山本太郎『新型インフルエンザ』

今さら言うまでもないが、現在、東京で行われている、新型コロナに関する「緊急事態宣言」は、

という名前の法律に従って行われているわけで、その名前から分かるように、この法律は

の「危機」が目の前に迫っているということで、作られたわけである。
そう聞くと、そもそも「新型インフルエンザ」とな何か、といった疑問が湧いてくるであろう。
インフルエンザにしても、新型コロナにしても、エイズにしても、これらのウイルスは

  • RNAウイルス

と呼ばれているように、「RNA遺伝子だけをもつ<生物>」と定義することができ、DNAウイルスと区別される。
では、その最も大きな違いはな何か、というと以下になる。

ちなみに、インフルエンザウイルスはRNAと呼ばれる核酸を八本、遺伝子として持っているRNAウイルスである。RNAを遺伝子として持つウイルス(RNAウイルス)はDNAを遺伝子として持つウイルス(DNAウイルス)に比較して、複製の際に遺伝子の読み間違いが起こりやすい。その結果、頻繁に突然変異が起こることになる。

思い出してもらいたい。ダーウィンの進化論にしても、その「進化」は

  • 多くの時間

を経て獲得されるものだ、とされてきた。そこから、人間のさまざまな本能は、「原始時代」に獲得されたものだとして、それが現代の文明社会と違っていることから、さまざまな不都合が説明されてきた。ところが、こと、この

  • RNAウイルス

については、そんなタイムスパンでは全然ない。まさに、「光の速さ」で、どんどん「進化=遺伝子変異」することが分かっている。
インフルエンザには、大きく分けて

  • 季節性
  • 新型

の二つがある、とされている。私たちの多くが毎年体験するのが前者であり、こちらは比較的被害が少ない。なぜなら、多くの場合、抗体をもっているというのと、流行の前に多くの人が「ワクチン」を接種するため、となる。ようするに、科学者は今年流行しそうなインフルエンザワクチンを人々に接種するのだが、上記の性質があるため、当然

  • 今回のウイルスと違っている

のだが、その差異は比較的少ないため、多くの場合はそのワクチンが「効く」から、ということになる。
では、もう一つの方ということになるが、これが

と呼ばれているもので、明治時代くらいに流行した「インフルエンザ」であり、つまり

  • 季節性のような「マイナーチェンジ」ではなく、本質的な変化をもっているもの

の場合に、上記の法則が使えないために、短期間で「大流行」が起き、多くの死者をもたらしてしまう、という、まさに今回の「新型コロナ」と似た現象となる、というわけである。
ではなぜ、「新型インフルエンザ」が近年恐れられていたのかというと、鳥インフルエンザとも呼ばれているように

  • 鳥から人に感染する可能性

が恐れられたから、と言える。上記のRNAの性質から、今までは人間に感染しなかったのだけれど、「人に感染する鳥インフルエンザ」に「進化」して、人間社会に大流行をもたらす可能性が危惧されるようになった。
(まあ、ここから余談であるが、なぜ「科学者による人造ウイルス」の噂が絶えないのかと言えば、上記のRNAの性質があるからで、かなり容易に、人間によってRNA遺伝子を「改造」できるのではないか、といったことが予測されるからなわけであろう。)

例外もあるが、ヒトはウイルスに感染した場合、感染防御免疫を獲得し回復するか、死亡するかのどちらかの転機をたどる。インフルエンザの場合でいえば、ウイルスに感染した人は発熱や筋肉痛、頭痛、咳といった感冒様症状を呈したあと、回復するか、あるいは肺炎などを併発して死亡するかのどちらかの経過をたどることになる。
回復した人は、インフルエンザウイルウに対する感染防御免疫を獲得し、その後再び同じウイルスに感染することはない。一方、死亡した人々は、疫学的にいえば人口集団から抜け落ちていくことになる。つまり、流行の進行に応じて、ある集団内における感染防御免疫を持つ人の割合は上昇していくことになるのである。
集団内で感染防御免疫を獲得した人の割合が上昇うれば、その結果、再生産数(R)が低下することになる。

これが「集団免疫」と今、さかんに呼ばれている理論的な背景で、ただ、新型コロナの場合は回復したはずの人で再度、感染が起きるケースがあるというのは、おそらく「軽症」だったために、十分な免疫が作られなかったために、起きているのではないかと推測されているわけで、まあ、もしかしたら、一定の「免疫が機能しにくい」メカニズムがあるのかもしれないが、基本的には上記のメカニズムに準じると考えられる。
そして、もう一つ重要なことが以下である。

そして、これも疫学的には当然のことであるが、新型インフルエンザの流行は全ての人に感染した後に収束するのではなく、どれほど高い感染性を持ったウイルスによって引き起こされる流行であったとしても、集団のなかには必ず感染を免れる人が一定の割合で存在することになる。どの程度の割合の人が感染を免れることになるかは、ウイルス自身が特異的に有する感染性と人々の接触パターンを変数とした関数の結果与えられる値によって規定される。

問題はどのくらいの割合の人にワクチンを接種すれば感染症の流行を抑えることができるかということになる。

私たちが恐れているのは「流行」である。それによって、通常の医療システムが崩壊するから

  • 本来死ぬはずのない人が、通常に医療を与えられないがゆえに死んでしまう

という「悲劇(=人間の不作為)」をなんとか回避しようと、日々努力を続けている。
ということは、なにも「全員」が免疫を獲得しなくていいわけである。そうまでならなくても、「流行」は避けられる。
さて。上記までの感染症の基礎をふまえると、ある一つの「仮説」が私たちの心に浮かんでくるわけである。

医療生態学的な視点からみた場合の一つの理想は、インフルエンザウイルスを根絶したり、あるいはインフルエンザウイルスと存亡をかけた闘いを行ったりするのではなく、致死率の極めて低い(あるいは理想的には致死率がゼロの)新型インフルエンザウイルスが周期的に世界的流行をし、そうしたウイルスを私たちヒトが制御できる状態を確保するということかもしれない。そうすれば、新たな未知のウイルスがヒト社会に出現するための生態学的ニッチをウイルスに与えることなく、つまり将来にわたる潜在的リスクを増大させることなく、現在の社会的リスクを最小化することができるかもしれない。
もちろん、こうした弱毒ウイルスが将来にわたって低い致死率を維持する保障はいまのところどこにもないが、私たち人類がウイルスとの闘いに最終的には勝利できないとすれば、同じ生物として、共存・共生する道を模索するという視点に立って、インフルエンザの流行という事象をもう一度考えることが必要かもしれない。

上記で「ニッチ」という言葉が使われているように、人間の中に「併存」できるウイルスは限られているんじゃないのか、と仮定することができる。それは、人間の「キャパ」には限界があるから、どちらかが

  • 優位

になって、反対側はほとんどいなくなる、ということが考えられる。ということは、

  • 無害なウイルスに「ずっと」人間の中に居座ってもらえばいいんじゃないのか?

と言っているわけである。
まあ、こういった考えの延長にも、今話題の「BCG仮説」もあるんじゃないか、って考えることもできるのではないか。

実は日本では03~04年にかけて、老人の肺炎予防を目的に、BCG接種の効果についての臨床研究が実施されている。当時、東北大学の老年内科のグループは、高齢者介護施設に入所中で日常生活動作の低下した155名の高齢者を対象に、まずツ反検査を実施して陽性群と陰性群に分け、陰性群の約半数にBCG接種を試みた。
BCG接種4週間後に再びツ反の判定を行い、その後2年間にわたり肺炎の発症率を追跡調査したのだ。その結果、ツ反が陽転しなかった群では42%に新たな肺炎が発症したが、陽転した群や、もともとツ反陽性群では、それぞれ15%、もしくは13%しか肺炎を発症しなかった。すなわち、BCG接種は免疫反応性の低下した寝たきり高齢者において、肺炎発症の予防効果を有することが明らかにされたのである。
ただし、この場合の肺炎の原因は新型コロナウイルスではないので、BCG接種が実際にCOVID-19感染症予防に功を奏するかどうかは、欧州のBCG接種の結果を待たなければならない。
コロナにBCGは「有効」なのか?東北大・大隅教授が緊急解説(ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!ニュース

この記事を読むと、つまりは、すでにBCGに

  • 肺炎発症の予防効果

があることは、論文で発表されてた、っていうことなんだよね...。