スパスタ2期の脚本崩壊

なんか、ずっと同じような話を書いてますねw アニメ「ラブライブ・スーパースター」第2期には、さまざまに「問題」がある。そして、その問題の多くが

  • 脚本の質

にあるんじゃないか、といった指摘が、後から後から、ネット上に考察が投稿され続けている。
スパスタには、なんというか

  • 物語制作のプロであれば、絶対にやらないような、まるで、義務教育の素人の生徒が読書感想文を書いたような、(読者の勝手な妄想と、客観的な証拠のある内容とが、ごちゃ混ぜされたような)初歩的なミスと思われるようなものが多すぎる

といった印象が強い。
その一つとして、私が以前から思っていたものに、第1期の最終話での澁谷かのんがなぜ、来年もラブライブを目指そうとしたのかの描写がある。
ここはまず、前半で、サニパの二人に、かのんが打ち明ける場面がある。ここで、かのんは正直に、ラブライブに出場して、「勝利を目指す」というモチベーションが自分にはない、ということを言う。なんで勝たないといけないのかが分からない。別に、勝ち負けとかは、どうでもいいんじゃないか、と。
これについては、無印の穂乃果を思われる認識で理解できるし、ある意味で、これこそが、このアニメの最大のテーマだと思っているわけだ。
しかし、それに対して、サニパの二人は

  • 大会に出場すれば分かる

としか言わない。そのまま、もやもやとした心境のまま、大会に挑んだかのんは、なんと

  • 大会後に、サニパの二人に言われたように「来年は勝ちたい」という気持ちが、自らの内側から湧き上がってきた

と告白する。
うーん。
これを聞いて、あなたは「納得」するだろうか? つまり、脚本陣は「それくらい分かるだろ」「分かれ」と言っているわけだ。つまり、この問題に対して、一切の説明や弁明を拒否しているわけである! ここは、この作品の最大のテーマだったはずなのに、これを説明しようとしない。
そのため、何が起こったか? 第2期になると、全員が、なぜかラブライブの全国大会優勝を目標にしている。つまり、なぜ目指すのかが、第2期では、一度として内省されることがない。もう、この話は終わった話として、一度も振り返られることなく、突っ走って、全国優勝まで達成してしまう。
そして、これによる弊害はあまりにも大きかったと思う。まず、第2期の全ての、曲の歌詞が

になってしまったorz アニメ「ぼっち・ざ・ろっく」で、主人公のぼっちちゃんが告白していた、「リア充ソングは、嘘臭くて、自分には書けない」の、まさに

  • それそのもの

の歌の歌詞ばかりになっているorz 考えてみてほしい。無印、サンシャインは、全て作詞は畑亜貴が書いていた。その彼女であれば、恥かしくて書けないような、リア充ソングばかりになってしまったw まさに、2期のテーマ通りに作詞をする

  • サラリーマン作詞家

ばかりが予算と納期の範囲w で納品したような、最悪の悲劇を象徴する事態ではないだろうか。
ここで、以下のユーチューバーの方が考察されている動画を検討していくが、ここでは私が特に、問題だと思うものに限って、とりあげていく。
まず、第2期の最終盤の最大のテーマである、「かのんの夢」問題を考えたい。

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私たちは、あまりにも自明に、「かのんの夢」を第2期の最終盤で語っていたが、よく考えてみると、それを本当に、それまでの、この作品で明示されていたのか、が疑わしいわけである。
まず、第1期の第1話の最初では、以下のように言っている。

澁谷かのん:夢は、新設された結ヶ丘女子高等学校の音楽科に進み、歌でみんなを笑顔にすること。

うん、ここでは、高校の音楽科に入ることが夢と言っているだけで、世界がどうたら、といったことは書かれていない。
では、問題の第1期の第11話がどうなっていたか?

嵐千砂都:うん、それに一人じゃない。
澁谷かのん:え?
嵐千砂都:いるはずだよ。あの頃の、かのんちゃんが。歌を全世界に響かせようとしていた、かのんちゃんが。
澁谷かのん:わたしが?

ここで、千砂都は明確に「全世界」という言葉を使っている。そして、その時の、かのんの目の前には、世界地図が、これ見よがしに描かれている。
第2期の最終盤で、千砂都は、かのんに海外への留学を進める。それは、「海外」が、かのんの子どもの頃からの夢だったから、と言う。
しかし、上記から分かるように、「世界」という言葉を、かのんは一度も使っていない。使ったのは、千砂都となっている(まあ、そう千砂都が言ったことを、かのんは否定していないという意味では、言ったこととどこまで違うのか、というのはあるだろうが)。
つまり、「歌でみんなを笑顔にすること」までは本人が言っているので大丈夫なのだが、そこに、

  • 世界中の人(を歌で笑顔にする)

というように、主語が使われるのは、そもそも、千砂都の言葉しかなかったわけだ。
結局、今回の、第2期の最終盤が、あまりにも気持ち悪いのは、かのんは別に、海外留学を目指して勉強していたわけでも準備していたわけでもない。なのに「それ」を、千砂都が

  • 急に

かのんの夢だと言い始めたから、物騒だったわけだろう。もしもそれが、以前からの夢だったなら、それに向かって、準備をするなり、勉強をするなり、そういった描写を描かなければ、

  • 本当にそうだったのか?

の説得力がない。これまで一度も、かのんの口から「全世界」という言葉がはっせられたことがなかったことが、この夢についての説得力を弱めてしまっている。
(しかし、上記の動画にあるように、おそらく脚本陣は、第1期の第11話の描写で、これはもう、この作品の前提になったと思い込んだんじゃないだろうか。つまり、もうこのことを、かのんは自分で言っているはずだと思い込んで、第2期の最終盤の「留学」問題に突入したつもりになっているんじゃないか。)
次に、第2期の脚本の質を疑わせるものに、以下の「道」問題がある:

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これは、第2期の第8話で、関東大会のステージとして、結ヶ丘女子高等学校の近くを選ぶ場面で、最終的には、かのんが選んだ

という場所になった、という話なのだが、なんでこの話が変なのかというと、上記の動画の方も言っているように、この場所が

  • リアルワールド

で、表参道に並ぶ候補地として納得のいく場所であることは、誰も否定しないわけです。問題は、

  • この<場所>が、どういった場所なのかを、アニメの前振りで、一度も説明していない

ことなのだorz つまり、この「イチョウ並木」というものが、どういった意味のある場所なのかを知るには、

  • リアルワールド

の知識が必要になる。ところが、そもそもこのアニメの世界の中で、この、リアルワールドにある「イチョウ並木」と同等のものがあることが、前振として一度も説明されていないのだから、まさに、急に、なんだかよく分からない土地が現れた、というふうにしか解釈できない。
私は思うんだけど、DVD化されるタイミングで、第8話は削除するか、まったく違う話に書き換えてもいいんじゃないか、と思うレベルで質の悪いミスをしていると思っている。おそらく、脚本陣に、こういったアニメ世界とリアルワールドの差異に関する緊張感がないんだと思う。だから、こういった、ぬめっとしたミスをしてしまう。
最後のは、より初歩的なミスだ。

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第2期の第10話で、前半で一年生と二年生が、三つのチームに分かれて曲作りを行うという演出が描かれていたはずなのに、その舌の根も乾かないうちに、二階から、かのんがギターをひく曲が聞こえてくると、唐可可が「かのんの生み出そうとしている曲をみんなで完成させましょう」と言う。
いや、その曲、前半で一年生と二年生が、三つのチームに分かれて曲作りしていた、その曲じゃねえか、とw
あのさ。このユーチューバーさんも、他の動画でも、さまざまに指摘しているけど、こういった明らかなミスと思わける記述が多いんだよね。
前の話数で言っていたことが、次の話数では、まったく矛盾したことをやっている、とか。
明らかに、脚本の質が悪いわけ。矛盾したことをやっているし、なぜそれをやるのかの前振りの説明がないまま、「きっとそうなはずだ」の思い込みで、脚本が勝手にそういうことにしてしまうし。まったく、それまでになんの説明もないことを、脚本が妄想で、勝手にそういうことにして、そういう行動をさせてしまうんだよね。そのために、なんでこんなことを、ここでやっているのかが、まさに、小学生の読書感想文レベルで、

  • ボクがそうなんじゃないかと思って、勝手に妄想を書きました

レベルの、ひどい脚本になっている。そりゃあ、アニメ「けものフレンズ」の第2期の再来と言いたくなるよね...。

追記:
上記で、「見れば分かる」論法について紹介したが、この論法は、おそらく、何度も反復されている印象がある。
例えば、2期1話の、かのんの妹が、かのんに、きな子ちゃんにスクールアイドル部に入ってもらう方法として、「ライブを見てもらう」方法を提案する。つまり、「見れば分かる」と。
しかし、これは「思考停止」じゃないのか? つまり、ある種の「選民思想」に聞こえるわけである。
ぼっち・ざ・ろっくのぼっちちゃんは、一人も友達がいないわけだが、リア充にとって、友達というのは「自明」な存在のわけだろう。そんなことは、言うまでもない。「見れば分かる」ことなわけだ。だから、ぼっちのように悩まないし、悩まなくてもできる。つまり、リア充に「説明は必要ない」わけである。
しかし、こういった雑な論法を繰り返し続けると必ず、作品は崩壊する。つまり、「矛盾」を抱えることになって、にっちもさっちもいかなくなる。
ついでに、もう一つ、以下の例も検討しておこう。

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2期2話で、きな子は先輩たちに「練習を変えないでくれ」とお願いする場面が、感動的に描かれる。なるほど、と思うわけである。この作品は、この方向で行くんだな、と。まあ、いろいろ言いたいことはないわけじゃないけど、それはそれで、つき進むんだったら、まあいいか、と。
ところが、2期5話で、嵐千砂都は、この、2話での、きな子の感動的な「お願い」に、まったく反する練習メニューを提示することになる。

嵐千砂都:練習メニューも少しリニューアルしてみたよ。一年生も増えたしそれぞれにあったところからはじめられたらいいかなって。

え? 練習メニューを、一人一人にあったように設定できるの? だったら、あの2期2話の、全体の練習量を増やすか減らすかのやりとりは、なんだったの? なんで、5話でできることが、2話ではできなかったの?
まあ、とにかく、意味不明なんですわ...。

追記(2022/11/07):
うん。かのんの夢ということなら、千砂都が音楽科から普通科に転入したように、かのんが普通科から音楽科に転入したっていいわけだよなw だって、明確にそれが夢だって言ってるんだから。教頭だったかは、しれっと、海外留学の誘いを、かのんに知らせるなんてやめて、音楽科への転入手続きをやったほうが、よっぽど、かのんの夢としては、言行一致するw