エドワード・ブルモア『「うつ」は炎症で起きる』

私たちがまず「文系」として思い出す分野として「心理学」があるだろう。これについては、最初に、精神分析学の始祖としてのフロイトがいて、その系列に、フランス現代思想を代表する、ジャック・ラカンなんかがいて、多くの人は、そこにはさぞ「高尚」が議論がされているのだろう、なんて思っている。
ところが、である。

現在では、国民医療サービスでうつ病治療を求める患者が、古いフロイト派の精神分析を受けることはありえない。治療期間は長すぎるし、費用もかかりすぎる。それに、理論的に効果のほどを裏づける証拠も、他の心理療法よりも優れているという証拠もほとんどない。大方の研究からわかるのは、うつ病に対する(何らかの)心理療法は通常は何もしないよりはましという程度だが、人によっては非常に有効な場合もあるということだ。だが、それがフロイト精神分析だろうと、ユングの分析心理学だろうと、ベックの認知療法だろうと、何か別のカリスマ療法だろうとあまり関係ない。治療反応をきちんと予測できる指標は、そのセラピストの研鑽履歴でも、治療マニュアルの内容でもない。それは、セラピストと患者の個人的な関係の質や、両者の治療同盟の強さにかかっている。話ができる相手、言うべきことと言うべきでないことを知っているか少なくとも知っていると思っている相手、それゆえ沈黙の輪を破る力をくれる相手を見つけることこそが、多くの患者に有効な心理療法をもたらす最重要ポイントかもしれない。

まあ、つまりは「学問の敗北」と言ってもいいような惨状だ、ってことですよね。心理学「が」患者を救っていない。実際に、多くの患者は心理学で救われていない。その中の何人かが、そういった心理学を学んだような

の「ボランティア」的なサポートに「感化」されて、なんとか通常の生活に戻れた人が、(多くの時間とお金をかけることで)何人か見られる、っていう程度だ、と言うのだから。
では、なんでこんな様相を呈しているのだろう?

たいていの医学分野では、常にバイオマーカーが用いられている。バイオマーカーとは、患者の生物学的機能、生化学的機能の測定値のことだ。

ところが、「うつ病」にはこのバイオマーカーがない。しかし、それには一定の理由がないわけではなかった。「うつ病」仮説として、セロトニンが疑われ、この仮説にもとづいて作られた「うつ病」用の薬(プロザック)などがあるわけだが、そもそも、脳内のセロトニンの量を計る「手段」がない。
しかし、である。
だったら、本当にこの「セロトニン犯人説」は正しいのだろうか? そもそも、そんなバイオメーカーがないもので、なんらかの「医療行為」が「成功」した近代医療なんて存在するのだろうか?
そこで、掲題の本が紹介している、最近注目されているのが、人間の「免疫」機能である。
世の中は、新型コロナ騒動で、一般の人でも多くの医学知識を語るようになっている。そして、その中でも、とびきり「エキセントリック」な色彩を帯びた用語として頻発するのが

  • サイトカインストーム

だろうw
つまり、「炎症」である。もっと言えば、「免疫疾患」である。
そう考えると、これほど人間の「免疫」機能が人々に注目されたことは今までなかったのかもしれない。
というのは、この「免疫」という人間の体の機能は、最近分かってきた側面の大きいもので、まだ分かっていないことも多く、なにより「分かりにくい」ものだからだ。
つまり、「免疫」機能は体外の環境から、体にさまざまに「攻撃」してくるなにかから、私たちを「守って」いる、と説明される。しかし、その「防御」は、時に諸刃の剣の様相を示し、

  • 私たちを「攻撃」する

側面さえ持っている、というのだから「分かりにくい」のだ。

ごく最近、オンライン上でのみ発表されたのだが、国際的な研究者の共同体が、13万人のうつ病患者の症例群と33万人の健康な対照群のDNAを分類するという研究を行った。そこで、明らかにうつ病と関連する44の遺伝子が発見された。2018年になってようやく、初めてメランコリアの遺伝的な根源にわたしたちは迫っているのだ。
その遺伝子は何者で、何をしているのか? その多くは神経系で重要なものとして知られる遺伝子だが、それについては、気分状態が脳から生じると持っているわれわれは驚かない。それより驚くのは、その多くが免疫系でも重要な遺伝子として知られていることだ。

つまり、である。新型コロナでサイトカインストームが話題になったわけだが、これと同じような症状が

  • うつ病(従来、「心理学」の領域で扱われていたもの)

と深く関係していたかもしれない、というのだ。
しかし、である。
ちょっと、冷静に考えてみないか。まず、日常生活でさまざまな「ストレス」にさらされると私たちは血圧が上がり、さまざまな体内の数値に変化が起きる。ならなんで、こういったものが「内科」の分野と関係ない、と思える?
私がここで怒っているのは、いわゆる「文系」という

  • 聖域

が疑わしい、ということなのだ。なんらかの文系的な事象が、身体の「ストレス」となることで、「うつ病」などの精神の病気と関係してない、なんて言うつもりはないが、だからといって、それが「身体」と関係していないと考えることも、あまりにもの極論なんじゃないか?

だから、社会からの引きこもりという疾病行動は、患者を保護すると同時に危険にもさらすのだ。だが、部族にとっては防御的な利点しかない。伝染病は、もともとは血縁関係にある数百人の大家族にすぎない昔の部族にとって、とりわけ恐ろしいものだった。伝染病は瞬く間に尋がっただろう。部族内で遺伝的な類似があるということは、一人にとって致命的な病原菌は全員にとって致命的ということになる。壊滅を招く伝染病は、部族の遺伝子プールをまるごと消去しかねない。患者の孤立、つまり社会的魅きこもりという自然免疫的な行動が、まだ感染していえない血縁関係者たちの感染リスクを減らすのだ。

こう考えると、なぜ人間の進化の中で「うつ病」が

  • 選択

されてきたのかの理由を説明している、と考えることもできるだろう。

深刻な精神疾患患者の寿命が平均として縮まるのは、心の疾患によって理性が乱され、そのせいでしばしば若くして自殺する患者がいるからだというのだ。しかし、このデカルト派の条件反射による答えは正しくない。たとえ、自殺を除外しても、深刻な精神疾患の人の平均余命はやはり10年削られるのだ。いわゆる精神病患者は、糖尿病や、心臓や肺の病気を患う内科患者より若くして亡くなっている。その理由として考えられるのは、医療システムのアパルトヘイトによって統合失調症や双曲性障害はひとえに心の病として扱われるが、多くの患者は体の病気を見過ごされたり、きちんと治療をされなかったりしていることだ。重い精神疾患を持つ人はセイルフケアが難しく、適切な医療、教育、社会サービスに手が届きにくいことが多い。

ようするに、最初に「うつ病」といったような「症状」で悩んだ患者は、

というカテゴリーに入れらて、まさに

  • 囲い込み

をされてしまう。そのことによって、その「原因」が、もしかしたら「内科」的な問題を多くもたらしているんじゃないのか、といった状況証拠が、そういった「精神科医」によって

  • 見過ごされ

て、それが、寿命の短さに起因しているんじゃないのか、という疑いがもたらされる。ここで考えてみてほしい。なんで、精神科医と「内科医」は別に分けられているのか? これは、本当に「合理的」なのか、と...。

「うつ」は炎症で起きる

「うつ」は炎症で起きる