ガルクラ最終回については、やはり見た人のかなりが、モヤモヤしたようだ。
確かに、これは
- bad end(バッドエンド)
なんじゃないか、という印象が強い。そもそも、仁菜がメジャーを目指した理由は、新ダイダスに「勝つ」ためだった。新ダイダスに勝つことによって、桃香さんの音楽が間違っていなかったことを証明するためだった。しかし、最終話で、トゲトゲは新ダイダスに負ける。そして、トゲトゲはその責任をとって、芸能事務所をやめる。
この話を聞いて、普通に考えて、
- 仁菜が「間違っていた」
ということが「証明」されたんじゃないかw つまり、第1話からいろいろやってきたけど、
- 全部、仁菜が「間違っていた」
というメッセージになってしまわないか? 仁菜が学校で「いじめ」られたのも
- 仁菜が「間違っていた」
から。仁菜が上京してきて、予備校で一週間、誰とも話せなかったのも、
- 仁菜が「間違っていた」
から。そういうの「自業自得」って言うんじゃないの? 正直、私は読後感じゃないけど、見た後の印象が悪かった。まず、「いじめ」に対して、まるで「いじめ」た側を弁護するような作品構造になっている。つまり、新ダイダスは大きな芸能事務所で、小さなトゲトゲが、これからデビューをして育てていこうとしているところを
- いじめ
て、彼らの将来を潰した。そして、ストーリー中でも、それを「強者」の特権であるかのように、肯定的に描いている場面がある。新ダイダスの事務所が、トゲトゲを潰そうとするのは、彼らにとっては邪魔者なのだから「当り前」だ、みたいな。
これって、完全に仁菜の高校時代の「いじめ」を
- 肯定する側の論理
だよね。ようするに、さ。仁菜は高校で、自分の人生を「回りが全員、敵」の状況でダメにされた。高校を辞めざるをえない状況に追い込まれた。そして、それに対する一切の「補償」が、この作品で描かれていない。つまり、「いじめ」た奴らが
- 逃げきった
という描写になっている。そして、それ以上に不快にさせられるのが、ヒナの描写だ。明らかに、ヒナは作品の前半では、「いじめ」の加害者グループの一員という扱いだ。というか、そもそも「いじめ」に対して、傍観者という場所は存在するのだろうか? 目の前で行われている、明らかな「暴力行為」に、それを見ている生徒が、
- なにもしない
というのは、一種の「加害行為」と変わらないのではないか? ヒナはこういった状況に対して、加害者と戦うのではなく、
- 仁菜への「説得」
を常時続けていた、ということになる。つまり、「謝れ」と。しかし、私には少し信じられない印象を受ける。なぜ、「謝った」ら許されるのだろう? 普通に考えて、余計に「いじめ」はエスカレートするだろう。なぜなら、「いじめ」られる側自体が、自らの罪を認めているのだから。ある意味で、この言質をとったことをもって、一生「脅され」かねない。
仁菜が「いじめ」られたのは、別の「いじめ」られていた生徒を助けようとしたからだ。それによって、その生徒は、それ以降、「いじめ」られなくなった。つまり、「いじめ」ている側に加えてもらえた。そう考えるなら、仁菜を救う方法として、「他の生徒に仁菜を助けさせる」というのは、提案として合理的かもしれないと思うが、ヒナの提案はそうじゃない。早い話、ヒナは普段、みんなが見ている場所では、「いじめ」ているグループの一員として振る舞っていた。おそらく、さまざまな仁菜への「いじめ」行為を、主犯格に命令される形でやっていただろう。それだけじゃなく、「いじめ」主犯格に気に入ってもらうために、自主的な仁菜への「いじめ」行為を行って、論功行賞を得ていたかもしれない。
ヒナには、仁菜を「救う」ための努力はみられない。たんに、仁菜を
- ダメ
な生き方をしているという理由で、下に見ている。そういうヒナの、他人を「生きるのが下手」という理由で、低評価している姿勢だけが強調されている。
言うまでもないくらいに当り前のことだが、新ダイダスの事務所は、トゲトゲの事務所に提案した、今回の対バンによって、トゲトゲを「潰そう」としている。つまり、これは「戦争」だ。新ダイダスの事務所にとって、桃香は目の上のたんこぶだ。自分たちが「売れない」と切った女が、こうして自分たちにはむかってきたから、彼らは自らのアイデンティティの危機に陥っている。どっちが
- 正統
なのかが、世間から判断されることを恐れている。だから、
- 全力
で、トゲトゲを抹殺しようとしている。最終回で、仁菜はエゴサで、大量のトゲトゲに対する「ネガティブ発言」を見て、部屋で一人、怒りに震えるが、統一教会の信者が、自民党応援を目的として、野党ディスを繰り返してきたことから分かるように、おそらく大量の
- 桜(さくら)
を動員して、トゲトゲの新曲が試聴されないための、ネガティブキャンペーンを行っている。それ以外でも、さまざまな「いじめ」が行われていたことは間違いない。
思い出してほしい。芸能界で、ジャニーズや吉本興業に楯突いたがゆえに、芸能人生を抹殺された人たちが、どれだけいるか。
これに対して、この作品はまるで、そういった
- 大手芸能事務所による「いじめ」
が、<自然界>の弱肉強食の「おきて」であるかのように、
- 肯定
している。それは、仁菜の高校の校長が、あんな紙っぴらで全てをなみして、それに対する一切の糾弾をアニメで描かないことや、新ダイダスの事務所が、誰からも批判されていないことから分かるだろう。
新ダイダスの事務所は、そもそも、自らがトゲトゲの事務所に、対バンを提案したんだから、ここで起きたことの一切に対して
- 責任
をとらなければならないはずだ。二日目のトゲトゲの売上が悪かったとしても、それを補填するのは当然、新ダイダスの事務所だ。ましてや、これが原因で、トゲトゲは事務所を辞めるという事態にまで追い込まれている。対決の目的は、ドラマのタイアップ曲でしかなかったはずなのに。そう考えるなら、どう考えても、新ダイダスの事務所は、それに至った
- 一切の責任
を引き受けて、すべてのこのために起きた、一切の「被害」の補償をしなければならないはずだ。当然、
- お前たちが「桜(さくら)」を使ったがために、トゲトゲの新曲が売れなかった「一切の責任」
を認めて、記者会見を開いて、公の場で、頭を下げて、謝らなければならない。当然、新ダイダスのメンバーは自分たちが行った「罪」を認めて、この記者会見の場で、「土下座」だ。
しかし、そうなっていないw
つまり、どういうことか? まあ、脚本家によって行われた、いつもの「作品破壊」。「バッドエンド」ということだ...。