ソクラテスとは誰か?

ところで、この前、ここで紹介した、木島泰三さんの『自由意志の向こう側』において、以下のように書かれている。

古代哲学の歴史の中で、エレア派以上に大きな転機をもたらしたとされるのがソクラテス(BC四六九年--三九九年)であり、哲学史の教科書は古代哲学史を「ソクラテス以前」と「ソクラテス以後」に分けるのが習わしになっている。
ソクラテスは、ほぼ同世代のデモクリトスとは対照的な仕方でパルメニデスを受け継いだ。
(木島泰三『自由意志の向こう側』)
自由意志の向こう側 決定論をめぐる哲学史 (講談社選書メチエ)

この評価の妥当性を検討する紙幅は本書にはないが、少なくとも自然観の問題に関して言えば、ファリントンのこの評価によく一致しそうなエピソードを、弟子のプラトン(BC四二七年--三四七年)が紹介している。
(木島泰三『自由意志の向こう側』)
自由意志の向こう側 決定論をめぐる哲学史 (講談社選書メチエ)

少し分かりにくい引用でもうしわけないが、ようするに、岩波新書にある、ファリントンの『ギリシア人の科学』での主張を紹介しているところなのだが、問題は

  • プラトンが対話編で書いていることを、<実際のソクラテス>がそうだった、というのを前提に書いている

というところになる。ただ、すぐ後で、その事を以下のように断ってはいるが。

この対話編『パイドン』の書き手であるプラトン自身、明確な目的論的自然観の支持者であり、自分の思想を師の口を借りて語っていた可能性もある。
(木島泰三『自由意志の向こう側』)
自由意志の向こう側 決定論をめぐる哲学史 (講談社選書メチエ)

しかし、ここも興味深い。というのは、とはいっても、プラトンが対話編で書いていることがプラトン自身の主張であって、ソクラテスの思想ではない、というのは、あくまでも

  • 可能性

だ、と言っていることだ。つまり「可能性」と言っているのだから、それを「現実性」のレベルで語るまでには至っていない。少なくとも、この人が今のところ書く文章では、わざわざ、それを改めることまでやらなきゃいけない、とまで思えるくらいまで、だれかに強いられなきゃいけない自明性はない、といったところだろうか。
そして、興味深いことに、これと同じようなことを、東浩紀先生もツイッターで言っているのである。

ぼくのプラトンのイメージはソクラテスの対話をがしがし記録し本にしていくストーカー体質のまとめ厨みたいな感じだったのだけど、思えば『国家』では「哲人王」とかいってたし、ほんとうは体育会系のイカついやつだったのかもしれない。
@hazuma 2020/11/21 23:05

さて。プラトンの対話編は、ソクラテス

  • 言行録

なのだろうか? これに明確な理由をもって反対しているのが、八木雄二先生だ。

ただし、プラトンは、一般に考えられているほどソクラテスの熱心な弟子ではない。クセノポンも、プラトンが特別の弟子仲間だとは思っていなかったと思われる。クセノポンの『ソクラテスの思い出』のなかでも、プラトンはちょっと触れられているのみである。プラトン自身の思想は、明らかにピュタゴラスに近い。ピュタゴラスは、ペルシア大帝国の圧迫でイオニア地方の故郷を追われた哲学者であり、出自はプラトンと同様、貴族(騎士階級出身、土地所有者)だろう。幾何学の研究、天体の研究、音楽の研究で、特異な功績を残した哲学者である。
ソクラテスは、同年齢の友人クリトンや、あるときから友人となったカリアスは別として、裕福な家に生まれていながら貧乏になった弟子を多く持っていた。一方、プラトンは、高貴な家名を継ぐ自尊心の強い人だったと思われる。プラトンは、ソクラテスを主な話し手とする、たくさんの対話篇を書いているが、わたしの見立てでは、生前に公刊したのは、『ソクラテスの弁明』(以下、『弁明』と略す)だけだったと思われる。ほかの作品は、公刊せず、ごく親しい人に見せただけか、あるいは、自分がつくった学校、アカデメイアで生徒に読ませただけだったと思われる。これは当時寡頭派に属していたプラトンの家が、敗戦後伝統的な民主政権のもとで力をふるえなかったことや、プラトン自身が、ソクラテスの弟子仲間と同調できず、むしろピュタゴラス学派の人々とそりが合ったに違いないと思えるからである。
実際、プラトンの対話篇は、『弁明』以外、多かれ少なかれ、プラトンの創作であって、実際にあった対話がその一部に組み込まれている程度であったと思われる。なぜなら、ほとんどの作品に登場するソクラテスが対話の中で展開する論理は、大と小、多と一、等と不等、など、数学的、幾何学的な用語のもつ論理で展開されているからである。プラトンが書いた『パイドン』という作品は、ソクラテスがドクニンジンの汁をあおって死ぬシーンを最後にもつ有名な作品であるが、プラトンは病気か何かでいなかったことになっている。しかも最後の対話で主立って意見を言うのは、ピュタゴラス派の学者たちである。『パイドン』はプラトンの創作であうことは明らかだと思われる。
八木雄二『裸足のソクラテス』)
裸足のソクラテス: 哲学の祖の実像を追う

上記から分かるように、プラトンは富裕階級でピュタゴラスと近い社会階級に属す「貴族」である。実際、『国家』などの内容を読んでも、かなり「エリート」意識にこり固まった人物を思わせるわけで、どう考えてもクセノポンの書籍や、プラトンの『ソクラテスの弁明』から見えてくる、ソクラテス人間性とは合わなすぎるw
そして、最も重要な指摘が、プラトンの書籍は、『ソクラテスの弁明』以外は、生前に、公刊されていなかっただろう、と言うわけである。ここは、けっこうおもしろい。というのは、ピュタゴラス学派は、基本的に「秘密主義」と言われている。つまり、プラトンの書いていることが、ピュタゴラス学派との親密な交流の中で、その学派の主張を反映していると考えるなら、これらが、生前に公刊されなかったことには、一定の理由がある、ということになるだろう。つまり、プラトンの主張は、一見高度に作られた哲学思想のように読まれるが、おそらくは、当時のピュタゴラス学派内での議論の流行を、かなり反映した、謎に包まれているピュタゴラス学派の実相を示すものとして、資料的な価値があるのだろう。
ところで、私はここで、驚くわけである。それは、八木先生に対する、木島先生や東浩紀先生の明確な

  • デマ

を吹聴することをはばからない「意志」にある。なぜ、こういった文系学者は、明らかに、今では「ウソ」と分かっていることを、まるで「自明」であるかのように語ることで

  • お金儲け

をしようとするのだろう(まあ、彼らが、そういった本を売っているという意味で、そう言っているのだが)。
では、ここで一つの疑問が湧いてくる。もしもプラトンが、まったくの

  • でっちあげ

を書いていて、彼の書いたソクラテスが「偽物のバッタモン」だとするなら、ホンモノのソクラテスとはなんなのか? これを伺わせる資料についても、八木雄二先生は、以下の「理由」から説明してくれる。

二つ目には、著者のクセノポンは、さまざまな作品を書き残した作家ではあるが、じつは武人で、哲学者ではない。プラトンのように哲学的な持論をもたないし、論争を好む人間でもない。ところが『家政』その他の作品に出てくるソクラテスの会話は、高度な哲学の能力がなければとてもできないものばかりである。クセノポンにそんな話が創作できるとは、とても思えない。これが、『ソクラテスの思い出』ならびにその他の作品が、クセノポンの創作とは思えない二番目の理由である。
三つめには、『家政』は、クセノポンより少しだけ年上で、なおかつクセノポンとも友人であるクリトブロス(ソクラテスと同年の親友クリトンの息子)に対して、ソクラテスが離しているものである。したがって、クリトブロスからクセノポンがその話を聞く可能性は十分にある。つまりソクラテスから話を聞いたクリトブロスが、その内容を覚えており、それをクセノポンに話してくれた、ということが考えられる。あるい、ソクラテスは、何人かの人たちに、周りで自分たちの一対一の会話を聞かせていたことが知られている。そしてそういう人のなかに、ソクラテスが話したことを細大漏らさず憶えた熱心なソクラテス信者がいたらしい。ヘルモゲネスである。クセノポンが書いた『ソクラテスの弁明』も、この人物からの伝聞である。そしてその人物から、クセノポンは、後日(ソクラテスの死後)、クリトブロスとの対話を聞いて、それを書き残したと考えることができる。クセノポンが書いた『饗宴』も同様である。
八木雄二『裸足のソクラテス』)
裸足のソクラテス: 哲学の祖の実像を追う

こうやって考えると、私たちが今、当時のソクラテスの「真実」を知ることができる一次資料は、こういったクセノポンの書籍と、プラトンの『ソクラテスの弁明』だけ、と考えることができるだろう。
そして、そういった視点で、このクセノポンが言及したソクラテスの姿をとらえようとしていくと、一つ分かることがある。それは、

ということである。全然、難しいことを言っていない。ある意味で、どこの近所でもいる、少し気難しい「おっさん」なのだw
そもそも、クセノポンの描く、ソクラテス

  • 難しいことを話していない

わけであるw ずっと、普通のことを言っている。自分の周りの、近所の話ばかりしている。ずっと、近所の関心事の「延長」でしか話していない。
しかし、それは、おそらくは、プラトンの『ソクラテスの弁明』を振り返っても分かるのではないか。ソクラテスは、近所にいる、少し正直者の、正義感に熱い

  • いい人

なわけである。プラトンの『ソクラテスの弁明』が、どこか鬼気迫る迫力があるかというと、それは、ソクラテスが、これが人生の「最後」となるかもしれない、自分の最後の言葉となるかもしれない、という予感をもって語っているから、なんですね。しかし、そこを考慮すると、彼の語っていることは、とても、普通のことであり、普通の人なんですね。
さらに、興味深いことがある。
そういった、プラトンがでっちあげた「偽のソクラテス」を注意深く、取り除いていって、ソクラテスの実体に迫ろうとすると、今度は、

という事実につきあたる。
これは、一見すると上記と矛盾しているように聞こえるかもしれない。ソクラテスは、普通に身の回りにいる、どこにでもいる「おっさん」だった、という主張に。しかし、それは違うわけである。実際には、イエス・キリストが言っていたことも、本当は、どこにでもいる「おっさん」が言っていたことなのだ。つまり、ここでの差異を

という地平で分けることが重要だ、と言っているわけである。

以下、クセノポンが書いた『思い出』第二巻第二章が伝えるソクラテスと息子の会話である。

彼の長子、ラムプロクレスふぁその母親にいきり立っていることに気づいて、彼は言った。
「わが子よ、言いなさい、お前はある種の人間が恩知らずと呼ばれているのを知っているか」
「よく知ってますよ」と、その年少の若者は答えた。
「では、なぜそういう名前をつけられて、世間で呼ばれているか、知っているか」
「知ってますよ。良くされたものが、返すべき恩を、できるのに返さないから、恩知らずと呼ばれるんですよ」と、彼は言った。
「だったら、お前は、恩知らずは不正のひとつに数えられると、世間では考えられてると思わないか」
「思いますよ」と、彼は言った。
「それなら、わたしは以前、よく調べたことがあった。一体、友人が奴隷にされることは不正であり、他方、敵が奴隷になるのは正しいと、そして、恩知らずなことをするのは、友人に対しては不正であり、他方、敵に対しては正義であると、世間では考えられていないか」
「そのとおりですね。そして、ですよ」と彼は言った。「わたしは、良いことをしてもらったのが、相手が友人であれ、敵であれ、返すべき恩を返そうとしないのは、不正であると思います」
「そうだとすれば、恩知らずは、はっきとした不正であると、考えられると言うのか」
彼は、そのとおりだと言った。

八木雄二ソクラテスとイエス』)
ソクラテスとイエス: 隣人愛と神の論理

すなわち、「恩知らずは、相手が友人であろうと、敵であろうと、不正である」。これを口にしたのは、たしかに、ここでは息子のラムプロクレスであて、ソクラテスではない。しかし、ソクラテスは、「以前によく調べたことがあった」と言っている。したがって彼は、ラムプロクレスの前で、恩知らずの問題をかつて吟味したことがあったに違いない。
それゆえ、ソクラテスはここで、息子に「そういうことがあったのかを憶えているか、思い出して見ろ」と、言外に言っているのである。ただし、そのときソクラテスがした吟味がどんなものであったかは、わたしたちに伝えられていない。
しかし、ソクラテスがその時行った吟味を通じて何が言われたかは、十分推測できる。すなわち「世間の常識では、敵が奴隷にされるのは正しいけれど、友人が奴隷にされることは正しくない、同じように、敵から受けた恩は、敵に仇で返してやればよいが、友人から受けた恩には、友人に恩返しをしなければ不正である」。つまり、このように、ソクラテスは世間で言われている常識を、まずは確認している。
この常識の論理は、古くからあるもので、「目には目を、歯には歯を」というハムラビ法典にも現れている。
八木雄二ソクラテスとイエス』)
ソクラテスとイエス: 隣人愛と神の論理

ところで、ギリシア語では、「受ける恩」も、また「感謝」も、同じ単語「カリス」が使われう。キリスト教で「神の愛」を意味するラテン語「カリタス」は、じつは、この「カリス」の抽象名詞化されたものである。したがって、ソクラテスの言う「恩を受け」、「恩を返す」ということばは、キリスト教が言う「神の恩愛(恩寵)を受け」、「神を愛する」(恩返し)と同じことを意味している。あるいはまた、イエスが「隣人を愛する」ことと「神を愛する」ことを、同一視して「愛」を語っている理由も、先に述べた恩と感謝の無限の連鎖から見当がつくだろう。
八木雄二ソクラテスとイエス』)
ソクラテスとイエス: 隣人愛と神の論理

そもそも、新約聖書が最初に書かれたとき、それはギリシア語であっただろう、というのは、今では定説なんだよね。つまり、イエス・キリスト

の素養をもっていた。おそらく、ストア派なのかどうなのかはわからないけど、こういったプラトンの『ソクラテスの弁明』は読んでいただろうと思われる。それに付随して、クセノポンのソクラテスの言説を知っていただろう。
というのは、あまりにも『ソクラテスの弁明』のソクラテスと、実際の、イエス・キリストの言説は

  • 似て

いるんだよね。この点について、もっと多くの人たちが、深く考えるべきだと思う。
そのためには、何が必要か、ということだけど。
私は、思いきって、プラトンの著作のうち、

くらいの「覚悟」が必要なんじゃないか、と思っている。そして、クセノポンの著作を、ひたすら読み返す。こうすることで、やっと、素直にその内容が、自分たちの中に入ってきて、やっと、ソクラテスの「実体」が、理解できるようになる。
それまでは、

の言うことを、耳に入れない、という努力が必要だと思う。本当に、こういった連中は害悪だ...。