片岡大右『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか』

小山田圭吾問題は、そもそも単純だった。それは、

の問題と考えられていた。なぜ大会直前になって発表したのか? なぜ、そういった「噂」が昔からある人に特に、パラリンピックのようなデリケートな仕事に、なんのパブリックな場での事前説明もすることなくお願いすることになったのか?
つまり、小山田圭吾「自身」がどういう人なのかについて、誰も興味がなかった。世の中、いろいろな人がいるし、いろいろな人が、いろいろな「思惑」で、あることないこと語っているんだろう、くらいにしか考えられていない。というか、そもそも、小山田に関心がある人がいない。そんなのは、一部の音楽関係者くらいだ。
ところが、こういった概ねの世間の態度に「過剰」に反応したのが、一部のジャーナリストなどの文筆家たちで、掲題の著者はその一人なのだろう。

詳しくは知らなかったのですが、制作チームは直前まで何人も交代していたようです。依頼は、抜けた人の代わりに、『出来上がった開会式の映像の一部に音楽をつけて欲しい』というものでした。コロナ禍で開催することになって複雑な気持ちの方もいらしたと思いますが、開催するのであれば、少しでも良いものを作って協力したいという気持ちがありました。時間は本当にギリギリでしたが、何とか納品できました」
bunshun.jp

こうやって見ると、どう考えてもオリンピックの開会式の制作はギリギリまで、困難を極めていた様子がうかがえる。発表できなかったのも、単純に辞退者が続出したからだけじゃないか、と思えてくる。
そもそも、このオリンピックの開催については、賛否両論あった。やめるべきなんじゃないか、といった主張も多かった。そういった中で、言わば、無理矢理開催にもっていった中で、ああいったトラブルもあった、というだけに思える。
まず、問題になった小山田の記事の該当個所だが、ここの個所を、まあ、フェアな形で引用している記事をほとんど読んだことがない。しかし、この本では以下のように、かなりページをさいて紹介している。

「あとやっぱうちはいじめがほんとすごかったなあ」
◯でも、いじめた方だって言ってたじゃん。
「うん、いじめてた。けっこう今考えるとほんとすっごいヒドいことをしてたわ。この場を借りてお詫びします(笑)。だって、けっこうほんとキツいことしてたよ」
◯やっちゃけないことを。
「うん。もう人の道に反してること。だってもうほんとに全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコを喰わしたりさ。ウンコ喰わした上にバックドロップしたりさ」
◯(大笑)いや、こないだカエルの死体云々っつてたけど「こんなもんじゃねぇだろうなあ」と俺は思ってたよ。
「だけど僕がやるわけじゃないんだよ。僕はアイディアを提供するだけで(笑)」
◯アイディア提供して横で見てて、冷や汗かいて興奮だけ味わってるという?(笑)」
「そうそうそう!『こうやったら面白いんじゃないの?』って(笑)」
◯いちばんタチが悪いじゃん。
「うん。いま考えるとほんとにヒドいわ」

まず、これは対談形式で記されている。鍵括弧で語られている部分が、小山田の部分で、それ以外はインタビューアーの山崎洋一郎だ。
これに対して、オリンピックが終わった後に、公式で以下の謝罪文を発表している。

学生時代の様々な目撃談など、強く記憶に残っていたことを語ってしまいました。
www.cornelius-sound.com

いや。お前、自分で「やった」と

  • 言っている

んじゃねえの? この「対話」が

  • 捏造

だと言っているの? これとまったく同じことを言ったわけじゃない? もしも言っていないことを言ったことにされたなら、山崎というライターのライター生命に関わる「事件」だよね。
「言った」なら、「言ったけど、嘘をついてしまいました」と言えばいいんじゃないかな。言ってないなら、「言っていないことを記者に脚色されてしまいました」と言えばいいんじゃないかな。そして、具体的に脚色されたのは、どこの部分なのか。オリジナルはどう語っていたのか、って説明したらどうだろう? その場合、その内容によっては、小山田の主張だけでなく、山崎側の反論と併記する必要があるだろうね。
まあ、これだけのことだよね。ところが、掲題の著者は「奇妙」なレトリックを展開する。

当初、小山田の一件がSNSを沸騰させ、やがて国際的な報道の対象になったのは、学校時代の小山田が知的障害のある生徒たちに排泄物を食べさせ、自慰を強制するといった凄惨な行為を悪びれずに雑誌で語っていた、とされたためだった。例えば『報道ステーション』のアナウンサーは、「小山田さんのやったことは、”いじめ" というよりは、もう犯罪に近いようなことだというように思われます」と語った(2021年7月19日)。
本書の元になる現行が執筆された2021年の夏から冬のあいだに、それらの事柄はまずはSNSで盛んな発信に務めた有志によって、ついで小山田本人によって、事実性を否定されていった。それにもかかわらず、夏にこの件を報じたメディアは現在(2022年12月)に至るまで訂正を行っていない。しかも、夏以降も情報を追い、当初拡散された情報が大いに歪曲されたものであったという事実を知った人びとのなかにも、今回の大騒動を不幸にも不当な「インフォデミック」とみなすよりも、多少とも正当な告発の動きだったと考え続けることを選ぶひとは、決して少なくないように見受けられる。
報じられた事柄の事実性が否定されたというのに、一部の人びとは報道の側の----また歪曲された情報を鵜呑みにした自らの----問題を問うことよりも、小山田に対して険しい顔を向け続けることを選んでいる。

なにを言っているんだろう? 上記の当時の雑誌記事にはすでに、「僕は実行する側じゃなく、アイデア提供側」だと言っている。つまり、この発言の文脈を考えれば、

  • 小山田が「アイデア提供」した「全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさして」「ウンコ喰わした上にバックドロップ」を、自分はやらず、取り巻きにやらせた、と<言っている>

ようにしか読めないんだけどw だれがどう見たって、そう自分で<言っている>と解釈するしかないだろうw そして、それを今の今に至るまで、「本人」が「否定してこなかった」んだぜ?

その目撃談を語ってしまったことは自分にも責任があると感じ、当面は誌面の訂正を求めず、静観するという判断に至ってしまいました。
www.cornelius-sound.com

ん? ここって、「なぜ自分がパブリックな場で、この以前の雑誌の内容の事実訂正を求めてこなかったのか」を語っている場所なんだよね。なに言ってるの? 自分に少なからず加害者性がある認識があるなら、なおさら、

  • ファクトじゃない嘘が世間に拡散されたままになっている

ことの責任を、どう考えているんだろう? だから、さ。ここって、まったく反対なんだよね。

自分についていたイメージを変えたい気持ちがあった。そこで敢えてきわどいことや、露悪的なことを喋ってしまいました
bunshun.jp

つまり、小山田なりに「自己イメージ」についてのメディア展開について「模索」している最中だった、と言っているわけ。そういう中で、こういった

  • イメージ

が広がることのメリット・デメリットを考えて、

  • あえて

「嘘」を山崎に語って、それを「そのまま」雑誌に載せさせて、その「嘘」を「あえて」今に至るまで、訂正しなかった(その方が、「自己イメージ」のメディア展開にとって有利と考えたから)、ということなわけね。
まあ、どう考えたって「自己責任」だよな。そして、彼自身の公式の発表も「自己責任です」としか言っていない。
ところが、掲題の著者は、なぜかテレ朝のアナウンサーに喧嘩を売る。なんで、訂正しないんだ、と。完全に、

  • スラップ訴訟

並の、「当たり屋」だろうw まず、勝手にこのアナウンサーを「この記事を読んでいない」と決めつける。メディアに関わっている人間がソースも読まずに、発言するか? そもそも、このアナウンサーが言いたいことは、

  • 「全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさして」「ウンコ喰わした上にバックドロップ」

は、刑事事件的な案件なんじゃないか、という常識的な評価の話でしょ。しかも、小山田自身が、こういった行為を「教唆」した側だと「自慢」しているかのように「匂わせている」わけだから、(もしそれが事実だったら)小山田がどこまで、実行者より罪が軽いのか「すら」疑わしいわけでしょw
しかも嗤っちゃうのが、この事実を小山田が否定したのが、オリンピックもとっくに終わった、公式の謝罪文で。いや、この問題が起きた、その場で記者会見を開いて、全ての記者からの質問に全て答えようよ。そこで、全部語ればいいじゃない。そうすれば、そこでの説明によって、あなたの曲がオリンピック・パラリンピックで使われる可能性だってありえた。
あのさ。これって、ファクトかファクトじゃないかが問題なの? もしそうなら、どうやって、小山田が今ごろ言い始めた「言い訳」の方が事実だということを確かめるの? これって、「子ども」時代の子どもが行った行為の話をしているんでしょ? その行為に問題があったからって、あくまで、子どもがやったことだよ? だから、成長する中で、いろいろなことを考えるようになって、大人になっていくんじゃないの? だれだって、少なからず、こういった幼少の頃の記憶がある。だからって、だれもがそれを告白しないといけないなんて、なっていない。そんなの当たり前で、そうやって子どもの頃にいろいろありながら、教育過程を経ていく中で、成人となったんだ、と考えられているからでしょ。
だから、話は最初から、おかしいんだよね。
小山田が、当時、なんらかの「イメージ戦略」で雑誌を利用して、こういった対談を発表した。その時、小山田が考えていたのは「逆」なんだよ。自分をもっと、強面(こわもて)と見せたい。今の自分の、軟弱のイメージによって「なめられたくない」、ってわけ。そこで、子どもの頃に回りで見ていた「いじめ」を利用した。まるで、それらが自分の指示で「とりまき」にやらせたかのように、見せかけようとした。つまり、自分を

  • ワル

に見せかけようとした。それによって、回りにナメられない存在に見られたかった、と。
まあ、ただのKYだよな。アーティストって、こんな訳の分からない論理展開で世の中のことを考えているっていうのが、誰にも理解されないというか、なに

  • 世間に甘えている

んだって印象しか与えないんだよね...。