アッラーのサッカー

カタールW杯は、開催国が早くも予選落ちが確定したということで、今までにない様相を示しているわけだが、そもそもの、全体の大会の雰囲気も、ずいぶんと今までと違う印象がある。
しかし、そういった中東で開催されていて、観客のほとんどが中東の人という、独特の雰囲気の中で行われているといったことだけでなく、そういったことと関係なく、かなりルール面で大きく変わっていることについては、多くの人が気付いているんじゃないか。
大きくは

の二つだが、これまでもあった

  • VAR

にしても、まずペナルティ・エリア内で手を使うと、確実にビデオ確認をされて、PKにされているし、選手が怪我で転んでいて、プレーが止まっていた時間の「ほとんど全て」を、ロスタイムにカウントされているみたいで、どの試合もやたら、ロスタイムが長い、なんていう現象になっている。
こういったVARや半自動オフサイド判定装置といったような

による、言わば「記録映像による判定」がここまで徹底してW杯で使われるのは、今回が始めてで間違nいないだろう。
こういった傾向が何を意味しているのか、なのだが、言ってみれば、これらに共通しているのは、今までサッカーが「美徳」として礼賛してきたマリーシア

  • 否定

にも思われるわけである。試合に勝つために、審判の見ていない所で、相手の手を掴んで勝つというのは、一種の「勝利の戦術」として確立されてきたものがあった。実際に、

  • そういうことのうまい人がプロになった

といった側面があったわけであるw
例えば、アルゼンチンvsサウジアラビアで、サウジがハイプレスを徹底したら、アルゼンチンは当然、裏をとる動きをするわけだけど、みんな

  • 普段通りの動き

をしているからw、ことごとくオフサイドになるんだよね。今までの人間の目で見る判定だと、これをとてもオフサイドだなんて言えないようなタイミングでも、半自動オフサイド判定で実際に映像として見せられるとオフサイドだと審判も言わなければいけなくなっちゃう。しかも、オフサイド・ディレイで、アルゼンチンのFWのシュートがゴールにシュートして得点が入るまで審判がこれがオフサイドだと言ってくれないからw

  • 全力プレー

をやらされるわけで、どこまでも体力を消耗するし、精神的にも追いつめられるし、さんざんなルールになってしまったわけだ。
じゃあ、なんでここまで大会が進化してしまったのかだけど、一つにはここがイスラム圏だというのもあるのかな、と思ったわけだ。つまり、イスラム教の一神教として、常に彼らが

  • 神の視点

を意識して生活している、ということが。あらゆることが、「神の視点」から見られることが、社会の「フェアネス」と関係してルール化されているイスラム社会では、半自動オフサイド判定のような「神視点」としか呼べないようなものを急にもってこられても、まるで、当たり前のことのように受け入れていく土壌があるんじゃないか、ということを思ったわけである...。