、少年院に入れられても、裁判所で裁かれないのは、そういうことで、子どもには一定の
が常に、あらゆる行為に対して用意されていなければならない。ところが、こと、高校の「退学」問題においては、この機能が働いていない。
なにかがおかしいのだ。
学校のやることは決った ひとつ覚えの退学
(浜田省吾「HIGH SCHOOL ROCK&ROLL」)
二年でインチキ学校 勝手に退めちまい
今はバイトでデパートの荷物運び
昨日いきなり 「明日からもう来なくてもいい」だと
(浜田省吾「HIGH SCHOOL ROCK&ROLL」)
そういったわけで、ネットを、こういった高校での中退に関係して検索すると、さまざまな情報があふれている。
多くは次のような相談です。学校の教師から親が呼び出され、「お宅のお子さんはこんな問題がある」とたくさん問題点を指摘されます。その上で、「退学していただくしかない」と伝えられ、一定の期限を決められ、「それまでに退学を決めていただき、手続きを進めていきたい」などと言われます。
ここで注意すべきは、教師は「退学処分」という言葉は使っていないことです。あくまで「退学」という言葉を使ってくるのみ。ほとんどの親は、「退学」という言葉と、「退学処分」の違いなどは分からず、やめるしかないと思い詰めてしまいます。
なお、「退学処分ですか」と聞いた場合には、学校教師は「自主退学を勧めている、ということです」あるいは「進路変更の指導です」などと言ってきます。
高校「退学」と子どもの学習権(憲法26条)│第7回│マガジン9
いやー。ここに学校の卑劣さがよく現れているだろう。上記の浜省の歌詞と比べてみてほしい。学校側は、ことあるごとに、その生徒に
- 退学
という言葉を使って、何度も何度も繰り返し繰り返し
- 罵っている
のだ! 日本には、教育者であらねばならないはずの立場の大人が、子どもの人権を踏みにじり、子どもの学習権をないがしろにすることに
- 快楽
を覚える鬼畜によって、ぎゅうじられている。見てみろ。これが、学校の真の姿なのだ!
子どもはまだ、法律のこともよく分かっていないし、そういった子どもの親も、学歴がなく、学校側の言うことに反論できない。恐しい
- エリート
である学校教師の鬼畜な所業によって、何人もの高校生が、高校教育を受けられずに、ドロップアウトをさせられてきた、この日本という
- 悲劇
を呪うことなしに、一体、どんな未来のユートピアがありえると言うのだろうか?
役立たずと罵られ 最低と人に言われて
要領良く演技出来ず 愛想笑いも作れない
死んじまえと罵られて このバカと人に言われて
うまい具合に世の中と やって行くことも出来ない
(THE BLUE HEARTS「ロクデナシ」)
お前なんてどっちにしろ いてもいなくても同じ
(THE BLUE HEARTS「ロクデナシ」)
これが
- 教師
たちが日常的に、自分が気に入らない生徒に浴せる罵詈雑言である。こんなことを言われ続けて、まっとうな精神状態でいろ、という方が、どうかしているだろうw
私は、基本的に、すべての退学処分、高校中退は、すべて「裁判で争うべき」だと考えている。そして、彼ら子どもたちの未来を奪った教師に、損害賠償を行い、彼らの全財産、あり金全部を出させてでも、損害賠償をさせるべきだと考えている。
しかし、それにしても、ここにあるもの,この差異はなんなんだろうか?
劣等生でじゅうぶんだ はみだし者でかまわない
(THE BLUE HEARTS「ロクデナシ」)
まあ。こういうことなんだよね。ようするに、今、この日本を覆っている、悪の本質は
- 優等生(偏差値)至上主義
にある、と言うしかないであろう。偏差値の高い奴が東大に行き、この日本のシステムを作ったわけで、だから、高校の教師による、生徒の退学処分が後を断たない。全ては、偏差値の高い人間を、社会が無批判に
- 序列化
し、彼らがどんなに悪そのものであっても、偏差値が高いという理由だけで、差別し優遇する社会にしてしまった。彼らが偉そうに、この社会において、いばりちらしている限り、決して、社会は改善されない。
だとするなら、私たちにできることはなんだ、ということになるか? 言うまでもない。私たち自身が
- 劣等生
で「あろう」とすること以外にないのではないか? 糞みたいな大人が、彼らを罵倒するというなら、私たちは、むしろ進んで、彼ら「劣等生」のように「あろう」とするしかない。そして、こういった他人を罵倒して、偉そうにしている鬼畜なエリートたちと距離を置き、彼らとは違った「生き方」を選ぶしかない。
むしろ、こういった、あえて「劣等生」としてあろうとすること、彼らと同じ目線で、彼らと
- 同等
であろうとする姿勢にこそ、「劣等生の倫理」があるわけであろう...。