ボランティアとホームレス

東京の比較的、大きな駅の前では、ほとんどのところで、ユニセフのボランティアをお願いしている人を見かけるようになった。それは、いつからなのかは、よく分からない。そして、比較的に、どれくらいの「成果」をあげているのかもよく分からない。私も、彼らが配っているチラシをもらって眺めたりしたこともあった。
ただ、一つだけ気になることがある。
というのは、彼らがそうやって「頑張って」いる、ほんの目と鼻の先に

  • ホームレス

がいることなのだ。私は素朴に思うわけである。なぜ彼らは、今ここで、恵んでもらった、ボランティアのお金を

  • 彼らホームレスの人たちにあげないのか?

と。
彼らは言わば、ボランティアであり「トレーニング」をされている。そして、それは、ユニセフだったら、ユニセフとして、そこでトレーニングをされるのは「海外の案件」について、となるだろう。
つまり、彼らは「海外」の事情に対しては、トレーニングもされているし、自信をもって、何が正しいのかを言える。しかし、

  • 目の前

にいるホームレスに対しては、なんの「見識」ももっていない。そして、そのホームレスに助けの手をさしのべるのは、また、それ専門にトレーニングをされた、国内向けのNGOといった、ボランティアなのだ。
こういった違和感は、この前の、献血PRで漫画の女の子キャラを使うことに、クレームをつけていた、フェミニストに対して違和感に似ているところがある。
おそらく彼女たちフェミニストは、大学などで、さまざまに「トレーニング」を受けてきたのだ。だから、「自信をもって」これが、正しいとか、これは間違っている、とか言える。ところが、そんな彼女たちが、こと

  • 献血の血液が「不足」している

という現実的な問題に対しては、なんの前向きなアドバイスができない。彼女たちは、とにかく、女の子キャラを止めてくれ、自分の見える前からなくしてくれ、とは言うが、どうやって献血の血液の量を増やしたらいいのか、については、

  • 一切

触れすらしないのだw 私の感覚からしたら、もしもそういったことが言いたいのなら、自分たちフェミニストは、全員に声をかけて、毎週、少なくとも一回は献血するようにします、とか、そういったことを人々に呼びかけます、とか、なにかを言う人間は、それに相等する「責任」をともなう行動を行ってから、やっと発言権が与えられるもの、と思うのだが、そういった

  • 実践

には興味がないようなのだ。
(これは現代が「専門人」の時代だから、と言えるのかもしれない。誰もが専門家になってしまった。そして、それを誰も疑っていないのだ...。)
おそらく、そういったホームレスの人たちというのは、なんらかの事情で、夜逃げ同然で、借金から逃げて、なんとか身元を隠して生きている人なんかもいるのだと思う。そして、上記のユニセフの人たちからすると

  • そういった「法律違反」をしている人を、助ける「正当性」があるのだろうか?

といった時点で、彼らの目線からは、もう、そういった人たちは目の前にいないことになっているのだ。
しかし、である。
どう考えても、こんな路上で寝起きをしているわけで、だれが考えたって、不健康なわけであろう。こういった、

  • 目の前

にいる人に対する、まっとうな「反応」なしに、たんなる官僚主義的な、数理計算で、アフリカの人を助けるために、募金をしてください、と言っているのは、説得力がないんじゃないか。つまり、私は、たとえそういったホームレスの人がどんな過去のしがらみをもっているのだろうとも、

  • 今、目の前

において、それなりに苦しそうで、不健康な生活をしているなら、一切の事情は聞かずに助けたらいいんじゃないのか、と思うんですけどね。まあ、あんまり人のことが言えるほど、私も立派な生き方をしているわけではないが...。