山田昌弘『日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?』

ここのところ、「日本の少子化が問題だ」といった議論が、国会を中心に行われている。こういった議論にはブームがあって、吹き上がっては、誰も言わなくなって、また言い始める、ということを繰り返している。
新型コロナもあって、直近の出生率があまりに低くなってしまったことを問題視しているのかもしれない。まあ、みんなマスクしているからね。相手の顔も分からないで、結婚するか、と考えれば、結婚する数が減っている、と言いたいのかもしれない。
私がこういった議論が「嫌い」なのは、こういった議論が大事じゃないからではない。ほとんど「結論」らしきことは、とっくの昔に分かっていながら、まるで「分かっていない」かのように、何度も何度も吹き上がる

の鈍感さが、たんに不快だからだ。
そもそも、少子化ベビーブーマー、第二次ベビーブーマーが高齢化していく「今」だから問題だと言われているだけで、彼らが亡くなった後は、そもそも老人の数「も」少なくなる。つまり、人口の

  • 定常化

が実現する。つまり、「縮小均衡」だ。もちろんそうなると、「成長派」の経済学者たちはヒステリーを起こすだろうが、経済学者に、もはや、誰も、なんの倫理感も感じていないだろうw 奴らの非人間的な発言を真面目に相手をする必要があるのだろうか?
そもそも日本のバブル崩壊以降の経済を考えると、日本の採用した政策が一方では、

  • アメリカの「日本攻撃」に、唯唯諾諾と従い続けた

ことに深く関係して、あらゆる、それまでにあった日本の「秩序」が、この時に「壊れた」ことが一つの理由としてあるとして、他方で、

  • 中国が、アメリカによって「世界経済に組込まれた」

ことによって、相対的に日本が中国に「含まれ」たことが大きかったと思っている。そう考えると、中国の恐しいまでの、

  • 人口における、男性の割合の多さ

が気になってくるわけだw なんでこんなことになったのかといえば、一つは中国の一人っ子政策で、もう一つは儒教的な価値観で、中国の家制度が、なんとしても「男の子ども」に相続することをこだわったから、ということになるだろう。つまり、意図的に中国では女の子は産まれるやいなや、殺されたし、そうすることで、もう一人産むことができるようになって、これを男の子が産まれるまで続けた、という事情があったのだろう。
しかし、ここまでの「非対称」を見せられると、日本での「男余り」も当然のように思えてくるw 貧乏な日本の男より、お金のある中国の男の方がいいだろうw
もし、こういった東アジア地域の「バランス」を考える人がいるなら、日本の男性は結婚しない方が、中国の「余っている」男性が女性を見つけるのに成功しやすくなるという意味で、精神衛生上いいんじゃないか、と思う人さえ出てきかねないのかもしれない。
戦後の日本の歴史とは、自民党の歴史だったわけで、つまり、「自民党イデオロギー」が日本を支配していた時代だ。
この特徴は、とにかく、

となるわけで、ここに、統一教会との「同値」性が見えてくる。
いずれにしろ、彼らが共産主義を批判すればするほど、

を推進するという意味になるわけで、つまりは、「反福祉」となる。
そうやって考えてみると、宮台真司が昔からの持論として、

  • 左翼批判

をやってきたわけだけど、この、とにかく「左翼」だけは死んでも許せない、といった形で、「資本主義しか生きる道はない(=この道しかない)」といった連中の、安倍晋三並みの気持ち悪さはなんとかならないのか、と思わせる彼らの左翼への「憎しみ=怨恨」が滲み出て、溢れているわけだが、まあ、こういった知識人の代表として、東浩紀や、(こういった左翼への侮辱、嘲笑の大きさということでは)稲葉振一郎も、まったく、同様の醜態をさらしていると、私は考えている(稲葉の嗤えるところが、こいつが必死になって「新自由主義」という概念を否定しているところだw しかも、それを誰も読んでいない)。
こういった連中の極端な、「所有権を神話並に極大化して偶像崇拝する」、「貧困層と富裕層の無限の格差拡大を<全宇宙の絶対法則>として、絶対にこの差が広がることへの反対運動を許さない」という、意味不明の

  • 覚悟

において、なんなんだろう、この執念は、と考えるわけだ。
例えば、ここのところ私がよく考えているのは、日本の縄文時代なわけで、ここでは、おそらく、子どもは、その20人程度の村の全員で育てていただろう。というか、そのメンバーは全員、親族だ。というか、親族かそうでないかを区別することに、なんの意味があるの? ある村に、外部の人が入ったとする。その人は確かに、遺伝子的にその村の人たちとは違っているだろう。しかし、「違っている」ことは、出産において、重要な因子だ。なぜなら、似ていれば似ているほど、近親相姦の遺伝病などの原因となるからだ。そして、その村に受け入れられているということは、いずれ、その村の誰かと子作りをしていくということを意味しているわけで、

  • いずれは、その村の遺伝子構成において「その人」の遺伝子が一定の割合で残る

ということを意味する。
旧石器時代の大型哺乳類を追って狩りをしていた頃、その獲物はみんなで分けた。そこでは、弱い人も子どもも区別されなかった。なぜなら、その取れる食料があまりに多くて、しかも、長持ちしないから、分けない理由がなかったのだ! これと比べたとき、「所有権」「資本主義」とか、こんなものを

  • ありがたがって

いる連中は、お前の祖先に逆らって生きるそのライフスタイルの「正当化」をどっから取得しているつもりになっているんだろうと、私は彼らの「倫理」性を疑っているわけである。
いずれにしろ、自民党イデオロギーは、

であった。それはつまりは、「東京都知事」の歴史が象徴している。石原慎太郎だろうと、小池百合子だろうと、こいつらの言っていることは、

  • 絶対に貧乏人を助けない

ということしか言ってない。とにかく、彼らは「反福祉」を徹底してきた。なんとかして、富裕階級を「優遇」する政治を行うか。
まあ、これに自然の側が対立してきた事件として、新型コロナがあったのだろう。
私にそもそも理解できないのが、こういった「新自由主義」者たちが

  • なぜ、日本の人口減少を「問題」と考えるのか?

が理解できないわけだw 奴らが、どういった「欲望」をもって生きているのかは、

  • 貧乏人を「いじめ」る

ことだけを、生きる「目的」にしている連中だ。彼らは、貧乏人を苦しめれば苦しめるほど「快楽」が大きくなる。そう考えるなら、

  • なるほど、新自由主義者は、この世から、貧乏人を絶滅させて、富裕層だけが生き残っている「ゲーテットコミュニティ」を作りたいんですね

と思うわけだ。つまり、彼らが「やっていること」を見れば、どう考えたって、日本を滅ぼしたいと思っているようにしか見えない。なのに彼らは、「日本の人口減少は問題だ」と言うw いや。お前の頭がおかしくなっているんだろ。自分でなにを言っているのかが分からなくなっているだけじゃないかw
お前ら新自由主義者は、日本の貧乏人を殺したいんだろ。だから、福祉を減らし続けてきたんじゃないか。そして、実際に若い貧乏人たちは、子どもを産まないで、滅びようとしている。

  • お前たちが「たくらんだ」通りになっているだけじゃないか!

いい加減にしろよ、偽善者。なんで、国立大学の授業料をいつまでも、ただにしない。お前らが「差別」するためじゃないか。貧乏人を日本から滅ぼすためじゃないか。そして、若い子が子どもを産まないで、滅びようとしていて、なんでそれを「問題」だと言う。恥を知れよ。
人口減少を止める一番簡単な方法は、

ことだろw まずはその事実を認めろよ、外道が。

それに対して、まず「日本では、欧米の多くの國のように、一方的に離婚はできない。夫の収入が高い場合、夫の方から離婚するためには多額の慰謝料を妻に支払う必要がある(だから収入の高い夫と結婚しておけば、万一の離婚の場合も安心である)」と答える。
お金に関しては、「日本の多くの家庭では結婚後は夫のお金も妻が管理する。妻は夫のお金を自由に使える(これも夫の収入が多かったらの話だが)」と答えることにしている(欧米では、妻が専業主婦の場合でも、一定の生活費を夫が決めて渡すのが原則)。
そして、多くの夫は、お小遣いを増やしてもらうために、妻に頭を下げるのだ、というと、欧米人男性は、日本の男性はなんてかわいそうなんだという感想を漏らす(ちなみに、我々が行なった調査によると、妻が夫の収入を管理するという夫婦は、だいたい全体の4分の3で、世代による差はほとんど見られなかった)。
日本では、夫からの一方的な離婚のリスクを考える必要はなく、自分が働かなくても小遣いに関して困らない(夫の収入がある程度ある場合に限るが)ので、安心して夫の収入に依存できるのだ。
また、この2つの慣習により、夫の収入が高ければ離婚したとしても有利、夫の収入が高ければ高いほど、自分が自由に使えるお金が増えるというロジックができる。その事実が、婚活時に、結婚相手の男性に経済力を求めることにつながっているのである。

今起きているのは、

  • 比較的に生活水準の高い家庭で育った若者が「とても親と同じレベルの生活を子どもにさせられない」から子どもを産まない

というわけだ。
つまり、これはまさに「新自由主義」の帰結なのだw 男は好きになった女と結婚しない。なぜなら、自分がその女と結婚しなければ、その女は(別の、より収入の多い)男と結婚することによって「幸せ」になれるからだw こうして、

の時代となる。馬鹿馬鹿しい話だが、だったら、結婚なんてしなければいい。結婚式もしなければいい。ただ、同棲すればいい。そして、そのまま年老いればいい。なにかの「選択」を迫る、この社会の方がおかしいに決まっているんだ。
子どもをもたないという「選択」は、新自由主義を選択しているこの社会への「復讐」だ。私たちは、この最後のラインで、国家に

  • 抵抗

している。国家が私たちに「復讐」をするなら、私たちはこの国家へ「復讐」を返さなければ、私たちの尊厳が傷づけられたまま亡くなっていくことになる。この国家に馬鹿にされ、侮辱されたまま生きるなら、人生の最後で、この国家に、なんらかの「仕返し」の一つもぶちこまずに死ねるだろうか?

つまり、格差社会が進展し、格差が若者だけでなく、中高年に及ぶようになると、橋本健二早稲田大学教授が言うような「新階級社会」、つまり、豊かな親から生まれた若者は、豊かな生活が期待できるために結婚し子どもを持つ、そして、豊かでない親の子は、豊かな生活を築けないけれども、結婚生活や子育てに期待する水準が低いので、結婚、もしくは同棲し、子どもを持つ、社会が分断され、中流の人は中流の人と結婚し、下層の人は下層同士で結婚する。日本社会全体が、図で言うタイプ1とタイプ4の若者に分かれていく。いわば、少子化が起きていないアメリカ的情況が生まれる可能性がある。
つまり、現在は、親世代が中流だが、子ども世代が階級分解している最中であるがために、少子化が起きているが、階級社会が完成すれば、少子化は解消するというロジックである。
将来の日本が、このように分断した社会にならないように、少子化対策を進めるべきというのが、私の立場である。

日本の少子化は日本の新自由主義政策の「成果」なわけでしょ。つまり、富裕層は貧困層への「恨み」があるので、富裕層はなんとしてでも、貧困層が「不幸」になるような政策を作ろうとする。つまり、富裕層による貧困層への「いじめ」だ。なんとかして、貧困層に子どもを産まさせないための「あらゆる」邪魔を、国家に政策として行わさせようとしている。まさに、この「成果」なのだw これによって、日本は滅びようとしている。いや、これはそもそも、日本の富裕層が「心に描いてきた夢」なのだ。彼ら富裕層は貧困層への「憎しみ」を死ぬまでに「仕返し」をしなければ気がすまない。
なぜ少子化なのか? しかし、これを「普通」に考えれば、

  • 避妊
  • 堕胎

だろう。つまり、女性が「意図しない」出産をやらなくなった。つまり、

  • 人権が進んだ

結果なのだ。考えてみれば、出産はあまりにも女性の身体への負担が大きい。そう考えるなら、そこまでの負担を引き受けても行うべき行為なのかは疑わしい。そして、育児の

がある。なぜ、母親が自らが産んだ子どもを「一人」で育てなければならないのか? これで、母親がみんなノイローゼになる。だいたい、子どもなんて朝も夜もおかまいなしに泣いて、ぐずるんだから、こんな怪獣を一人で育てるなんていうことをやろうとするから、体を壊すんだ。
なんで、母親が一人で育てるのか?
ほとんど、なんの根拠もない。縄文時代なら、村の全員で育てるにきまっているでしょ? 当たり前じゃん。しかも、縄文時代なら、いっくら産んでも、すぐに死んじゃうから、平均寿命が30歳くらいにしかならなくて、なんか変な母親による、子どもへの「所有物」的な感覚なんてもっている暇もない。
だいたい、語義矛盾でしょ。村の全員が、近親相姦でみんな、親族みたいなものでしょ。だから、ある意味で、「みんなの子ども」みたいなものなわけでしょ。実際に、遺伝子でみれば、みんな似ている。だったら、なんでみんなが、その子を育てない理由があるの? いい加減、

を脱却しなきゃいけないんじゃないか。全部おかしくなったのが、近代の「所有権イデオロギー」であい、「資本主義イデオゴリー」なわけでしょ。つまり、日本で産まれた子どもは、日本国家が「責任」をもって育てればいいじゃない。そんなに国家にとって、少子化が問題だというなら、

  • 母親に殺されない

ように、母親から子どもを「守れ」ばいい。実際に、お年寄りの「福祉」は国家がやっていながら、なぜか、赤ん坊や子どもへの「福祉」を国家は一切やろうとしない。ここに、明らかに

などの、「家族」主義者たちの、自民党への歪んだ政策介入が影響してきたのだろう...。