加速主義の結末

故安倍元首相が死んだ今回の事件は、奇妙な方向に報道が向かっている。というのは、一般的に元首相が死んだのだから、彼を殺した人の

  • 政治的意図

が議論されるはずだからだ。ところが、そうなっていない。
これはなんなのかと考えてみると、まず最初に報道されたのは、山上が

がったことだろう。つまり、山上は自衛官として、殺人の「トレーニング」を受けていた。こうした場合に、世の中的に、元自衛官は「危険」だ、といったような報道ができない、と考えたわけである。
おそらく、これは日本社会における、もう一つの

  • タブー

なんだと思う。元自衛官を、日本社会は「コントロール」してこなかった。当たり前だが、彼らは、たんに

  • オタク

なのではなく、特殊なトレーニングを受けている人たちだ。言わば、彼ら自体が「武器」なのだ。一方で、日本社会において、もう一つ、こういった意味において、特殊な人たちとして、日本社会が警戒してきた人たちがいる。それが、

  • ヤクザ

である。しかし、彼らはある意味で、自分たちが、この日本社会において「影の存在」だ、という自覚があるため、常に行動は抑制的であり、裏に回っている、という性格がある。
では、なぜ日本社会は、元自衛官をタブーとしてきたのだろうか。一つは、そもそも

を、どのように日本社会が確保し続けるかが、常に問題だったからだ。どうやって、この人材をリクルートしたらいいのかは、そう簡単なことじゃない。そう考えたとき、自衛隊を辞めていった人たちの

  • 不満

を社会の表面に出すことに、警戒したのだと思う。
そして、今では常識となっていることだが、山上が一貫して、安倍首相であり自民党に「応援的」だったことだ。山上が今、報道ベースで伝わっている範囲では、彼の今回の銃撃は、ひとえに

  • 教団への復讐

として行われていることであり、それでなぜ安倍だったのかは、

  1. 教祖と彼女の子供たちを一度に殺せない。
  2. 広告塔としての安倍が目立ち、明らかな親密な関係がみられたので、こういった事件で安倍を殺すことによって、世の中に統一教会の「問題」への視線を向けるために、最も「効果的」だと考えた。

と言っていて、つまりは、

  • 安倍であり、自民党の右寄りの政策を悪いと言ったことがない

わけであるw もちろん、統一教会への恨みから逆算すれば、自民党なり安倍に、なんらかの「彼らが統一教会を保護しているがゆえ」の、恨みはあっただろうが

  • それ以外

ということでは、つまりは、それまでネトウヨたちが「右と左の争点」だと思っていた各論点に関していえば、すべて、

  • 右側

の人だった、ということに、彼らネトウヨたちの、今まで俺たちはなにをやってたんだ、といった「挫折感」があるわけだ。
今回の事件を「奇妙」だと思う人は、そもそも人間は、その根源に

  • <個人的>な恨み

がある、という、なんとも古典的な当たり前のことを忘れていたのだと思っている。
それは、東浩紀先生なんか、典型的で、彼はツイッターで何度も、「法律さえ守っていればなにをやってもいい」ということを言っていたわけだし、実際、そういった

  • 右寄りのヤクザ的なジャーナリストや言論人

と、何度も対談をやっていた。そして、彼のツイッターは、彼の

を吐露する、ほんとのゴミを吹きだまりと化していたわけだ。苦しんでいる大衆を馬鹿にして、自分がいかに、エリートとして頭がいいか、有象無象が自分に意見するなんて、いかにおこがましいか、と愚弄するような態度を続けてきた。自分より学歴の下の人を馬鹿にすることを、ほんと毎日のように書きこんで、

  • 快楽

をむさぼっていたわけね。いや、こういった連中は彼だけじゃないわけ。彼が「つきあって」いた、右よりのジャーナリストや言論人は、みんなどこか、そういった「傲慢」なところがあった。
彼は「自由」というのを、

  • エリートが「なにを言っても、大衆はその罵詈雑言に耐えなければならない」

ことだと勘違いしていたわけである。つまり、エリートが自らの「快楽」に任せて、

  • あの、自分より学歴の低い馬鹿、なんで生きてんの、死ねばいいのに
  • あの、自分より学歴の低い馬鹿、なんで俺に意見してくるんだよ、俺のビジネスの邪魔すんな

とか、こういった感じの態度をずっとやってたわけだよね。そして、そういった彼の高飛車な態度を、逆に「おもしろがる」、いわゆる

  • 男子校のノリ

を共有した、男子校出身者たちが、彼の回りに群がって、変な雰囲気のコミュニティを作ってきた。
彼らは、

  • 社会は究極的な「金持ち優遇」社会に遷移して、貧乏人は今以上に極限まで貧乏になる「運命」から逃げられない

として、そういったものに抵抗して、なんとか対抗していこうとする、一切の社会運動を馬鹿にし、嘲笑し続けた。
そして、こういった「流れ」は絶対に逆らえない、として、これを

  • 逆説的

に「肯定」する論陣を行ったのが、宮台真司先生の「加速主義」だった。
加速主義とは、もともとは、アメリカのオルトライトの一つの潮流として、語られた議論であり、もっと起源ということでは、マルクスの資本主義分析にまで遡る。つまり、今のこの流れの方向でありを、より

  • 徹底

させることで、今のあらゆるものが成立しないまでのフェーズまでに一気に突き抜けさせて、さっさと次のフェーズに移ること以外に「希望はない」という主張なわけだ。
というか、どうなのかね。こんなの主張にもなってないんじゃないかと思うわけだけど、というのは、こういうことを言っている連中は、実際には自分が言っていることが、何が起こることなのかを分かっていないからだ。
山上が安倍を殺した。これに対して、ネトウヨは「なぜなのか」と言うわけだが、なんのことはない。

  • 加速主義を肯定すれば、こうなる

というだけのように思えるわけだ。つまり、なんで安倍が山上に殺されたのかは、

  • 加速主義者が加速主義を肯定したから

なわけw つまり、さ。加速主義者は、自分が言っていることが何を起こすことになるのかの想像力がないのね。いや。

  • お前が「望んでいた」ことが起きただけじゃん!

お前が、安倍を山上に殺させようとしていたんだろ。だから、加速主義って言ってたんだろ。なにいってんの。お前が望んだ通りになったじゃん。なんで、それを受け入れないの?
まあ、これって、上記の東浩紀先生の問題とも繋がるわけだよね。お前らが、そんな傲慢な態度で、自分より学歴の低い人を見下すような態度を続けていたら、そりゃあ、いっくらでも、「恨ま」れて、復讐の対象にされるよ。それが人間なんだから。それを、

  • 法律を守らなければなりません

みたいな、「優等生」みたいなことを言っていれば、いっくらでも、対談で大衆を馬鹿にしたことを言っても、警察が守ってくれるの? 大衆を挑発して、愚弄して、自分の快楽を満たして、大衆はその「恨み」を晴らすことは「法律に違反する」から、やっちゃいけません、だから、僕を警察は守ってくださいって、よっぽど、頭がおかしくないと言えないと思うんだけどな。

追記:
しかも、嗤っちゃうのが、東浩紀先生は、ウクライナ戦争で、「ロシアのみなさん、プーチンを暗殺してください」って、何度も言ってたよな。プーチンさえ暗殺できれば、全てが平和になるんだ、って。確かに、バイデンはISの幹部の暗殺をやったって、自慢してたけど、なんでバイデンは、プーチンの暗殺をしないんだろうねw 東先生は、なんなの? 暗殺肯定なの? 否定なの? 適当に、その場その場で、原則を変えるなよ。自分の友達を誰かが殺すのは許せなくて、自分の敵は殺さなければならない、とか言いたいの? こいつは、いっつもこんな感じで、その場その場で、言うことがコロコロ変わるんだよな...。