東浩紀先生の著書『一般意志2.0』において、二つの、民主主義を
- 廃棄
するための提案がされている。一つは、未来の夢ということで、一般意志計算マシーンによる
- AI国家
であって、ここには政治家はいない。すべて、AIが「計算」で政治を行う。その場合の、政策決定過程は
- 国民の(ツイッターなどでの)<つぶやき>
や
- 国民の全ての行動を記録した<ライフログ>
からの
- 功利主義的な<最適>計算
による、となっている。
しかし、東先生はこれが実現されるまでの「次善策」として、もう一つの「一般意志2.0」を提案している。それは、
- エリートに大衆の「無意識」を見ること(可視化すること)を<強制>する
というものだ。こちらは、刷り込み効果で、エリートがつい「目に入ってしまう」ニコニコ動画の流れるコメントのようなものによる
- 刷り込み効果
によって、「大衆の無意識」を政治に実現させる、というものだ。
上記二つに特徴的なのは、これらはあくまでも
- 必ずポピュリズムになる(と、東先生が考える)民主主義こそが悪の根源だ
という思想のもと、それをどうやって
- エリート独裁
に変えるか、といった命題のもと、その「答え」を探した末に見出された案であって、そもそもの動機が私たちには同意しかねるわけであるw
しかし、それ以上に問題があるのは、彼の言っていることと<やっていること>とが完全に矛盾していることだろう。
というのは、多くの人が言っているように、東先生はツイッターで多くの人を「ブロック」している。つまり、自分が見たくないと思った人のツイートを完全に
- 遮断
しているわけで、そもそも上記にある
- 一般意志の<実現>
を自らが率先して、放棄しているのだ。しかし、それも当たり前ではないかw なぜなら、そんな神経の持ち主はこの世にはいないからだ。なんで自分への悪口を毎日見続けて、それに耐えなければいけないのか。なにかの苦行か?
つまり、どういうことか? 私は近いうちにこの「一般意志2.0」は
- 一般意志3.0
にヴァージョンアップされると思っている。つまり、上記の「矛盾」があまりにも後世に残しておくには
- 恥ずかしく
て、こうせざるをえなくなるからだ(今そうなっていないのは、まさにツイッターの「ブロック」効果でそういった「まっとう」な批判が彼の目に入らず、いつまでも気づかれないで、彼はまさに、彼のエピゴーネンたちからのヨイショねただけのその範囲に限定された
- 一般意志の実現w
に必死だから、ということになるだろう)。
しかし、である。
おそらくは、そんなことですむだろうか? 彼のそもそもの目的は、大衆の政治判断からの排除であり、民主主義の廃棄という「夢=ディストピアというユートピア」であり、政治のメタ化、メタ的にエリートがパターナリスティックに、大衆の「ため」に考えて(彼らの考える)「優しさ」から実現される政治を実現するためなのだから、どう考えたって、いっくらでも
- 矛盾
が見出され続けることになるわけだ。つまり、必然的にこの「ヴァージョンアップ」は
- 無限
に行われなければならなくなるw つまり、どういうことか? この「運動」は、
- 一般意志0.0
つまり、今の私たちが普通に考えている、ただの「民主主義」に戻るまで続けられる、というだけの運動だ、ということである...。