日本で起きた弥生時代の「革命」の意味

結局、縄文時代から弥生時代にかけての大幅な変化は、大陸からの渡来人が伝えてきたものの影響ということになるのだろう。
(例えば、遣唐使の頃でさえ、3回に1回は沈没して、死んでしまう、と言われていた(たしか、それっくらいの確率だった)。だから、当然、弥生時代の貧相な船では、多くの人が沈没して死んだんだと思うが、そういうリスクをかけても、日本に渡ってきた人がいたのだろう。)
思いつくままに挙げると、

  • 青銅器
  • 弥生式土器
  • 文字(漢字)
  • 水田稲作のための灌漑設備の技術
  • 国家システム(官僚制)

この中で、水田技術は、米という、年単位で備蓄できる食料をもたらすという意味で、革命的が意味がある。
それまでの人類の食料事情は、ほとんど、以下の二つに分かれる。

  • 短期消費型 ... つかまえた獲物が腐るまでに、みんなで食べる。縄文式土器が、下が細い形をしているのは、その部分を土の下に埋めて(土の下は比較的に温度が低いから)、少しでも食料を長持ちさせようとしたのではと想像されている。
  • 焼畑農業タイプ ... 例えば、縄文人はクリを近くに栽培していたと言われているが、苗を植えて、大量にクリがとれる間は、その土地で暮しているが、採れなくなると、別の場所に移動して、また、クリの苗を植えて、それを繰り返す。

この二つは、どちらにしても、

  • もしかしたら、明日、または、来年、食料がなくて飢えるかもしれない

というリスクがある。つまり、この恐怖と戦いながら生きている。
しかし、米は刈り取ってしまえば、来年、再来年でも、それを倉庫に保管できる。どんなに狩りで食料がとれなかったとしても、米さえ食べていればいい。つまり、人類は有史以来、始めて、

  • 飢えて死ぬ恐怖から開放された

わけだ。いや。もっとすごい。つまり、

  • 日本の人口は、弥生時代になって、急激に増えた

わけだ(正確に言うと、縄文後期は地球の寒冷化によって人口減少が続いていたのに、弥生になって急激に増えた。つまり、地球が寒冷になっても、人口増加が達成できた)。食料があるから、人が飢えて死なないから、たくさんの子供が産まれて、しかも、死なない。
いや、もっと考えてみよう。
米が倉庫にある。だから、狩りに行かなくていい。明日飢える心配をしなくていい。ということは、

  • 今ここで、食料を集めるための努力をやらなくていい

ということを意味する。つまり、

  • <それ以外>のことに集中できる

わけだ。ここから、文字を学ぶ時間も、たくさん確保できただろう。人間は、狩り以外のことに使える時間が格段に増えてしまった。
つまり、人間は

  • 暇(ひま)

になった。多くの時間を、食料確保とは、違うことに使えるようになった。食料のことを考えなくてよくなったから、

  • 脳を<それ以外>のことに使えるようになった

わけだ。
しかし、である。
ここまで書いてきて、なんか変だな、と思わないだろうか? 私たちは、今、幸せだろうか? 競争社会で、すりへって、疲れきっているんじゃないか。これのどこが、幸せなんだ。
考えてみよう。米が大量にとれる。しかし、とれた米は、平等に配られない。ごく一部の人間が独占する。それは、巨大な倉庫をもっていて、そこを

で「守れる」、一部の人だけ、ということになる。米は、みんなに平等に分配されない。なぜなら、米は数日で腐ったりしないから、他の人に与えると「もったいない」のだ。何年ももつなら、ずっと持っていた方が得だ。
そのため、この「米を倉庫に管理している人」という

  • 権力者

が現れる。この権力者は、多くの奴隷をもち、彼らに、米を作らせる。嫌がる彼らに、そうさせるには、

  • 武器による恫喝

が使われただろう。つまり、人間は水田稲作技術と引き換えに、「食料の平等分配」という

  • 美徳を失ってしまった

わけだ。ここから、人間は逆説的だが、米の備蓄ができ、人口が大幅に増えたにもかかわらず、一部の権力者だけが、米を独占していて、その他のほとんどの人は、そいつに、米を栽培して、献上することを

  • 強制

される「奴隷」に変わったのだ。食料の備蓄技術の開発が、逆説的に、人々の「生きづらさ」を

  • 発展

させてしまった。食料が備蓄されて腐らないがゆえに、人々は、狩りの分け前を

  • みんなに平等に配らなくなった

わけだw もしも、あと数日で、腐って食べられなくなるなら、そんな数日で全部食べられないから、みんなに分けたわけだ。それは、善意と言ってもいいが、どうせ、ダメになるくらいなら、村の労働者であるみんなに食べてもらった方が

  • 村の労働力

を確保するという意味では、合理的でもあったわけだ。
そういうわけで、食料の備蓄ができるまでは、人々は日々の食料の確保に「忙しく」て、それ以外のことを考えられなかった。そう。忙しかった。だから、世の中のいろいろなことを考えられなかった。そんなことをやっている暇がなかった。いつ、動物に襲われるか分からないわけで、それを避けるために、ずっと、外を監視していなければならなかった。つまりこれも、「忙し」かったのだ。
それまでの人間は、他の動物と同じように「忙し」かった。毎日、やることがいっぱいあった。だから、文字を学んだり、文章を書いたりする時間もなかった。
しかし、その「労働」から「解放」されたとき、なにが人間に起こったのか、なのだ。それは、

  • エネルギーが余った

わけだ。それまでの人間が、一日に使っていたエネルギーが必要なくなったのに、私たちはそれを使えるだけのエネルギーが余っていた。だから、じゃあ、そのエネルギーをなにに使おうか、ということになる。
おそらくそれは、この

  • 矛盾

を解決するために多く使われただろう、ということが分かるだろう。

  • 弥生以前:基本的に野生の動物と同じで、日々を生き残るために、多くのネネルギーが使われたために、それ以外のことをやっている暇がなかった
  • 弥生以後:一挙に暇になる。しかし、その「暇」の意味は、「不安定」な暇だ。

それまでの人間は忙しかったし、食料の貯蓄もできなかったから、嫌でも平等に食料を分けるといったような「高徳」な行動をやっていた。しかし、その必要がなくなった。ということは、

  • 真に「高徳」な行動

がなんなのかが、必然的に考えざるをえなくなったわけだw それまでは、誰もが「高徳に振る舞うのが合理的」だからそう振る舞っていたに過ぎないのに、こと、ここに至ったら、その

  • 高徳な振舞い

は、自明ではなくなった。なぜそうするのかを考えざるをえなくなった。つまり、考えずに高徳な振舞いを、人間はできなくなったのだw
こうやって考えると、

  • なぜこの時期に、世界中で、多くの「思想家」が登場したのか?

の理由が分かるだろう。

といったように、ほとんどこの、紀元1年辺りを中心にして現れている。つまり、彼らは

  • それ以前の時代の美徳

は、それまでのように「自然に実現しない」ことに自覚的だったがゆえに、社会秩序を守るためには、人々に

  • それ以前の時代の美徳

を行動してもらうための「説得」が必要であることに「自覚的」だったことを意味する(だからこそ、あれだけの言葉を尽した説得が現代に残っている...)。
それは、それまでの「弥生以前的ライフスタイル」が

によって、自明じゃなくなったからだ。テクノロジーの発展によって、人間は暇になった。しかし、そのために、人間は

  • 人殺し用の武器(鉄器など)
  • 食料の不平等分配
  • 身分制

が発展した。人が人を「差別する暇」ができてしまったわけだ...。