第二次世界大戦のときの当時の日本の資料を読んでいると、最初に気付くのが、
- 日本の「ほとんど」の予算が軍事費にあてられている
ことだw これは、この事実を知らない人が見たら、びっくりすると思う。こんなことが、ありうるんだろうか、と。しかし、これが事実なわけである。
そして、今の日本だ。
岸田は、ものすごい
を、やっている。あらゆる分野で、一円でも絞りとれるものがあれば、なんでも、かき集めて、それで本人は平気な顔をしている。なぜ岸田はここまで、増税に血眼なんだと調べると、そもそもバイデンが「おれがやらせた」と言っているw
なにそれ、と思うだろうw もちろん、日本の外務省はこれを否定したが、別にバイデンが訂正しているわけでもないし、日本の外務省もバイデンに訂正を求めているわけでもないw つまり、たんなる「事実」なのだw
どうしてこんなことになっているのだろう?
そのことは、
- なぜ日本はWW2で、無謀な戦争をやったのか?
という疑問と対をなしている。
荒木貞夫、小畑敏四郎は、第一次世界大戦で日本も帝政ロシアも英米仏連合国陣営に参加した同士となったため、顧問格の観戦武官として帝政ロシア軍と寝食・行動を共にした。このときロシア革命が起き、日露戦争で日本陸軍を苦しめたあの重厚な帝政ロシア軍が内部崩壊し、多くの将兵が共産革命軍に入って帝政ロシア軍は壊滅。ロシア皇帝一家は殺害されてしまった。
荒木貞夫、小畑敏四郎がロシアで考えたことは、
「わが日本に、帝政ロシアで起きたような共産革命が起きたら大変だ」
ということである。そして荒木、小畑の思想と行動は、
「日本でロシア革命のような革命を起こさないためには、日本陸軍は皇軍となり、陸軍将兵は皇軍将兵となって皇室を崇拝し、貧富の差を縮小する経済政策をとって貧民を救済し、社会不安の解消に努めるべきである。軍装備の近代化を要求すれば財政上、国民に重税を課して過大な負担をかけ国民を苦しめることになるから、陸軍将兵は粗末な武器であっても文句を言わず、我慢してがんばれ。日本陸軍将兵に栄光あれ!」
ということだったのだ。すなわち荒木、小畑ら皇道派の軍事政策・外交方針は、
「ソ連のみを仮想敵国とし、支那・英米とは絶対に戦争をしない。これなら現在の軍装備で充分である。ソ連、支那、英米との全面戦争を想定して重武装を目指せば、国防費が過重になって国民に重税を課すことになり、しわ寄せを受ける貧民の負担は甚大で、革命気質が産まれかねない」
ということである。このとおんびついて多くの論者は、
「荒木貞夫のような皇道派の精神主義では戦争に勝てない」
と荒木を批判する。しかしソ連のみを仮想敵国として支那・英米とは不戦を堅持するなら、日本は日中戦争も太平洋戦争もしなくてようのだから、過重な軍備は不要である。
日本史の教科書でも、戦前の日本軍は
- 皇道派と統制派
の二つの派閥に分かれていて、2・26事件を境にして、皇道派が粛清されて統制派一色になったと説明されている。しかし、それが何を意味しているかの説明は教科書にはない。
皇道派とは、日露戦争から続く、そもそもの日本軍の「保守本流」だった。つまり、そもそも最初から、日本軍には、皇道派しかいなかった。
では、皇道派の主張がなにかというと、上記の引用にあるように、
- 軽武装・中立
だったのだ! 完全にこの「思想」は、戦後憲法に書かれているように、
- 非戦・反戦
だった! 分かるだろうか? つまり、皇道派は「米英と戦わない。米英と平和条約を結んで、絶対に米英に専制攻撃をしない 中国へ侵略戦争をしない」だったw 日本がやるべきは、とにかく、
- ロシア(ソ連)が日本に攻めてくるのを警戒する(上記のように、米英・中国と友好関係を結んでいれば、もしロシアが南下してきたとしても、米英・中国も日本側に参戦して加勢してくれる)
だった。それが、
- 合理的
だったのだ!
あーあ。
分かる? 戦前も、戦後と変わらない。ちゃんと「まとも」な人が大多数だったし、それがスタンダードだった。
しかし、日本は言わば「自滅」した。日本という国は
- 没落
した。それは、どういった「からくり」によって、結果したのはを説明するのが以下だ。
江戸時代の租税は四公六民とか五公五民といわれ、本百姓と呼ばれる地主が収穫物の四割ないし五割を物納していた。この制度は凶作でも米価が下落しても収穫物の四割ないし五割を物納するのだから、為政者は凶作になると年貢収入が減少するため優れた農学者を雇って凶作の打撃を防ぐよう農民を支援し、また奢侈を控えて財政支出を抑制した。その意味で江戸時代の租税体制は農民たちにとって優しい税制だった。
しかるに地租改正は政府が近代化を進める安定財源を得るため、従前のように農作物の凶作や米価下落により税収が減少することなく安定した税収入を確保するため、土地に地価(土地の評価額)を定め、地価に対する三%(のちに二・五%)を豊凶に関係なく金納させることとした。この結果、政府は安定財源を得ることができたが、凶作や米価下落の負担を農民(地主と小作農)に押し付ける結果となったのである。
どうだろう。ものすごい「既視感」がないだろうか? そう。まったくの、現代日本の
- 消費税
と同じなのだw 国は当時も今も
- 安定財源
という言葉を使う。そしてそれが、まるで「良いこと」のように思われている。しかし、「安定」するということは、
- 貧しい人にも「一律」に税金を払わせる
ということを意味し、つまり、
- 借金してでも返せ。返せなかったら、農地を放棄して、大地主の「奴隷」になれ
と言っていて、完全に今の、デービット・アトキンソンと宮台と神保が主張する、
- 日本の中小企業を根こそぎ「倒産」させて、海外のGAFAに失業者を「奴隷」としてプレゼントする
という主張と同じわけだw
恐しいねorz
考えてみてほしい。日露戦争において戦ったのは、みんな「現場の叩き上げ」だった。それまでの日本軍には「エリート」がいなかった。みんな、現場経験がある、叩き上げが上官になった。だから、上官自体が、田舎の農村の貧困層出身だった。みんな、下の階層の人だったから、人の苦しみが分かる、良い性格の人が多かった。
みんな、戦争の現場が悲惨で、日本が豊かな国になっていくためには、絶対に戦争なんてやっちゃいけない、ってことが分かっていた人たちだった。
それが、「皇道派」だったのだ!
じゃあ、こういった人たちを「粛清」して、日本を自滅の道に導いていった「極悪人」とは、どういう人たちだったのか?
一方、永田ら統制派の対支一撃論は、小畑ら皇道派の主張を消極的・弱腰と見て、
「ソ連のみならず米・英等との長期持久戦となる次の世界大戦に備えて、国家総動員体制を確立すべく、原料資源確保のため、支那を一撃して支那大陸の資源を確保すべき」
とする強硬論である。統制派の軍官僚グループは最前線に立つことは少なく、戦死・戦傷の危険率は極めて低い。作戦に成功すうれば栄達の道が開け、失敗すれば現地軍に責任転嫁すれば済む。日本陸軍の国防の本義がソ連軍の満州侵攻に備えることなのは当然だが、ソ連と睨み合って、「軍事的均衡という平和」を保つだけでは軍官僚としての出世・栄達は望めないから、永遠に戦線を拡大する「永久膨張論」を主張したのである。
戦前の日本は、悲惨なまでの
- 階級社会
だった。お金持ちと貧乏人が完全に別の「人種」として、分けられていた社会だった。そして、そういった「貴族階級」のご子息が、
- エリート
として、特別待遇で「英才教育」が行われたのが、日本軍直属の士官学校だった。ここで、彼ら富裕層のご子息は、
- 日本軍の「幹部」養成の教育過程
を受ける。そして、ここの出身でない限り、日本軍の幹部クラスにはなれなくなる。つまり、戦前の日本軍には、
- <上級国民>
が存在していたw この上級国民は、そもそも現場で戦わないw 作戦本部の、ぬくぬくとした暖かい所で、絶対に敵が攻めてこないところで、戦争の作戦を作っていた。
このエリートにとって、自分が命令した部隊が「全滅」することは、
- たいしたことはない
とされたw なぜなら、戦争は最終的に勝てば「あとはなんでもいい」と考えられたからw そうじゃなくて、自分が命令した部隊が「勝利」をしなければ、
- 出世できない
という「からくり」になっていたw とにかく、なんでもいい。戦争をやって、「勝利」をしなければ、
- 出世
のための「理屈」が立たないとして、なんとしてでも、そういった「いいところのボンボン」は、戦果を残すことに狂奔したw
分かるだろうか? こういった「ぼんぼん」は、とにかく、戦争をやりたがった。自分の出世のために、戦争を何度でもやりたがった。「この」ためだけに、戦争をやることが目的となった。
この「ぼんぼん」たちは、まるで、日本軍の各部隊を
- ゴミ屑
のように、次々と無謀な作戦によって「全滅」させた。しかし、彼らはそれを「たいしたことじゃない」と残酷な目で冷笑して、たまたまなんらかの偶然や、現場のがんばりによる勝利を、手柄と主張して、出世していった。
こうした中、二・二六事件が起きた。この事件は、皇道派の青年将校が決起して、統制派の幹部や政治家を殺した事件だった。一見すると、部下が上司を殺しているわけで、言い訳の余地がないことのように思えるかもしれない。
しかし、よくよく、この文脈を考えてみてほしい。
なぜ皇道派は決起したのか? それは、日本に戦争を「やめさせる」ためだった。日本の農村の悲惨な重税によって苦しんでいる貧困層を救うためだった。そのために、日本の「政治改革」を目指していた。
分かる? 実際に、「それ」は
- 戦後、実現された
のだ! 日本の「階級社会」であり、貴族と大衆が分かれている社会をそのままにはできなかった。上級国民の「親の七光」で、英才教育を受けた、「いいとこのボンボン」の出世のために、日本は、アメリカ、イギリス、中国と戦争を
- させられた
わけ。そして、結果として、お金も資源もなくなって、敗戦した。
そりゃ、戦争に負けるに決まっているわけでしょ。
そう考えると、分かってくると思うけど、日本の歴史のターニングポイントは明らかに、
- 2・26事件
だったわけね。ここの「対応」を日本は間違った。じゃあ、実際には
- 誰
が間違ったの?
この日、天皇は侍従武官長本庄繁に対し、
「軍法会議ノ構成モ定マリタルコトナルガ、相沢中佐ニ対スル裁判ノ如ク、優柔ノ態度ハ、却テ多クス。此度ノ軍法会議ノ裁判長及ビ判士ニハ、正シク強キ将校ヲ任ズルヲ要ス」
と述べられ、厳罰主義により速やかに処断するよう、御指示なされた。
三月四日に特設軍法会議が開設されると、昭和天皇は本庄侍従武官長に対して、
「最モ信頼セル股肱タル重臣及ビ大将ヲ殺害シ、自分ヲ真綿ニテ首ヲ絞ムルガ如ク苦悩セシムルモノニシテ、甚ダ遺憾ニ堪エズ。此際、、十分ニ粛軍ノ実ヲ挙ゲ、再ビ失態ナキ様ニセザルベカラズ」
と述べられた。昭和天皇は、さらに三月十三日、本庄に、
ん「青年将校等ガ、社会状勢ノ表裏ニ通ゼズ、緩急是非ヲ識別スル能力ナキコトモ、今回ノ如キ大事変ヲ惹起スル所以ナラズヤ」(『本庄日記』)
と述べられ、翌三月十四日、本庄待従武官長を召して、
「(昨日述べた)社会状勢云々ハ、常識ノ養成ノ必要ナル意味スルコト」(『本庄日記』)
と付言なされた。
昭和天皇は青年将校らを、世間知らずで視野が狭く社会状勢の表裏を知らぬ、物事の重要性や善悪など事の本質を識別する能力の無い、常識を欠いた「まつろわぬ者ども」と御判定なされたようだ。ここにおいて決起将校の命運は決まった。特設軍法会議は「一審制・非公開・弁護人なし」との暗黒裁判になり、厳罰が下されるのである。
こうした昭和天皇のご判断について、のちに近衛文麿は、
「哲学的に見て、社会悪というものが世の中には存在する。たとえば資本家の弊害とか、あるいは権力者の弊害とかいうものが存在する。二・二六とか五・一五といったことの起こるのも、社会悪を除こうというのがその動機なんだ。だから陛下として大局からご覧になってその動機を酌んでやるたけのお心持がなければ、公平が保たれない」
と述べている。これが若い頃、哲学を学ぼうとした近衛の心情なのである。
そう。この件での、昭和天皇は明らかに、
- 子ども
だったわけw つまり、この頃は彼も若くて、どんどん自分の主張をしていた。そして彼は「直感的」に、二・二六の青年将校は
- 厳罰にすべき
と思い込んじゃったわけね。でもさ。たかだた、「世間知らずのお殿様」だったわけでしょw 絶対に、彼らを厳罰にしてはならなかったの。これが、それ以降の日本の歴史を間違えてしまったの。皇道派には一定の「理(り)」があったんだから、とにかく、これに昭和天皇がしゃしゃりでてきて、厳罰を無理強いしたのは最悪だった。
ほんとに最悪だった。
これさえなければ、もう少し、合理的な政治を道を日本は選べていたかもしれない。しかし、そうならなかった。
明治憲法制定のとき、伊藤博文は明治憲法の作成の意図を表すものとして小冊子を書いている。それは、岩波文庫になっているが、その中で、彼は「天皇」とは日本にとってなんなのかを、中国の皇帝と比較している。中国では次々に王朝が交代してきた。対して、日本は万世一系で、王朝交代が起きなかった。それを指して、彼は
- 日本が本物で、中国は偽物
だとして、中国を嘲った。それに返す刀で、じゃあ、何が日本は「良い」のかを説明する文脈で、
という主張をしたw 天皇は天皇としてあるだけで、それ自体が<善>なのだ、と。絶対に天皇が「悪い」ということは
- ありえない
と。天皇のやることは、なんでも「孔子の儒教が礼賛する」徳の高い行いだ、として、一切の天皇の行為の「悪」を認めなかった。
分かるだろうか? 伊藤博文は、中国四千年の「統治の知恵」であり、日本の江戸時代までの、幕府(権力者)と天皇との分離という「統治の知恵」をまったく無視して、完全に「ありえない」空論を語ったわけだが、
- これ
がそれ以降の日本を、ずっと縛り続けて苦しめている。
ちなみに、秩父宮は2・26の皇道派の青年将校を「擁護」する立場であった...。
この歴史の教訓については、よくよく考えた方がいい。今、岸田は
- 大増税
を「軍事費増大」を理由に画策している。岸田が総理の座にとどまる限り、近いうちに日本は「戦争」にかりだされる。当然、徴兵制も始まる(徴兵制こそ、三浦瑠麗の持論だがw)。そして、岸田の大好物が
- 消費税
だw この消費税を主張している連中の顔ぶれを思い出してみてほしい。完全に、
- 上流階級
そのものなわけでしょw 戦前の、地租改正と同じだ。
- 貧乏人が赤字なのに「重税」を課して「借金」をさせて返させて、その借金を返せなくなったら、彼らを<奴隷>として雇い、こき使う
ことが「目的」として、上流階級が日本支配のために「たくらんだ」政策であることは明らかなわけねw 恐しいね...。