急激な感染者の減少

新型コロナが「季節性」なんじゃないか、といいう言い方は私はあまり好まない。というのは、もしもそこに「季節性」という法則があるなら、その要因はなんなのかが分からなければ、この現象が解明されたとは言えないんじゃないか、と思うからだ。
ちなみに、これについて、以下のテレビのニュースを切り取った動画があった。

www.youtube.com

まあ、動画はいずれ削除されるでしょうから、簡単に画面のキャプチャで内容をまとめておくと、

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これは感染者のグラフ(オレンジの棒)と夜間の滞留人口(つまり、人流)のグラフ(青の折線)の比較で、途中から相関していない。

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次に、飲食店やデパートなどの屋内施設の人流のグラフ。

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これに、感染者のグラフを合わせたもの。

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感染者は、およそ10日で発症すると言われているので、10日後ろにずらしたもので、まあ、なんとか、相関らしきものが見えてきた、と。
このグラフは、おそらく、アドバイザリーボードなどが最近になって提出してきた解析結果なのだろうが、よく考えてみると、最近の学会というか、海外での報道の主流の主張と一致しているように思われる。
つまり、新型コロナは、むしろ「空気感染」している、ということだ。もっと正確に言うと、エアロゾル感染とか、そういうことなのだろうが、大事なことは、

  • 密閉空間で、空気が滞留している

ところで、一定の人数の人間が滞在していると、当然、呼吸活動を行うわけだから、口から出てくるウイルスを含んだ空気が掃き出され、その空間の中の、ウイルスの「濃度」が上がることで、それらを吸い込んだ人たちが感染する、という形になっている。
まあ、こう考えると、風通しのいい屋外では、そこまで注意しなくていい、ということになるわけだ。
おそらく、新型コロナが空気中に大量に掃き出されるケースというのは、かなり肺活量の多い場合なわけで、カラオケで歌を歌うとか、そういったケースなわけだろう。肺から大量の空気が掃き出されるときに、肺にいるウイルスが一緒に大量に空気と一緒にもってこられるわけで、そう考えると、私たちがより日常において、注意が必要な場面がどこなのか、といったことが分かってくるのだろう。
ここで、もう一度、新型コロナの流行のメカニズムを考えてみたい。ほとんど感染者がいない状況から、少しずつ感染者が発見されてくる。すると、

  • ある一定の人数(=閾値

を超えたところから、急激に感染者が増え始める。これを

  • リンク

と言う。つまり、ある一定の人数になると、私たちが普通に一日の生活を行っている間で、感染者と遭遇する確率が高くなり、その日に感染する確率が高くなる。つまり、この「リンク」がどんどん続いてしまって、この「拡大」が途切れない、ということである。
こうして「爆発的」に増えた感染者は、多くの場合、なぜか、ある一定のところから、急激な減少を始める。
なぜ、この「相転移」が起きるのかは、多くの場合、よく分かっていない(上記のグラフで言えば、屋内の人流減少ということになるだろう)。ただ、そうなったときに、なぜ減少するのかは、まったく同じで、つまり

  • リンク

である。その人の一日の回りで、感染している人が少なくなれば、当たり前だけど、その人がその日に感染する確率は低くなる。
逆に言えば、新型コロナは回りの人間に感染を広げたくても、回りに人がいなければ、広げられないわけで、どこにも広げられないまま、その人の中で「リンク」の終端点となって「終わる」というわけだ。
まあ、これは集団免疫の場合のメカニズムについても同じわけで、いずれにしろ、回りに感染者がほとんどいなくなった時点で、そこから、急拡大をまた起こすというのは、普通は起きないわけで、だから、ワクチン接種者が100%でなくても、流行が終わるというのは、そういうことなわけである。
早い話が、今の日本の感染症対策の法律は、新型コロナのようなタイプを想定していないんだと思う(だから、多くの専門家と呼ばれている人たちの「エリートパニック」が、ネット上にさらされた。新型コロナは、「弱いウイルス」だ、たいしたことはない、世の中の過剰反応だ、といったように)。もともとが、サーズやマーズのような、

  • ものすごい毒性で、一瞬で回りの人を殺してしまう

ようなタイプを考えていたから、もしもそうなら感染するやいなや死んでしまうわけで、

  • 回りの人を感染させない

わけである。しかも、ほんの一部の都市だけを閉鎖すればいい、という形になる。
ところが、新型コロナは、そもそも「無症状」でも、どんどん感染を広げるわけで、感染した人がピンピンして、活発に活動をするし、しかも感染してから、重症化するまでに、長い時間がかかるので、

  • 膨大の感染者が市中に「氾濫」する

わけで、もともとの法体系として、「(狭い地域の)都市閉鎖」のようなケースしか想定していない今の感染症法は、まったく、現実と合っていないわけだ。
そう考えると、たとえ今の法律が、国立病院を、新型コロナ専門病院と政府が「強制できる」と書いてあったとしても、それをどこまで行うのかについては、現実的な話はあったのかもしれない。
日本の病院は、民間が多く、そういった小さなところは、そもそも「経営」として行っているわけで、儲けられなければ意味がない。そう考えれば、そういったところが、患者を受け入れることを嫌がることは、

  • リスク

を考えれば当然ということになる(もちろん、一般の病気の場合、患者の受け入れを拒否することは、法に触れる犯罪となるわけだが、少なくとも今回の新型コロナについては、国が民間に「見なくていい」と発表しているのだから、どこもやらないのは当たり前だと言えなくもない)。
日本のように、感染対策として、ロックダウンのような法律による強制ができないと考えている国が最も簡単にできる対策は、

  • 実際に国民を「殺す」

ことだろう。実際に、満足な医療が行えないまま、多くの人が自宅で死んでいれば、誰だって

  • 怖がって

外に出ないだろうw これほどの「行動抑制」を促す対策はないだろうw 言ってみれば「生贄(いけにえ)」だ。
しかし、このことはよく考えてみなければならない。というのは、そもそも、太古の昔から村々で行われてきた「生贄」とは、もともと、そういった効果を狙って行われてきたのではないか? 当たり前だが、みんな死にたくない。しかし、生贄を捧げなければならない。つまり、誰かに死んでもらわなければならない。そうすると、多くの人は考えるわけである。死にたくないから、村の掟に従おう、と。こうやって、村の人々に、感染症対策に適合した

  • 日々の慣習

を行わせることによって、そもそも村の運営というのは行われてきたのではないか?
もちろん、これだけワクチンが日本で普及したわけで、今年の冬は、それほど流行しないかもしれない。しかし、ワクチンの重症化予防はさかんに言われていても、感染抑止効果については、そこまで強力でないと言われているわけで、この短い間に、

  • 新しい変異種

が現れて、ワクチンを「突破」してくるかもしれない。
しかし、たとえそうなったとしても、政府はまったく、やる気がない。政府が病院に強制をしないから、当然、病院はリスクのあることをやりたくないから、また、患者がどこの病院にも受け入れられないで、

  • 市中(=自宅)に氾濫

する。そして、多くの人が苦しみの中、自宅で突然死をするわけだが、国家は

  • その情報

を全国民にアナウンスをすることで、人々に

  • 恐怖

を植えつけ、危険回避行動をとらせることによって、

  • 感染の流行を止める

という、まさに、太古の昔から行われてきた、いわば

  • 生贄作戦

が、現代においても続けて行われている、と言えるのかもしれない...。
(まあ、こんなことをやっていれば、選挙で負けると思いますがw)