黒江真由とは何者か?

京アニのアニメ「ユーフォ3」の第12話で、いわゆる原作改変が行われたことについては、大きな話題になったが、京アニ信者の視聴者は、この改変を大絶賛して、

  • 京アニが原作の「間違い」を修正してくれた

といった、大量の意見がネット上にあふれた。これは私には、京アニ自体が意図した、原作者への「意図的な攻撃」だったんじゃないか、と邪推している。
人によっては「二つの楽しみ方があるなら、それはそれで嬉しいじゃん」と言いがちだが、そんなわけがないだろw つまり、アニメ版は、根本的に支離滅裂。根本のところが壊れているから、まともに見れるものになっていない。
ここが、なかなか伝わらないんだよね。
そこで、ここでは黒江真由に焦点をあてて、この問題を考えてみたい。
では、原作とアニメに共通して描かれた、真由のキャラクターを列挙してみよう。

  • 全国金賞の常連の吹奏楽部のレギュラーだったが、親の転勤の都合のため、北宇治高校に3年になったタイミングで転校してきた。また、北宇治を選んだのは、吹奏楽部がさかんだったから、と本人が言っている。
  • 地方大会は、北宇治のユーフォは公美子、真由、奏の3人、ソリは公美子で挑んだ。関西大会はチューバを4人に増やしたこともあり、公美子、真由の2人、ソリは真由に変わった。
  • 真由は公美子に、各大会のソリの辞退をお伺いしたが、公美子は「北宇治は実力主義」を理由にして、真由にオーディションを受けてほしいとお願いしていた。

だいたいこんなところだろうか。
まず、真由が転校してきた、とはなにを意味するのか。
もしも真由が、全国金賞の常連高校のレギュラーなのに転校してきたとすると、次の二つのケースが考えられる:

  1. 転校した方が「よい」と考えたから。たとえば、転校しないとレギュラーを外されることが分かっていた場合。
  2. そもそも、そこまで吹奏楽部にのめりこんでいなかった場合。

この質問の意味は、親の転勤を理由とされているが、もしも本気で吹奏楽部に取り組んでいるなら、親が転勤しても、この学校に通ったはずだ。そもそももう高校3年生だ。あと一年で大学なわけで、親も断る理由もない。
もっと言うと、(1)のケースだと困ったことになる。つまり「ひきぬき」と似たケースと受けとられかねない。
まず高校野球の場合、親の転勤などの正当な理由がない場合は、一年間の出場停止というルールになっている。また、野球以外では、半年がルールになっているケースが多いのだそうだ。
このことが何を意味しているのかだが、つまり真由は上記の2番のケースである

  • エンジョイ勢

であることは、この原作の

  • 前提条件

だったわけだ。ただし、ここでのエンジョイ勢という言葉については、説明が必要だ。つまり、エンジョイ勢といっても、練習をしないわけではない。おしなべて、ガチ勢と変わらない演奏を行うわけで、そこにこそ、全国金賞の常連校のレギュラーだった所以がある。
エンジョイ勢は練習をしないわけではない。ただし、「優先事項がガチ勢と違う」だけだ。とにかく、エンジョイ勢は自分がトップになりたいとか、ソリをやりたいとか、はたまたレギュラーになりたい、大学は音大に行きたい、といったような動機で部活動をしていない。そうではなく、

  • 友達がほしい

からやっている。よって、真由は公美子にソリを譲ることを、ためらわない。
しかし、ここに一点、疑問がある。それは、真由は自分がレギュラーであることを疑っていない、ということだ。これはどういう意味なのか? 今回の北宇治のチーム編成の変更によって、わりをくったのは、奏ちゃんだ。彼女はもともとレギュラーだったし、実力は折り紙つきであることは誰もが知っている。であるなら、なぜ真由は奏ちゃんにレギュラーを譲ろうとは提案しないのだろう? それは言うまでもない。まず、自分が奏ちゃんより実力が上であることと、自分が3年で、奏ちゃんは2年だから、と真由が考えているし、奏もそれに反対している場面は一つもない。奏ちゃんには来年がある。
しかし、もしもこれが事実なら、少なくとも真由には、3年が優先されるべき、という基準がビルトインされていることになるだろう。つまり、真由は実力主義に、そもそも反対なのだ。
ここでアニオリ場面について、考察しておこう。アニメ12話の再オーディションの直前、公美子と真由は会話をして、真由が中学のときに、公美子と同様に、自分が吹奏楽部のレギュラーに選ばれたことによって、他の人がつらい目にあったという経験をしていて トラウマとなっていた、と説明される。
つまり、ここで「音は裏切らない」という言葉が使われる。
公美子が真由を説得するロジックは、「真由ちゃんがソリを譲ろうとしているのは、中学のときのトラウマのため。でも、<音は裏切らない>。つまり、本気で音楽をやることを、やめられない」。
つまり、アニメ版では、実は真由は心の奥ではエンジョイ勢でなかったのだ、と、ここにきて、整理されてしまう。
しかしそうだとすると、ルールとして彼女はどこまで正当化できるのか、ということになるだろう。つまり、「親の転勤の都合」という除外ルールを無視するなら、

  • 彼女は吹奏楽部を本気でやるために、別の高校に転校した

ということになり 今のルールにおいては、「ひきぬき」に近い状況として、認められないケースになりかねないだろう。
ところが、である。これを原作で見ていくと、そもそも原作においては、真由は最初から最後まで、ずっと

  • エンジョイ勢

なんだw 上記で整理したように、アニメ版では、最初は一見、エンジョイ勢と見えていたが、上記の黄前相談所において、フロイト的に真由の幼少期のトラウマをあばき、それ以降、真由はガチ勢に変わる。しかし、原作でそもそも、そんな会話は存在せず、最初から最後まで、エンジョイ勢を貫く。それだけじゃない。原作においては、例の公美子演説において、部員の

  • 多様性

を認める、といった趣旨の発言をしている。それだけじゃない。公美子はあすか先輩との会話の場面で、自分の考え(実力主義原理主義)が昔からと変わったと、そしてそれこそが、麗奈と喧嘩した理由だったと内省している。つまり、ここにおいて原作のユーフォという作品は、実力主義以外の価値観を認めると、言い始めたわけだが、こういった描写は完全にアニメ版からは抜け落ちている。
その代わりにアニメ版にあるのは、「同質性」である。この京アニの作品において、みんなが金太郎飴のように、どれも同じようにしか思えない。同質性が「いいこと」と喜ばれる。実際、それ以降、真由は公美子と変わらないくらいの積極性で、部活に取り組んだと解釈される。フロイト的な心理学によって、幼少期の本性は「みんな同じ」と解釈され、それ以降の人それぞれの試行錯誤がノイズとして、クレンジングされてしまう。全員がまるで、小学生のように幼児化されてしまう。それだけでなく、監督はインタビューで、公美子が将来、先生になったときも、彼女の「幼なさ」を失わないでほしい、と語るくらいだ...。