アニメ「Citrus」と「上級国民」

けっこう前だと思うけど、「Citrus」というアニメがあった。これは、漫画の原作があるんだけれど、主人公の声優が竹達彩奈で、1クールで終わってしまった。
原作の漫画は、いったん完結した後、「Citrus+」という名前で、3巻まで発売されているようだ。
このアニメの最初の何話かは、たたみかけるように、ストーリーが展開していく、まさに

  • 漫画のような

作品だ、と言えるだろう。
主人公の、藍原柚子(あいはらゆず)は、高校に入学するのと同時に、母親が再婚する。その再婚相手が、学校の藍原芽衣(あいはらめい)であり、生徒会長として、初登校時に、柚子を注意した相手であった。芽衣のおじいちゃんは、この学校の理事長となっており、そこから、芽衣は自分が「理事長の娘」となったことに気づく。
ただし、この作品は奇妙な構成になっている。まず、柚子は作品の最初の段階では、母親が再婚した男性の顔を知らない。なぜか、この人は、世界中を転々としている、という説明がされるだけ、となっている。
次に、芽衣の「謎」だ。彼女は寡黙で、自分のことを一切話そうとしない。そういう意味では、エヴァ綾波レイに似ていなくもない。ああいった、ちょっと「異常」な側面のある女性として表象されている。
ところが、柚子は偶然、その芽衣が校舎裏で、若い男性教師と濃厚なキスをしている場面を見かける。そして、たまたま、その男が電話で話している場面に遭遇して、芽衣との関係が、理事長の財産目当てであって、他に恋人はいて、財産さえ手に入れたら、捨てる予定だ、という発言を聞いてしまう。
作品は、前半での理事長の急な病気によって倒れた場面で、一つの

  • 完結

を迎える、と言っていいだろう。柚子がこの学校にい続けられるかは、この理事長である、おじいちゃんに「認められる」かどうかが問題だったのであるから、ここで一つの決着がされたことで、ある意味で、この作品は、終わった、と言ってもいい。
では、この後、何が描かれていくのか、であるが、言うまでもなく、

であり、

である。作品の前半で、芽衣と濃厚なキスをしていた、その教師は、柚子の告発によって、学校を辞めて、それ以降、芽衣の前に現れない。このことが意味していることは、

  • 芽衣の「この世界に対する無関心」

である。ようするに、芽衣は、そういった男女の肉体関係でさえ「どうでもいい」と考えている。そしてそれは、水沢まつり(みずさわまつり)の登場回での、彼女の態度にも現れている。
なぜ、彼女はそうなのか? それを示すことが、今回の東京オリンピックで現れたんじゃないか、と思っている。それが、

  • 上級国民

である。この前紹介した、岡田斗司夫さんの動画が示したように、日本には「上級国民」と呼ばれる人たちがいるわけで、その「人間関係」が、今回の東京オリンピックでの、コーネリアスの小山田が参加する、という結末になった。誰がどう考えても、ふさわしくない彼がなぜ参加することになったのかといえば、今回の東京オリンピックが「天皇」を代表とした形で開催されたわけであり、そういった「上級国民」が中心として関わらざるをえなかったことが関係している。つまり、そういった

  • 人脈

が、かなり動いた、ということを意味する。この「人脈」の中で完結しようとしたことにより、彼らの「作法」が、小山田を表舞台にひっぱる形となった。
例えば、私が昔から不思議だったことに、自民党がある。自民党には、いろいろな考えの人がいいるが、なぜか、彼らは「共存」している。つまり、どんなに安倍元首相が「トンデモ」なことを言っても、他の自民党の人は、直接は批判しない。つまり、基本的には

  • 何も言わない

のだ! ところが、彼らは自民党に留まる。そして、安倍が首相を辞めたら、首相に立候補する。いや、安倍が首相だったときから、「戦えよ」と思わないだろうか? それが、「国民のため」と考えたら、やんなきゃだめでしょ。でも、自民党はそれをやらない。
そう考えたとき、一つの納得できる理由が、「彼らが上級国民だから」というのがあると思われるわけである。岡田さんが言っていたように、そもそも、上級国民同士は、相手を批判しない。どんなにそいつが「トンデモ」だったとしても、批判しない。なぜなら、批判をすることで、相手と「絶縁」になったら、

  • 家(イエ)の関係も絶縁になってしまう

からである。上級国民は、お互いの「家系の繋がり」を財産として生きている存在なのであって、どんなことがあったとしても、それを守るわけである(だから、小山田の「いじめ」は、究極まで、エスカレートした)。
さて。なぜ、芽衣はああいった「人生に捨て鉢」な態度だったか。その理由は、漫画版の後半であかされるわけだが、彼女には「婚約者」がいたことが分かる。しかし、彼女はその相手が誰なのかもろくに知らない。ようするに、彼女のおじいちゃんを中心として、

  • 彼女の家系

に連なる人たちが、お家の継続を考えて、彼女の承諾も取らずに、「勝手に彼女の婚約者を決めていた」ということである。そして、彼女はそれに逆らえなかったし、逆らってこなかった。
ここに、彼女の父親がなぜ、世界中を転々としているのかも明らかになる。ようするに、彼女の父親は、そういった「家系」による、回りからの

  • 強制

に逆らうために、日本から逃げた、というわけである。
芽衣の「捨て鉢」な態度、彼女の恋愛に対する一切の「あこがれ」を感じさせない、肉体関係さえ、なんのロマンティックなイメージをもっていない態度には、そういった

  • どうせ家柄には逆らえない

という「あきらめ」が関係していた。どんなに誰かに「ほれて」も、どうせ自分には、家柄が決めた婚約者と結婚しなければならないわけで、だとするなら、こんな肉体を誰がどう使おうが、関係ない。自分を大事にする意味なんてない、という「あきらめ」がある。
しかしね。考えてみると、こういった「上級国民」の作法が、彼ら自身の中で閉じていてくれるなら、我々しもじもの者には関係ない、と言えるかもしれないけど、こと、

  • 国内政治

においても、同じことをされると、特に、3・11での原発事故や、今回の新型コロナのような、国民をひっぱっていくリーダーシップが求められるときには、ほんと、どうしようもなく

  • 役に立たない

ということが分かったんじゃないだろうか。東京オリンピックの最中で、菅総理小池都知事は、その時、大量に発生していた

  • 東京の自宅療養者(という名の、自宅棄民)

に対して、

  • 基本的に、「自宅療養」を基本とする

という形で、国民を捨てやがった。こうやって、国民を「捨て」れば、東京オリンピックは続けられる。その一点で、奴らは、

  • こんな人たちは、勝手に、自宅で死んでください

と捨てやがった。なぜか? 東京オリンピックは、天皇を中心とした「上級国民」が関わっていた行事であって、なんとしても成功させなければならなかったのに対して、

  • 自宅棄民は、しょせん「下級国民」だから、いくら死んでも「たいしたことはない」

と考えたからだ。そして、この棄民政策は、小池都知事が、まったく、野戦病院に興味を示さないことによって、今も続いている、ということが分かるだろう(菅と小池は、一回自分たちが出した決断が「間違っていた」と認めたくないから、絶対に、野戦病院を認めないだろう。東京都民の悪夢は今も続いている)。
私たちは、菅と小池に殺されなければならないのだろうか? この悪夢を打破するためには、

しかない。ようするに、上級国民集団の自民党支配から、立憲民主党を中心とした野党政権への移譲を目指すしかない。その選挙が、衆議院選挙であって、私たちが死にたくなかったら、これしかないのだ...。