デデデデ後章

映画館でアニメ「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション後章」を見てきた。まあ、原作は見ていなくて、前章も微妙な印象だったんで、見るかどうか悩んだんだけど、とりあえず見に行った。
まず、後章は最初から最後まで

  • 殺戮

で埋め尽されている。この作品では、東京の上空にずっと宇宙船が浮んでいる話なんだけど、そこから宇宙人と人間から呼ばれている

  • 侵略者

が、どんどん東京に降り立つところから後章は始まる。まあ、そこで描かれるものがなにかって、分かりきっているわけだろう。

だ。それだけじゃない。東京に住んでいる、犯罪者集団のような連中が、その宇宙人の「殺戮」を始める。どうも、彼ら自身が、その宇宙人たちとのトラブルの中で、自分の親族を亡くしたとかで復讐のような意味のことをにおわせていたりする。
しかし、この作品全体の主張としては、そういった宇宙人たちの「人権」を主張して、デモなどを行っている「人権左翼」に対して、嘲笑的な批判を行っている世の中の雰囲気に

  • 共感

的に描く作品となっている。つまり、主人公の門出(かどで)と鳳蘭(おうらん)の二人は、まさに「日常系」として、そういった「左翼デモ」的な人たちとは一線を画して、自分たちの日常を充実させている、といった感じだ。
ここでいきなり、作品のラストに飛ぶのだが、私はそういった形で、作品の「メッセージ」としてなにを言いたいのかなと思って最後まで見ていたので、このラストが、単純に

  • 矛盾

しているんじゃないか、と思ったわけだ。まあ、原作は浅野いにおだし、こんな原作なのかなって、なんか変だなって。
そうしたら、だ。
まず、パンフレットを見たら、どうも、ラストについて、原作「改変」がされている、ということを堂々と宣言しているw え? まあ、私がその時点で原作を読んでなかったので、あまり勝手なことを言えた立場じゃないんだろうけど、ただ、原作者もパンフレットの中で、なんか微妙な感じで「この作品をアニメ化してくれてありがとう」みたいなことを言ってるんで、これ以上はなにを言ってもしょうがないんだろうと思うわけだが。
さはさりながら、とりあえず、ビックコミックの10巻、11巻、12巻を読んだ。
まったく違うw
いや。それだけじゃない。原作の方は「メッセージが矛盾していない」わけだw なんだこれ?
ここではパンフレットで、幾つかの用語が解説されていたので、それらを参照しながら、この作品世界の解説を試みてみたい。
まず、ベータ時間軸が前章の話だった。そこで、小学生の門出と凰蘭は塾の合宿に行って、いわゆる「侵略者」の一人と出会い、かくまう。ここから、門出が「正義」の味方に目覚め、悪とされる大人を、そのかくまっている「侵略者」という、いわゆる「どらえもん」のアナロジーでの道具によって、鉄拳制裁していった先で、自分が犯していた「悪」に気付き、自殺をする。そして、その事実に耐えられなかった凰蘭は、なんとかして門出を生き返らせてくれと、かくまっている「侵略者」に頼むのだが、それは不可能だと断わられる。ただし、あることならできると提案され、それをお願いする。つまり、ここで

  • シフト

と呼ばれる疑似的なタイムリープによって、凰蘭はアルファ時間軸に移動する。
アルファ時間軸に来た小学生の凰蘭は、今度は自分から積極的に門出に話しかけるようにすることによって

  • 歴史を変えた

わけだが、門出と凰蘭が中3のときに、8・31と呼ばれている「宇宙船の東京への襲来」が起きる。つまり、それ以降。東京上空にずっと、謎のUFOが飛来し、留まり続けている

  • 日常

が続くようになる。後章で重要な役割を演じる登場人物として、大葉が門出や凰蘭と一緒に行動するようになる。大葉は、8・31のときに、大量に死んだ侵略者の重傷で今にも死にそうだった一人が、そのときに同じように重傷をおっていた大葉という少年の体を借りて寄生をした「侵略者」だった。よって、普段は人間と同じような見た目をしている。彼は、「侵略者」たちの道具である、メカみかんを使って、凰蘭の過去の記憶を見る旅に出て、そこで、凰蘭がベータ時間軸から、自分たちのテクノロジーを使って、このアルファ時間軸に来た少女であることを知る。
そして、彼は、そのベータ時間軸で門出と凰蘭が助けた「侵略者」が、自分たちの母星の仲間から、どういったミッションをもって派遣されていたのかを知ることになる。その「侵略者」は、地球という星にいる人間がどういった性質をもった存在なのかを調査するために派遣されていた。そしてその、かくまわれていた「侵略者」は、この人間社会が暴力にあふれ、「危険」な存在であることを気付いていた。それだけじゃなく、自分自身が人間から、あまりにもひどい仕打ちを受けていた。しかし、他方において、

  • 門出と凰蘭

を知ることで、それと矛盾した心の優しい者もいることを知り、母星への報告について、その両方で悩んでいた。そこで、そのかくまわれていた「侵略者」は、アンビバレントな行動を選ぶ。
まず、なぜ自分がこの星に派遣されたのかについて、最初から「人柱」として行われたのだろうと判断した。つまり、その危険を分かってやらせたのだろうと。そこで、ある「復讐」を自分は行う。

「母艦」が飛行を続けるには、メンテナンスプログラムを定期的に実行しなければならない。放置すれば4年ほどで動力炉が崩壊し爆発するだろう。被害は甚大だ。ただごとでは済まないだろうね。しかし調査員である僕は思うところがあり「本国」にこう報告するのだ。「ここは安全で着陸は容易。よってメンテナンスは不要。しかしながら万が一の危険に備えて、着陸実行には私の承認パスワードを要する」と。...そして何も知らずに「本国民」たちは意気揚々と「母艦」に乗ってやってくるのだ。さあ大変な悲劇の始まりだ。「母艦」を着陸させ緊急停止できる勇敢な者はどこにいる?

そして「その場」で、自分が設定するだろう「パスワード」を話し始める。もちろん、彼の前には、ベータ時
間軸のときの子どもの門出と凰蘭しかいない。しかし、そのかくまわれた「侵略者」は、「どこか」の「だれか」が、この今の自分を「見て」いるかもしれないと考えて、話す。まあ、結果としてはそれを、アルファ時間軸の大葉が「メカみかん」の機能を使って「見て」いたのだが。
そこでパスワードを知った大葉は、母艦の爆発による人類滅亡の危機を救うために、一人で単身で母艦に向かう。
しかし、である。原作では、この大葉の行為は「成功しない」w 大葉は母艦に侵入する直前で力尽きて、地上に落下してしまう。つまり、母艦の東京への落下は起きてしまうし、エンジン炉の爆発による、燃料のファンタジウム元素の拡散による人類の滅亡も起きてしまう。しかし、劇場版では、このパスワード解除が「成功」してしまうw つまり、劇場版では

  • それによって

被害が最小限度に抑えられたから、「人類が救われた」という<ハッピーエンド>に変えられてしまったわけだw
うーん。とにかく、原作がどうなっているかを見ていこう。
原作側がその後どうなったのかが描かれたのが最終巻の12巻だ。ここでは、なんと門出の「父親」が主人公となっている。母艦の爆発の後の絶望的な状況の中で、門出の父親は大葉と出会う。そして、例の

  • シフト

を使って、疑似的なタイムリープを使って別の時間軸に移動して、もう一度、門出と凰蘭が仲良くなり始める時間にまで戻る。そこで、門出が学校に行こうとするところを引き止めて、今度は門出の方から凰蘭に「友だちになろう」と話しかけることを提案すると、門出が「分かった」といったニュアンスの返事をして学校へ向かう。これによって、歴史が変わり、作品の最後は門出と凰蘭が大人になって、会社で働いている場面となってエンディイング。
こうやって比べたとき、明らかに劇場版はおかしい。なぜなら、この最後に向かう間に、この作品は何度も「人類滅亡まであと何日」ってクレジットしていたからだw
この作品のメッセージは明確だ。人間はどうしようもない。人間が滅びることは時間の問題だ。それは、人間自身の本性によってそうだとも言えるし、人間自身のこの世界に対する認識の「不完全性」にも関係している(宇宙人に言わせると)。しかし、他方において、だからといって宇宙人側も完全ではない。それは、上記のかくまわれていた宇宙人が、自分は母星から「人柱」にされた、と認識していることからも分かる。
しかし、「それ」とこれとは別なのだ。作品は、その「設定」として、宇宙人側の「機能」として、タイムリープを用意している。これは、この世界の前提条件だ。ということは、この話はその条件を、フラグを回収することなしには終わらない。人類は絶滅する。アルファ世界軸の人類の絶滅は時間の問題だ。それは、人類の「本性」であり「本質」に関係して、滅びる。しかし、そうだとすると、あの匿まわれていた宇宙人が悩んでいた

  • 門出と凰蘭

の問題はどうなったんだ、ということになる。このアルファ時間軸は、言わば凰蘭が門出の「自殺」が耐えられなかったために作り出した世界だ。これは「個人的」な世界だ。そこで、まさに宇宙船が爆発する直前で、凰蘭は門出に「もしも私のせいで、この世界が滅ぶとしたら、どう思う?」と門出に問うている。それに対して、門出は凰蘭に「OK」と言うわけね。つまり、「この」アルファ世界線は、凰蘭が門出を

  • たとえこの世界が滅んでも

救うために作り出した世界だった。それは凰蘭がもたらした、凰蘭のせいで世界は滅んだと言ってもいいけど、別に言えば、人類の本質が滅びをもたらしたと言ってもいい。つまり、この「滅亡」は、今、私たちが実際に毎日見ている、この人類の絶望的な状況を考えれば、当然のように受け入れなければならない結果なわけ。でも、しかしそうだったとしても、「作品」は決着しない。それは、匿まわれていた宇宙人が門出と凰蘭を見て考えていたなにかが回収されないわけ。つまり、それはもう一つのタイムリープによって示されるしかない。
まあ、いろいろ書いたけど、実に、浅野いにお先生らしい、傑作なんだかなんなんだか分かんない作品だね...。