映画「ドライブ・マイ・カー」

映画「ドライブ・マイ・カー」は、現在も映画館で上映されている作品だが、私も半月前くらいみ見た。原作は、村上春樹の短編小説だが、こちらについては読んでいないが、昔読んでいた彼の作品のスタイルとほとんど変わらないテーマが繰り返されているな、という印象だった。
ある意味で、村上春樹はずっと、このテーマを描き続けている、と言えるのかもしれない。彼自身である主人公が関わることになる「他者」としての、

  • 彼女

という「女」は、なんらかの「闇」を抱えた存在である。それに対して、主人公はその「女」という「他者」と関わることになったものとして、

  • <それ>に苦しむ

というテーマをずっと描き続けている。この非対称性こそがテーマとなっていて、常に苦しむのは、というか苦しむのを「描かれる」のは、「闇」をもつ「他者」の方ではなく、その人のそばで

  • コミットメント

することになった自分であり、僕であり、主人公、というテーマにこだわり続けている。
主人公の舞台演出家であり、自ら出演もする家福悠介は、妻の家福音と平和に暮していたが、ある日、妻の音が蜘蛛膜下出血で亡くなる。それから、2年後に広島の音楽祭で彼の演出で舞台をやることになったが、そこで、寡黙な女性である、車のドライバーの渡利みさきと出会うことになる。
この二人はそれぞれに、「苦しんで」いた。悠介は生前の妻の中に、どんな「闇」があったのか、苦しみを抱えていたのかが分からなかった。みさきは、彼女の、今は亡き母親がどんな「闇」を抱えていたのかに苦しんでいた。お互いは、それぞれで、

  • 自分にはなにができたのか

を今も考え続けている、と言うことができるだろう...。