サッカーどころじゃないドイツ

今回のカタールW杯のドイツ戦は確かに日本は勝ったし、ドイツは日本をフルボッコに後半の最後までは誰も文句のつけようがない試合をしていたわけだが、結果としては負けた。
このことを、日本が「うまく」戦った、といった議論が、特に日本のメディアでは多く見られる。
ところが、である。
ドイツ国内を見ると、そもそもドイツは「サッカーどころじゃない」といった雰囲気だった、といった分析が多く見られる。
例えば、以下の動画ではドイツ在住のサッカージャーナリストの木崎さんが、ドイツ国内の雰囲気について報告してくれている。

m.youtube.com

今回のカタールW杯に対して、一つの報道としてスタジアム建設問題で、多くの外国人労働者が亡くなっているんじゃないかという話がでてきた。
しかし、そもそもずっと底辺にあったのは、LGBTへのカタールという中東の国の姿勢を批判し、それを理由として、大会をボイコットすべき、という議論だった。
そのため、今回の大会でのドイツ国内のW杯の視聴率が今までと比べて、かなり低い、ということが話されている。しかも、ドイツの選手たち自体が、試合どうのこうのを考えていられない情況に追い込まれていた、といった分析もされている。つまり、国内向けの報道に対して、

  • こういった問題に対して、選手や関係者は「どういった立場なのか」

を、例えば、試合中になんらかの腕章のようなものを身につけて、「意志表示をするべき」といった議論がずっとあり、じゃあそれをやるのかやらないのか、やるとして、カタール組織委員会がそれを許可するのかしないのか、といった、どこか

  • 政治的

な議論に巻き込まれ、まるで、政治家のように振る舞わなければならないような、精神的なプレッシャーをかけられる立場に追い込まれていた、といった分析をされている。
なんというか、最近のリベラルがロシアとウクライナの戦争に対して、完全に「ウクライナ=善、ロシア=悪」の報道を自分たちがやっていることを

  • 正義に酔っている

と言っていいのだとすれば、この件も同じように考えられるのかもしれない。
結局、LGBTの人たちにとっては、自分たちの人権を認めようとしない海外の国は全て

  • 悪=evil

なのであって、そもそも存在しちゃいけないわけだ。そこから、ロシアのプーチンが、LGBTに否定的な国内保守的な発言を行うと、それだけで「ウクライナ=善、ロシア=悪」となる。彼らにとって、自らの人権は戦って勝ち取ってきたものなわけだから、当事者として、なにものにも代えがたい<優先>すべきものなのかもしれないが、そのために、今回の大会では、

  • そもそもカタールでW杯が行われたこと自体が間違い

という議論になって、全チームがボイコットするまで、この抵抗は止めない、みたいな話にまでなっているわけで、目的が

  • 地域文化の多様性を認める

という方向にならず、全てが「西洋中心主義=LGBT的文化礼賛」という形の

  • 世界中が西洋の「文化=価値」で完全に「フラット」に<ならなければならない>

という所にまで収斂している、と言えるのかもしれない。
まあ、ここまで言うんだったら、頼むから、ドイツにはカタール開催が決まった時点でボイコットしてもらえればよかったんでしょうね。そうすれば、日本がドイツにどうやって勝つのかで悩む必要がなかったわけで。
(ちなみに、日本の知識人は、日本がドイツでのカタール批判をまったく無視して、ドイツ勝利に馬鹿騒ぎしているのを「幼稚」だと臭しているわけで、また「愚民論」だよw よかったね、日本人が愚民で。愚民である限り、あんたたち知識人の仕事はなくならないね。そこまで言うんだったら、なんでお前は、日本もカタール開催が決まった時点でボイコットしろと言わなかったんだろうね。そもそもLGBTについてだけ、リベラルの立場で考えても、どう考えても、日本がカタールを批判できる立場なのか、とは思うけど...。)