アニメ「ぼっち・ざ・ろっく」第1話の衝撃

ここのところ、楠木ともりの降板の話で、ネット上はもちきりだ。そして、その文脈としては、おそらく次のライブが彼女の最後のパフォーマンスになるだろうから、笑顔で送ってあげよう、といったような、なんとも前向きな、リア充コメントで溢れ返っている。
こういうのを見ていて、なぜ私がアニメ「ラブライブ・スーパースター」の第2期に不快感を感じたのかの理由が分かったような気がする。
振り返ってみると、ラブライブシリーズは、さまざまなバランスの上に、できあがっていたんだなと思うわけだ。まず、無印とサンシャインは、基本的に構造が似ている。主人公の穂乃果と千歌は、どこにでもいる、普通の女の子だ。特別に歌がうまかったわけでもないし、ダンスができるわけでもない。しかし、

  • だからこそ

そういった存在は「アイドルになる資格があった」。というのは、もともとにおいて、日本におけるアイドルとは、そういう存在だったからだ。アイドルは歌がうまくない。彼女たちに欠けていたのは、徹底した

  • 才能

だった。そのことは逆説的に聞こえるかもしれないが、アイドルが売れる「条件」だった。まあ、分からなくはない。私たちが「応援」したくなる存在とは、もともと、そういう人なのだ。
対して、アニメ「ラブライブ・スーパースター」とは、どういう話だったか? まず、主人公の澁谷かのんは、第1期の第1話の最初で

  • やさぐれ

た存在として現れる。それは、人前で歌が歌えないという理由で、高校の音楽科に落ちて、普通科に行くところから始まったからだ。しかし、である。作品が進むにつれて、この設定は忘れられていく。当たり前のように、人前で歌うようになり、彼女は

  • 人前で歌が歌える<完全体>

へと「成長」したことにされる。そして、実際にその結末の悲惨さを見せられたのが、第2期だった。ここでは、もう、一度として、彼女は「やさぐれ」た存在として描かれない。まさに、

  • パーフェクト・ガール

として、当たり前のように、ラブライブに優勝すらしてしまう。
あまりに完璧すぎて、もう、作品のテーマがなくなっちゃったねと、あきれていると、脚本陣が何を始めたか? なんと、彼女が優秀すぎて、

  • 世界で最高峰の音楽高校から「特待留学」として招待される

ということにされてしまう(ただの、普通科の生徒なのにねw)。
しかし、である。
ここで、もう一度、作品を振り返ってみよう。考えてみると、こういった展開になったのには、いろいろと伏線がなかったわけではない。まず、彼女の幼馴染の嵐千砂都だ。彼女は、第1期で、最初は、音楽科に所属していた。そこで、先生の勧めで、あるダンスの大会に出場することになる。実は、彼女は、もしも大会で優勝できなかったら、学校を辞めるつもりだった。海外にダンス修行に行くのもいいかな、と。彼女が目指していたのは、

  • 澁谷かのんの隣に並べること

だった。つまり、彼女の隣に並べるのに「ふさわしい」存在になりたいとして、ダンスだったら誰にも負けない存在になったら、リエラに加入する、と考えていた。
結果として、そのダンス大会で優勝して、はれて、リエラのメンバーになったわけだが、もう一つ「異常」な行動を行う。それは、彼女が音楽科をやめて、普通科に転入したことだ。これも、リエラでやっていくために必要だから、みたいに言っていたように思うけど、この後、リエラに加入した生徒会長の、葉月恋は、今も、当たり前のように、音楽科なんだよねw
この「異常」な脚本をここでとりあげたのは、ようするに、「澁谷かのんの歌の才能は<異常>」ということを、この作品ではずっと、さまざまな場面を使って、強調されていた、ということなのだ(つまり、こんな「異常」な脚本にしてまで、それを印象づけようとした、というわけ)。
第2期は、とにかく、その「歌の天才」の澁谷かのんが、さまざまな廻りの人から

  • あなたは天才

と、おだてられて、話は進む。本当に誰一人として、それを否定する人がいないのだ! なんと「ライバル」であるはずの、あの、第2話で登場する、ウィーン・マルガレーテも、かのんの歌の「才能」だけは、首尾一貫して、認めている、という

  • 異常さ

だ。
この「気持ち悪い」、ただただ、一人の子どもの「才能」を、(制作陣という)大の大人が

  • 褒め続ける

だけの作品を見させられた、視聴者は、一体、どんな反応をすればいいんだろうねw
驚くべきことに、第2期を通して、澁谷かのんは一回として、挫折をしない。すべて「成功」し続けて、一年生の勧誘も全て、彼女が成功させている。みんな、かのんを

  • 崇拝

して、完全に、かのんの「独裁」体制となっている。この、あまりにも才能がずば抜けすぎた彼女は、もはや、この作品自体が、手に余り始めてしまった。つまり、

  • この作品から、どうやって澁谷かのんを「退場」させるか?

しか、この作品のテーマがなくなってしまったのだw そこで脚本陣が考えたのは、

  • 才能があるから、海外から、「うちに来ない?」と、お誘いが来る。これで、澁谷かのんに、作品から「退場」してもらえば、彼女が抜けた8人と来年の一年生で、新しいリエラになって「新鮮」な気持ちで、第3期を作れる

ね、と。つまり、澁谷かのんは「いらない子」だったことが、ここで、判明する、というわけだ。
この、まさかの「主人公の脱退」問題は、どこか、今回の楠木ともりの脱退を思わせるものがある。
実は、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会には、一人、今までにないアイドルが存在する。それが、

だ。彼女は、極端な人見知りで人前でライブができない。そこで、彼女がメンバーのみんなと話しているときに発明したのが「璃奈ちゃんボード」だった。これは、人前で、顔の前に、手書きの笑顔を見せて、顔を隠すというもので、どこか、アニメ「ぼっち・ざ・ろっく」第1話の、ダンボール・ガールを想起させるものがある。
虹ガクは、基本的にグループで歌わない。ソロのアイドルが、「同好会」として、集まっているだけの集団で、そこにチームプレーはない。ただただ、お互いがお互いに「優しい」ので、良好な関係が続く。
こういった彼女たちの「生き方」を考えると、今回の楠木ともりの脱退は、そもそもの、その基本コンセプトに外れている印象を受ける。激しいダンスが医者に止められているなら、天王寺璃奈(てんのうじりな)がそうだったように

  • 彼女なりに「やれる範囲」でやればいい

だけなのだw なぜなら、それが「同好会」だから、だ。これを「許さない」今の運営陣には、虹ガクの精神がないわけだw
ここまで、かなり強烈に、ラブライブ・スーパースター第2期を否定したけど、おそらく第3期のほとんどは、澁谷かのんの「挫折」が描かれてくると思っている。おそらくそれが、大半を占めて、第3期の旗色を鮮明にしてくるだろう(こういったことを分かった上で、あえて、第2期の「異常さ」を強調したわけだ)。しかし、もしもそうならないで、まったく第3期が、第2期と「同じ」だったら、この

  • 駄作

は、まさに、アニメ「けものフレンズ」の第2期と変わらないような、史上最低のラブライブ作品として、末代まで叩かれる、黒歴史となるだろう。
このラブライブ・スーパースター第2期という、あまりにもひどい、作品に心を汚されてしまった私たちにとって、今期、第4話まで放送されている、アニメ「ぼっち・ざ・ろっく」は、その汚れを洗い流してくれる傑作となっている。
(そう言って、ざっとだけど、原作の漫画を4巻まで流し読みしてしまった。)
特に印象的なのが、第1話のOPから、最初の部分のストーリーだ。
OPは、主人公の後藤ひとりが所属する、結束バンドの演奏ということになっている。喜多ちゃんの声優が実際に歌っていて、とにかく、ギターが超絶のテクニックを披露している。
最初は、地球の遠景のカットから、ぼっちの家を外から俯瞰するカット、ぼっちが部屋の押入れでギターを引いている3カット連続から入ることで、この作品の世界観をよく示している。
特に印象的なのが、最後の、下駄箱の前のようなところで、ひとりがギターを背中に背負いながら、一人で帰ろうとしてる

  • 孤独

な姿だ。これこそが、彼女の実存をよく現している場面と言っていいだろう。
第1話の最初は、ひとりが、いつもはやらないのに、今日はギターケースを背中に背負って、ライブのアイテムがちりばめられたバッグなどをもって、学校のクラスに出席する場面だ。これだけ目立つ格好をしていれば、絶対に、クラスの誰かから声をかけてもらえる、と考えたからだ。
ところが、クラスに着いて、席に座っても

  • いつもと同じ

ように、誰も一言も声をかけてくれない。そのまま、彼女が自分の席で下を向いていると、放課後となり、帰る時間になり、誰からも声をかけられなかったことを強調する場面として、帰り道の、公園のベンチのブランコで、彼女が家からもっていたギターケースを背負いながら、乗っている場面となる。
ここまでの、一連の

  • 孤独

な彼女を描く演出は、もはや神と言ってもいいくらいに、いい仕上がりだったと思う。とにかく、とても印象的だった。もう、ここに「全て」が現れていた、と思う。
原作を先取りするようであれだけど、後藤ひとりも、澁谷かのんと同じように「才能」が後で評価されるじゃないかと、ここまでの擁護を全否定する人もいるかもしれない。しかし、ね。だったら同じくらい、彼女の「あがく」姿を描いたら、と思うんだよね。
この後も彼女の性格は変わらないわけ。だけど、彼女はずっとこれからも、バンドの危機のたびに、ちょっとだけ

  • 勇気

をふりしぼって、なんとか戦おうとする。つまり、彼女のモチベーションはずっと、結束バンドのメンバーと前に進むところにあるんだよね。つまり、一度として、それ以外のことを彼女は考えたことがない。つまり、しっかりと

  • バンドとしての共同行動=後藤ひとりが社会人として自立していく

ことの「関係」を描き続けているわけだよね...。