アニメの自己言及性

日本において、アニメがこれほど一世を風靡したことについては、今さら、論をまたないだろう。しかし、そのことと

  • 商業アニメ

が、どのように「制作」されているのかは分けて考えなければならない。
そもそもアニメは、漫画や純文学と同じように

  • 芸術(げいじゅつ)

である。つまり、ここには、一般に多くの仕事で求められているような、「必要十分」な、品質(つまり、検品)といったものでは測れない、「価値」が求められる。
しかし、他方において、この「制作」の過程においては、そういった芸術という

  • 個人の美意識

に還元できない、「集団制作」のルーティーンの側面(一般の会社で行われているような、給料で測られるような、生産性)がある。
つまり、こういうことだ。今のアニメが、日本において、一定の「支持」があり、「評価」がある中で、そもそもそういった作品が「どのように」作成されているのかは、たんに

  • 個人の美意識(純文学的な私的な内面の記述)

に還元できない、「総合芸術」としての側面がある。このことから、

  • どうやって、今、日本で消費されている「アニメ」が作成されているのか?

という疑問が浮んでくる。ということは、どういうことか? つまり、

  • アニメの自己言及性

の可能性を意味する。

  • どうやって、今、日本で消費されている「アニメ」が作成されているのか?

が情報としての価値があるというなら、むしろ「それ」がアニメ化されることには、「合理的」な理由がある、というわけである。
そういった作品として、アニメ「SHIROBAKO」は、テレビシリーズとして、2014年に全24話で作られ、2020年に劇場版が公開された。
ちなみに、岡田斗司夫が、2020年に、彼の youtube のチャンネルで第7話までの解説をしている:

www.youtube.com

つまり、このアニメは、かなりアニメ業界の仕組みを知らないと「なにをやっているのか分からない」側面があるので、そういった部分を解説してくれていて、理解が深まる。
はっきり言って、このアニメは傑作である。というのは、いわゆる「仕事アニメ」として、非常に高い質をもっている、という意味で、濃密なのだ。
そして、そのことは反転して、「仕事アニメ」としての普遍的な意味を帯びるものでもある。つまり、このアニメで描かれる、このアニメ業界の姿は、他方において、

  • 日本中の大人たちが行っている、さまざまな分野の業界

での姿と、ほぼほぼ変わらない姿を示している、と言えなくもないわけである。つまり、上記の個人芸術とは一線を画した、「集団芸術」としての、

としての、アニメ制作の側面においては、まったく、他の分野の仕事と変わらないわけである。
そういった意味で、非常にいい「仕事アニメ」としての、品質を示している。なぜ、この作品がここまでの質をもった「仕事アニメ」となれたのかは、ほとんど同じ意味での

  • アニメ業界への自己言及的な構造

に、それが集中している、と言ってもいい。つまり、自らが、いつも行っている日常を描くという一点において、極端に、「その分野について分かっている」がゆえに、そこに描かれる

  • リアリティ

が格段に上がるがゆえの、作品の濃密さを実現できた、ということになるのだろう...。