完結したエウレカ

エウレカとは、2005年のテレビアニメ「交響詩篇エウレカセブン」のことで、その後、映画化がされているわけだが、2017年から、「ハイエボリューション・シリーズの三部作として、今回の映画が、この三部作の完結編となる。
私はそもそも、このエウレカセブンについて、少し批判的だった。もちろん、これを「セカイ系」とか「ゼロ年代」の作品として語ることにも批判的だったし、結局この作品が何を言いたいのか、ということに対しても、懐疑的だった。
ただ、今回の作品は、少し趣が違って、興味深かった。

エウレカ」の崩壊に伴う仮想世界の住人の登場。いわゆる "大融合" は双方の世界に大きな混乱をもたらした。そして仮想世界から現れた人々は「グリーンアース」、現世界の人々は「ブルーアース」を名乗るようになった。
(「EUREKA / 交響詩篇エウレカセブンハイエボリューション」パンフレット)

この世界では、ちょうど、今の私たちの何十年後といった形で、かなり今の世界に近い舞台となっている。ここには、レントンはいない。ただただ、ひたすら、

が、エウレカの能力を失くしながら、生きている世界として描かれている。孤独な彼女は、アイリス・マッケンジーという、同じ「EUREKA」の能力をもった少女と出会い、彼女と、地球上で逃避行を行うことになる。
私が興味深かったのは、大人となったエウレカが、この、レントンのいない世界で、普通に生きている、という世界設定だった。孤独な彼女は、ただ、アイリスと出会う。
能力を失ったエウレカ
その生活は、ある意味で、普通な私たちと同じ人間だ、と言うこともできるだろう。そして、このレントンのいない世界で、彼女は普通に生きている。そんな彼女と、アイリスとの逃避行は、言ってみれば、普通の地球人のハイウッド映画にあるような、「人間の姿」だった。
つまり、なぜ、この完結編で、こういった姿を描かなければならなかったのか、というのを考えさせられたわけである。そして、それと同時に、結局のところ、それが「何がこのアニメの描こうとしたものなのか」に対応して示されたものだった、と言うこともできると思う...。