一度は自殺を考えた女の子の物語

アニメ「ガールズバンドクライ」だが、私は今でも、2話と5話と、智ちゃん回を何回もリピートして見ている。まあ、アニメ「リコリスリコイル」の2話を何度もリピートして見たのと同じ感じだろうか。
私はこのガルクラが大好きなんだけど、正直、後半の展開については、もにょるんだよねw
なんだろう。前半は、仁菜の一人称から

  • 回りはみんな自分の敵

という感じで、ギラギラしているんだよね。ところが、さ。後半になると、急激な

が起きている。正直、ここが欠点だと思っている。仁菜の家族やヒナは、前半の仁菜の視点からは完全に自分を理解してくれない、自分に敵対する人たちとして、熊本から東京に逃げるように上京してくる。ところが、後半で仁菜の家族やヒナが話し始めると、驚くべきことに彼らには

  • まったく反省の色がない

わけだ。堂々と「イジメ」をやっているw 私は正直、これがなんなのかが意味が分からない。ちょうど、ラブライブスーパースター2期の最後で、マルガレーテが結ヵ丘に転校してきて、渋谷かのんがびっくりして終わるというような、

  • なんかをひっくり返してやったぜ

というような、脚本家の自己満足を見させられているような気持ち悪さを感じる。
そんな中で、唯一、仁菜を「理解」していたのは、常に仁菜の姉だけだったように思う。
仁菜の姉は、唯一、仁菜が心を許す存在だ。仁菜は、仁菜の姉の膝枕に進んで頭を乗せる。ここに彼女が惟一、心を許している存在だと分かる。彼女は、高校でいじめられていたときに自分がどう思っていたのかを、彼女にだけ語る。
それを聞いた姉は、始めて涙を流し、

  • 死なないで、生きてくれて、ありがとう

と感謝の言葉を述べる。仁菜は自分ではよく自覚せずに、姉に語ったのかもしれないけど、その内容は聞けば分かる。彼女は本気で自殺を考えていた。もう少しで、自殺するところだった。そういう内容を、姉にだけは素直に語っていた、というのは驚きだ。当然この話は、バンドのメンバーにも、ヒナにも語っていない。
なぜ、この

  • 仁菜

の心情を、アニメの後半で描くことをやめたのだろう? 作品はその後、彼女の回りにいる人たちの

  • 無自覚な差別感情

を、まるで「いい話」のように描き始める。本当の、仁菜の、自殺まで考えるところまで追い込まれた苦しみを理解しない彼女の両親、自殺をするところまで追い込まれていた彼女を理解しない、しかもその理解しないことをまるで「いいこと」のように描写されているバンドのメンバー。そして、高校の頃と変わらず、仁菜への「いじめ」を楽しそうに行っている姿を「いいこと」のように描かれるヒナ。
この作品が私たちにアンビバレントな感情をひきおこすのは、ラブライブスーパースター3期が10月に放送されるように、ガルクラ2期が制作されていない、というところにあるのかもしれない...。