新型コロナが、
- SARS
と基本的には、ほとんど「同じ」生物種であることは、今ではよく知られている。しかし、SARSは、MARSと同じく、強烈な
- 致死性
があったために、感染した人は、回りの人に感染させる前に、体調を悪くし、「死んで」しまう。また、そのために、結果として、SARSは、それほどの「感染拡大」を起こすことなく、収束した。
まあ、一般的な免疫学の常識に戻るなら、多くの感染症が時間の経過と共に、
- 弱毒化
していくことは知られているわけで、そう考えると、なにか、今回の新型コロナが、SARSの「弱毒化」の結果として現れたのではないのか、といった想像をしてみたくなる。
(おそらくは、一般にはそのように考えられてはおらず、SARSと今回の新型コロナには「共通の祖先」が、なんらかのコウモリに寄生しているウイルスに存在している、と理解されているのだろうが。)
今回の新型コロナの特徴は、「弱毒性」というところにある。いや、正確に言うと、
- ほとんど全ての「感染者」にとって「弱毒」
ということで、「例外」が存在し、その人たちが、強烈な症状にみまわれ、多くの重症者や死者をだしている、しかも、その重症化において、一定の割合の人たちが、
- ほとんど「初期症状」もない間に、一瞬で「悪化」して、死にまで到達している
ということになる。
つまり、ほとんどの「感染者」は、
- 自覚症状のないまま、「日常」を続けながら、「回りに感染を広げている」
というのが、特徴なのだ。
多くの「集団免疫」主義者たちが言っていたことの何が問題なのかというと、それは、東京の「墨東病院」が象徴している。この病院の死者のかなりの割合が、血液内科の患者であり、この血液内科の感染者の、なんと
- 半分
近くが亡くなっている。つまり、この病院は、血液内科の患者を集中して集める病院だった。しかも、この病院は、かなり多くの医者や看護師が感染したが、彼ら、医者や看護師は一人も「死んでいない」!
つまり、どういうことかというと、
- 「健常者」が「無自覚感染」状態になったまま、世間を「徘徊」する間に、「弱者のホットスポット」を「汚染」して、大量の「弱者」の死者を発生させてしまっている
という、
- 倫理的な問題
が問われているわけである。「健常者」は「感染」しても、重症化しないどころか、「無自覚」である。つまり、「平気で世間を徘徊できる」わけだ。しかし、そういった彼らが
- 可能である
ということを理由として、回りにウイルスを「まきちらす」ことによって、「弱者を殺してしまう」わけだ。
これが「恐しい」のだw
世間では、「集団免疫」論がかまびすしい。感染対策なんて、やるな。今まで通りの「生活」をさせろ。そして、それを制限されるような「規制」の話をされると「だだっ子」のように、オラついて、暴れ始める。俺はエリートだぞ。その俺の行動を制限するな。俺のやりたいようにさせろ。俺が稼ぎたいように稼がせろ。
しかし、彼らの言う「集団免疫」メソッドを選択することは、必然的に
- 弱者が次々と死ぬ
ことを意味する。彼らは、そうやって自分が「好きなように行動する」ことによって、
- たくさんの「弱者」を「殺す」
ことを「楽しんで」いるのだw 早い話が、人間のクズなのだ。
この「構造」は、今さかんに話題にされている、リアリティショー番組「テラスハウス」の出演者の木村花さんの自殺においても、ほぼ同型だということがわかる。
世の中では、有名人たちによる、「一般人」による「誹謗中傷」が
- 犯罪
であるから、「逮捕」すべきだ、といった議論が繰り返されている。しかし、以下の記事にもあるように、
こういった「リアリティショー」番組は、世界中で、多くの
- 出演者の「自殺」
などのトラブルを繰り返している。
だったら、普通に考えて、こういった「番組」には、なんらかの
- 構造的な(「弱者」を「自殺」に誘導する)欠陥
があるのだから、止めればいい、ということになるだろう。
考えてみると、この「構造」は、義務教育における「いじめ」と、まったく同じ構造になっている。有識者は、「いじめ」は犯罪なんだから、さっさと「学校に警察官を常駐させて、いじめ加害者を逮捕すればいい」と主張する。つまり、
- いじめ加害者
を「逮捕」しなければならないと、教育評論家が説教する姿と、
- 番組視聴者の一般市民
を「逮捕」しなければならないと、タレントや有名人が説教する姿は、まったく同型なのだ。
この二つに共通して見られるのは、そもそも、そういった
- 人々が「自然」な反応に任せて行動をすると、必然的に「いじめ=自殺者」が発生する
という「システム」自体が問題なんじゃないのか、といった問いが忘れられているのだ。
学校の「いじめ」をなくす、一番簡単な方法は、全ての子どもたちを学校に行かせなくすればいい。そして、奇妙なことに、それは「今」実現している。子どもたちは今、リモートワークとか言って、みんな、家で勉強をしている。なんのことはない、
- これからずっと
子どもたちが「学校に行かず」に、家で勉強をすれば、「いじめっ子」と学校で毎日、顔を会わせなくてもよくなり、必然的に「いじめ」はなくなる。これのなにが問題?
「いじめ」がなくなって困るのは誰か? それは
- 成績優秀な子ども
だと言えるだろう。彼らは、学校に行くことによって、クラスでの「競争」の中で、実力を磨いていくわけで、彼らにとって、「学校内の差別」は「自分が優遇される」ことと同値なわけであるから、学校への通学は絶対に止めてはいけない行為なのだ。
つまり、どういうことか? ここには「隠れた目的」があるのだ。
- 学校システム ... 成績優秀生徒を「優遇」して、その他の生徒を「奴隷」化
- リアリティショー番組システム ... スケープゴートとして、半素人の出演者の何人かを「悪役」化して、私生活を含めて「精神的に追い込む」「いじめ」を視聴者に見せて「いじめという快楽」を視聴者に提供する
- 新型コロナシステム ... 集団免疫論によって、健常者に「すべての行動の自由」を約束することで、擁護施設や病院の患者といった「弱者」が、感染する「確率」を高めることで、多くの弱者の「犠牲者」を発生させることに「快楽」を感じる
では、この「隠れた目的」から
- 私たち
を守るために、どうすればいいのかというと、
- 学校システム ... 廃止。みんなで、学校に行かない。リモートワークで、家で勉強する。
- リアリティショー番組システム ... 廃止。そもそも「リアリティ」とかいって、素人のプライベートを切り売りしているかのような体裁をつくろうこと自体が、出演者の「人権」の毀損。
- 新型コロナシステム ... 反集団免疫論。「弱者」救済のために、「健常者の自由」の一定の範囲での「制限」を行う。
ということになるだろうが、彼ら
- 高学歴チンピラ
は、あらゆる手練手管を使って、この「論理的必然」の帰結に反対してくるだろう...。
追記:
そもそも、SNSに「誹謗中傷」対策が折り込まれていないことは、SNSという「プラットフォーム」に対する
- 責任
を、司法によって問われる可能性があることを意味する。つまり、もしもこういった裁判が次々と起こされて、SNSというプラットフォームを提供している企業が、次々と
- 裁判で負ける
といった事態になると、まず起きるのが、「SNSサービス」の「社会からの撲滅」ということになるだろう。つまり、SNSには、なんらかの
- (「いじめ」を誘発する)性質
が備わっている。だとするなら、そもそも、このプラットフォームを提供すること自体が「悪」ということを意味する。
古代中国では、儒教にせよ、道教にせよ、「仁徳」ということが言われる。優れた徳者は、その人が、ただそのように、そこにいるだけで、その回りを囲んでいる人々が「自然」に、徳のある行為を行うようになる、と考えられている。つまり、
- そういった性質
をもたない、あらゆる「システム」は、なんらかの意味で「悪」の要素をもっている、ということなのだ...。