変なリベラル

私たちは「リベラル」とは正義のことだと思っていた(実際、『正義論』を書いたのはジョン・ロールズだった)。ところが、「リベラル」を字義通りに受け取って、

  • なにをやってもいい(なにを言ってもいい)

と受けとる人たちが現れた。すると、

  • 悪をやってもいい(悪を言ってもいい)

と主張するのが「リベラル」ということになってしまった。
世界には、いろいろな慣習をもった部族がいて、その外の人がそれを「悪」だと言っても、その部族では、そうではない、ということが繰り返される。すると、

  • そもそも、何かを「悪」と呼んではいけないのではないか?

といったことを言い始める人が現れる。それが「ポストモダン」である。
彼らは、そもそも法律以外の「道徳」を認めない。法律で禁止されていないなら、なにをやってもいいし、なにを言ってもいい。
つまり、これが「リベラル」だと言うわけである。
しかし、これは明らかに、おかしいわけであろう。
というのは、そもそも人間は、法律で禁止されなければ、それが「やってはいけない」ことかどうかも分からないのだろうか? もしもそうなら、あまりになさけなくないか?
ようするに、私たちは上記の「ポストモダン・リベラル・パラドックス」に、少なくとも日常的には、困っていないわけである。
なぜか?
まず、どうやって私たちが日常的に「道徳的」な行動をしているかを考えてみよう。
そもそも私たちは、初見でその人に対して侮辱的なことを言わない。つまり、基本的に誰でも最初はニュートラルなのだ。このことの意味していることは、こうだ。まず、少しでもその人と一緒の時間を過していれば、もしもその人が、なんらかの「障害」なりで、例えば、目がよく見えなかったり、耳がよく聞こえなかったりで、少し無礼なように思われがちな態度をしたとしても、「きっとこの人は、その障害のために、分からなかったのだろう」と思うなら、基本的に寛容になるわけだ。これは外国人に対しても同じで、それなりに長く一緒にいれば、次第にその人の国での慣習がその人の傾向性を説明すると考えれば、少なくとも理解はするわけである。
私たちが問題にするのは、そういう意味では「意図」である。普通の日本人が、普通に振る舞って、いつも「無礼」だったり、「他人を馬鹿にした行為」だったりするから、私たちは腹が立つのであって、最初から他者を嫌う人はいないのだ。
このことは、「倫理」とは、基本的に通時的な概念であることを意味する。ある一瞬の行為に対して、それを「倫理的」に問題にすることは、それほどない。そうではなく、その人の態度や、そうやって繰り返される蛮行の連続が証明するような

  • 一貫した悪意

のようなものが、私たちを不快にさせる。
例えば、現在さんざん話題になっている、あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」にしても、津田大介昭和天皇を焼くパフォーマンスをすることで、

  • 国家を「挑発」した

わけであろう。国家がどこまで、自分たちの「蛮行」に

  • 耐えられるか?

を。彼の行動は、高校の教師を挑発する不良の「悪ふざけ」となにも変わらない(津田は実際に、自分でもこれと同じようなことを言っている)。国家が「表現の自由」を保障していると言っているんだったら、

  • どこまでの「悪ふざけ」に国家が耐えられるかを試してやる

って実際に言っているのだ。
ようするに、どういうことか?
津田は、法律に違反しなければ、何をやってもいい、と思っている。つまり、これが、たとえ「(世の中の人たちの当たり前の道徳に照らして)不道徳」であったとしても、法律に違反さえしていかければ

  • 国家はこの国民の「悪ふざけ(挑発行為)」に耐えなければならない

と本気で思っているのだ。奴は、これから死ぬまで、何度も何度も、こういった「馬鹿騒ぎ」を繰り返して、その度に、国民の貴重な税金を散財して、そして、この国を滅ぼすまで、奴の

は終わらないのだ...。
(大事なポイントを強調しておくが、例えば、天皇制を廃止すべきかどうかといったようなことは、十分に国民的な議論を行うべき問題だ(言うまでもなく、天皇にだって人権はある)。また、今回の作品そのものだって、製作者の方はそれなりに信念をもって作られたのだろうということは、右翼だって疑っていない。私たちが頭に来ているのは、津田大介東浩紀の、ちゃらちゃらした「天皇遊び」にあるわけであろう。つまりこれは、「真剣に政治にコミットメントをする」といった態度と不可分でなければ、倫理的に許されない。津田がやったことは、天皇の話題を使って、「国家を試す」という、背徳行為なのだ。津田にとって、この国家を「試す」という、挑発は別に、天皇だろうがなんだろうが、よかったのだ。なんであれ、それによって、多くの人が

  • 逆上

さえしてくれて、彼が「試したかった」表現の自由を国家が裏切らないかがはっきりさせられればw ようするに、こいつにとっては天皇と、世の中の低俗な話題とを「同列に並べる」ことになんの苦痛ももたない、マジモンの「下品さ」なんだよな。あのさ。こんな奴らを、いつまでも「ヒーロー」扱いをするの、やめようぜ。その腐った性根が、真正のゴミ屑だろうが。胸糞悪いんだよ、外道が。)